第15話 パールサの動乱

 都市部としてパールサの動乱の被害を受けたのは皮肉にもササンが手中に収めた帝都アッカドだった。


 最初はアッカド南東部の森林から転がり出てきたゴブリン。

 その数はあっという間に数万、数十万、やがては数百万の集団となり、アッカドを襲う。


 そのゴブリンの通常とは違う赤く血走った目に浮かぶのは、ひたすらの怒り、憎しみ。


 赤毛の王の慟哭は、全てのゴブリンおれたちを突き動かす。



 アッカドに向かう商隊が次々とゴブリンの群れに飲み込まれ、その悲鳴でアッカドの物見台にいた兵士は、ゴブリンの集団に気が付いた。


「鐘を鳴らせ! ゴブリンの大群がアッカドこっちへ向かってくる!」

「門を閉じろ! 早く!」


 全力で王都の門へ向かう多くの商人や旅人たち。

 だが、無情にも門は閉じられてしまった。


「まだいるんだ!」

「助けてくれ!」


 その叫び声もあっという間にゴブリンの足音に掻き消されていく。

 だが門を早々に閉めたことで、そして帝都の外周部に築かれた城壁はゴブリンの進行を阻んだ。


 ほんの一時いっときだけ。


 数百万の大群となったゴブリンの群れの先頭は、勢いを落とさずに門に激突し肉塊と化した。

 そこへ次々と後続の群れが押し寄せていく。

 やがてその肉塊は積み上がり、気が付けば城壁の髙さまで達してしまった。


「ふ、防ぎきれない」


 死をまったく厭わないゴブリンの大群の前に城壁が稼いだ時間はほんの僅か。

 城壁の上で矢を打ち続けていた兵士達もすぐに飲み込まれていく。


「逃げろ!」

「早く外へ! もう駄目だ! 街を捨てろ!」


 あらゆる箇所から悲鳴が聞こえてくる。

 そしてその悲鳴はすぐに消えていく。

 喰われ、犯され、踏み潰され。


 勢いの衰えないゴブリンの集団は、いつのまにか数千万を超える大群となっていた。

 死体の胎からでも次々と新たに産まれるゴブリン。

 肉塊からですら産まれてくるゴブリン。


 増える。

 増える。

 増える。


 逃げ惑う人々は気がつかなかったのだが、ゴブリンおれたちは増えつづけていたのである。


 赤毛の。

 王の。


 ただ慟哭のままに。


 それでもアッカドがゴブリンに完全に呑み込まれるまでには数時間を要した。

 長い歴史を持ち、約45万人の人々が住んでいると言われた帝都アッカドはこうして地図上からも歴史上からも消滅した。

 

 殺す対象を失ったゴブリンの群れは東へ向かう。

 王が待つ東の地。

 赤毛が嘆くパールサの地へ。



「マリア、マリア」


 赤毛はパールサを呆然と歩いていた。

 目からは滂沱の涙。

 

「マリア、マリア」


 マリアは死んだ。

 即死だった。

 マリアの身体から魂が抜けたことを赤毛は知っていた。


 その魂を探す。


「マリア、マリア」


 やがて街のあちこちで剣戟の音が聞こえてくる。


「マリア、マリア」




 娘を殺されたギルモア、そして教会勢力を率いる教皇の連合軍と、3国の藩王軍、ササン率いるフラート帝国軍の3勢力がパールサの街で散発的に小規模な戦闘を繰り返していたのだ。


 ギルモアは娘の仇を取るため。

 教会は、神意に叛いた神敵を撃つため。

 藩王たちは自分達の権力基盤を強化するため。

 ササンはパールサからの脱出のため。


「教皇が余ではなくギルモアを支持するとはな。見誤ったわ」


 ササンの計算違いは教皇がギルモアに付いたことだった。

 妊娠の真実を明らかにし、マリアを誅することで、教会勢力はササンになびくと計算していたのだ。

 ササンと教会が手を組めば、日和見な藩王たちはササンの軍門に下る。

 

 交渉の場に自らが出て、その手を地に染めるという危険を冒す価値は充分にあった。

 周辺諸国の動向を考えるとフラート帝国の再統合は必須だったのである。

 だが教皇は処女懐胎したマリアに本心から神意を見ていたのだ。


「神敵ぞ! ササン皇帝は神敵となったぞ!」


 マリアの遺骸を抱きしめるギルモア。

 怒りに身を震わす教皇。


 そこへそれぞれの護衛兵がなだれこみ、場は混乱した。

 

「アッカドへ戻る途中でひそましている本軍に合流する。伝令を送れ。パールサはしばらくは混乱するだろう。この機を逃さぬ」


 ササンはそう言い、パールサの地を後にする。

 



 だが、その指示をした頃、帝都はすでに壊滅していた。

 馬車に乗って軍に合流しようとしていたササンは、この数日後に潜ましていた軍すら飲み込んできたゴブリンの波に飲まれ、ただの肉片と成り果てた。

 なお、マリアを告発した元修道院長がどのタイミングで死したか、あるいは、その胎から無数のゴブリンが産まれたのかはわからない。


 死者は何一つ語らず、人類はただ滅びを待つのみだった。

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