角隅日記

おさけがい

カーテンのそばで

 大変革が訪れるのは、例えば高校大学進学だとか、結婚だとかであってほしかった。一体どうして、真っ当に努力しておいてこんなザマになってしまったんだとよく思う。中学生で鬱病だなんて、経験者の数が知れない。私が知らないだけで他にもいるのかもだけれども、少なくとも自分の知る範疇では見たことがない。

 となると相談も難しい。両親には愛されているが、相談しても的外れな言葉が返ってくるだけで余計に傷つく。二人は今までの人生の間築いてきた自分を根底から破壊された経験がない。私の気持ちを分かってくれない。

 受験勉強をしろ、と頻繁に言われる。両親からも、先生からも。栄えある将来を送るために必要だと理解しているけれど、なかなか進める気が起きない。だって私は、前回の受験勉強を精一杯やった結果鬱病になり、もちろん受験に失敗し、未だに消えない痛みを抱えている。そんな人間に勉強をしろと言っても、なかなかに難しいだろう。将来の夢を持てていない。建築学科で学ぶ夢も鬱で潰えてしまった。それに文系を選んだので理系進学は不可能だ。まぁ理系に行っていたら数Ⅱの今関先生に「こんな問題も解けないなら理系やめちまえ」とか「クソガキ共が黙ってろ」みたいな暴言を喰らってたんだが……大学では世界史を学ぼうと思っているけれど、まったく調べていないし、学力が歴史科目以外中学生と同等な自分がまともに戦えるのかが分からない。最近は総合型でもいいやと思い始めている。本当に受験勉強をするとして最も恐れているのは鬱病の再発だ。たでさえ現段階でも希死観念(自殺願望)を抱えていて、屛風ヶ浦から投身する小説まで書いたんだから、今度起きればそれこそこの世から居なくなっているだろうに。

 鬱病前と後の大きな変化として、自認識と価値観が大きく変わったのが挙げられる。前者を言えば自分を優秀だと思わなくなった。選民思想を、変なプライドを持つのを辞めた。自らの無力さを存分に味わった結果だ。後者であれば妥協できるようになった。学校では現代文古文毎時間毎に漢字・古語単語テストがあるんだが、高校入学初期は張り切って勉強していたけど、今となってはノー勉で挑むようになった。どうせ小テスト(平常点)なんて全体評価のたかが二割くらいなんだから、テストで赤点さえとらなければ普通の評価を取れる。それに気づいて、頑張るのを放棄した。そうしたところで死ぬわけじゃないからね。

 どうせいつか死ぬんだけど、今すぐ死ぬわけじゃないしね。と思えるようになったのは大きな進歩だと感じるところだ。忘れ物をしても、「死ぬわけじゃないんだし、次わすれなければいいでしょ」と。模試で五点とか零点晒しても「たかが模試だし、別にFランク大学でもいいし、死ぬわけじゃないんだし」と完全無敵の論調を完成させてしまった。それは妥協だとか、逃げだとかとやかく言う人はいるけれど、関係ない。俺が俺で納得してんのに口出すな。と言いたくなる。お前に俺のどこが分かるんだ。鬱病になって自己破壊してから言え、と。

 慰めに音楽はいいものだ。賢者タイムが無いぶん本来のそれより満足できる。例えば今(書いている最中)はヴァーチャルシンガー「花譜」の「不可解」を聞いている。最近林檎音楽に入ったので、PCのiTunesを開いて聞いている。それも妹の部屋と仕切るカーテンのそばで、部屋の角隅でね。

 どのアーティストが好きかと聞かれたら、シンガーなら今聞いている花譜、バンドなら平成最強ロックバンドMr.Childrenになる。

 洋楽のくくりならLINKIN PARK,BON JOVBI,かな。レッチリやU2も聞いているが、まだまだファンと呼ぶには足りなさすぎる。

 これから、日々感じていることや悩み、趣味などを書いていこうとおもう。この雑多な落書きを気に入ってもらえるのであれば、ブックマークや評価などしてもらえると嬉しい。

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