第10話 処女懐胎

 マリアが意思を失ったため、その場での議論は解決せず、翌日に持ち越した。

 そこで教皇は、マリアの状態を処女懐胎だと定義した。その胎にいるのは間違い無く神の子であると。


「そんな馬鹿なことが起こり得るのか?」

「神の御業は時として不可解なのです」

「だがマリアは女王として」

「であれば、ただの血筋として後継した帝国ではなく、神の意志に従う神政帝国としてより権威が付くのでは」


 教会神判の翌日に行われた藩王ギルモアと教皇による会議は深夜にまで及んだ。

 その場にマリアはいない。

 状況が状況なだけに、修道院長とマリアは城の豪奢な部屋に待機することになったのだ。


(ワンさん……困りました。産まれる子が赤毛だったらどうしましょう。でもワンさんとの子……嬉しいかも)


 マリアは自分の金髪をいじりながら、心の中で悶えていた。


「マリア様、本当に殿方と……そういう経験は本当に無いのですね」

「はい、ありません」

「ですがゴブリンと一緒だったということは、そういうものではないのですか?」

「何をおっしゃりたいかは解りますが、本当に何もありませんでした」


 そして間違い無く処女であると判断したのは教皇であり、宣言があった以上、この判断は神意として覆ることがない。

 それでもなお、修道院長はマリアに食い下がったのだ。


「ですが、ゴブリンというのは女性を汚すもの。そのゴブリンと長きにわたりともに旅をして何もないとは……」

「ワンさんは紳士でしたわ。育ちの関係で人とは常識が違いましたが、それでも私の意に背くようなことは一つもされませんでした」


(こちらからはしたなくも抱きついてしまいましたが、それは見逃して貰いましょう)


「ですが……」

「しつこいぞ、修道院長」

「きょ、教皇」


 そこへ教皇とギルモアが入ってきたのだ。


「神意としてマリアは神の子を宿したのだ」

「はい」

「修道院長、ゴブリンの話は決して口外してはならぬ」

「ですが」

「ここに口外せぬことを神に誓え」

「そんな……ひっ」


 言い淀む修道院長にギルモアから強い殺意が向けられる。


「藩王、神に仕える者ですぞ」

「娘を護るためなら、この身が地獄で灼かれることくらい厭わぬ」

「藩王閣下、どうかお許しを……神に誓い、ゴブリンの件、口にしませぬ」


 今にも腰に下げた剣を抜きそうなギルモアに修道院長は慌てて神への誓いを口にした。それをみてギルモアも柄から手を離す。


「……すまぬ。娘を愛する親の愚行と流されよ」

「神に誓った以上、たがえることはしませんが、この屈辱は忘れませんよ」

修道院長オリヴィア!」

「教皇、わたくしはこれで失礼します」


 名を呼ばれ、一瞬身体をすくめた修道院長であったが、自分が怒られたのはまるでお前のせいだとも言うようにマリアを睨み付けると部屋を後にした。


「大丈夫なのだろうな」

「オリヴィアには後で言っておきますが、神に誓った以上、情報は漏らさないでしょう。彼女の信仰心は間違い無く本物ですから」

「世俗にまみれた司祭とは違うということか」

「お恥ずかしい限りで」

「だが、怪しいと思えば斬るぞ」

「聞かなかったことにしましょう」


 ギルモアと教皇の会議で大筋を決めた後、ゴブリンの事は伏してギルモアの配下と教会の司教を集めた対策会議は、結局、利益分配の話にしかならなかった。


「あれで神に仕える身だというから呆れる」

「司教であろうと生きていかねばなりません。同じ食べるのであれば、美味しい物がいい。それは世俗ではなく神から賜った自然の欲求なのです」

「そういうものか」


 ギルモアはそう言うと、マリアに向き合った。


「マリア、明日からそなたが女王だ」

「決まったのですか?」

「ああ、神の子を宿したお前が女王、そして産まれる子が男であろうと女であろうと次代である」

「アッカドの方はどうなります?」

「ああ、叛乱軍は反発するだろうな。この地に彼奴らが支配するフラートと神政を取ることになったフラート帝国が並び立つのだ」

「戦争ですか?」

「そうはならん」


 ギルモアたちは戦力分析をしていたのだ。

 西に位置する弑逆者が支配する国となった帝政フラート帝国。

 東に位置する教会と手を組んだ正当な皇統を持つ神政フラート帝国。

 どちらも相手を一方的に飲み込むには戦力差がなさすぐる。

 

「戦争などしてみろ。どちらが勝とうと、消耗戦にしかならない。あっというまに周辺国に飲み込まれる」

「我々教会が付いた神政フラート帝国です。皇統であることも含め権威はこちらの方が圧倒していますが、帝都を押さえているため経済的には向こうの方が強力。そのうち、アッカドの教会が向こうにもお墨付きを与え権威を得るでしょう。帝国も分裂、教会も分裂という状況になります」

「権威が向こうにも付くと、こちらが苦しくなったりしませんか?」


 マリアが懸念を口にする。

 各地の藩王が皇統であるとだけでパールサに従うとは思えないのだ。


「ゆえに神の子を前面に押し、神の子を利用する……という実に世俗的な判断になったのです」

「そうですか……まだ実感は湧かないのですが、この子が鍵となるのですね」


 まだ膨らんでもいない腹をマリアはさすった。

 光を取り込んでから2週間は経過している。

 ゴブリンであれば、間違い無く、もう産み落としてしまっている時期だ。

 そして、マリアは一度も赤毛とそういう行為に及んでいない。


「あなたは本当に神の子なの?」


 我がことながら、まったく実感の無いマリアであった。

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