SとN

花晨深槻

Bite0:昔あるところに

 今日は大規模なイベントも無いうえに平日ど真ん中。それにも関わらずこんなに人がいるとは、流石有名観光地といったところか。がやがやと騒がしい城下町の人混みをなんとかして縫うように歩く。レンガと石畳の落ち着いた街並みも、喧騒に揉まれれば他の市街地とそう変わらない。

 さっきまで夕食という名の野菜スムージーを吸い上げていたストローが、ズズっと盛大な音を立てて飲みきったことを知らせてくれた。そのゴミ片手に人混みから逃れるように路地へ滑り込む。


「はあ、やはり人混みは苦手だ……」


 わざわざ人を避けて来たのにこれでは殆ど意味が無い。それともまさか休日はもっと人が多いとでもいうのか。考えただけで気が遠くなりそうだし、これではホテルに着く前に疲れてしまいそうだった。


「お兄さん観光客?」


 あまりに突然声をかけられたので、一瞬それが私に対してだと分からず反応が遅れた。咄嗟に周りを見るが私の他には誰も居ない。

 声の主である男はダメージジーンズにアロハシャツ、青いサングラスとサンダルという少し気の早い格好。年齢は私と同じくらいだろうか。如何にも怪しげな胡散臭い笑顔を引っさげた狐のような男は、私の手を指差しながら言葉を続ける。


「その観光用リーフレット、入国審査の時観光客に配ってるやつだからそうかなって」


「まあ、そうですね。観光客みたいなものです」


 単にこの辺りの人間なのか地元の流れのガイドの類なのか定かではないが、男の持つ雰囲気は失礼ながらお世辞にも誠実そうとは言えなかった。観光地で横行する何かしらの詐欺の類かと少し身構える。


「それじゃあ、チェックインの時間があるので。私はこれで」


 触らぬ神に祟りなし。足速に立ち去ろうとするも男は「ちょっと待ってよ!」と私に引っ付いてくる。なんとも面倒な人間に捕まったものだ。


「観光ガイドが必要じゃない?」


「いりません」


「んじゃ、現地ガイドおすすめのスイーツとか」


「食べません」


「うっ、まじで取り付く島ないな。ほらぁ、見たところお兄さん一人みたいだし? 寂しくない? 旅のお供的なさ!」


「生憎一人が好きなので」


 この問答をしながら男は元の大通りに戻ろうとする私の前に幾度も立ちふさがり、通せんぼの形で邪魔をした。そしてようやく男の横をすりぬけることに成功した時だった。


「ああ、ほら! 俺なら女王の靴の展示会場にも入れてやれるぜ」


 背中に投げられたその言葉に、足がピタリと止まる。


「どういうことですか? チケットを買えば誰でも入れるはずでしょう?」


 女王の靴とはその名の通りかつての女王が履いていた靴で、硝子製の片方しかないハイヒールのことだ。王宮博物館で展示されているこの国の目玉といえる観光資源であり、私の今回の旅の目的でもある。エグラスと言えば硝子の靴。満足にもできないような幼子だって知っていることだ。


「そっか。お兄さん観光客だから知らねえのか。昨日から王宮博物館は臨時休業で誰も入れないようになってんだよ」


「臨時休業!?」


 慌ててネット検索をすると、確かに『諸事情により期限未定の臨時休業』となっている。一週間前に前売り券を買った時には無かった情報だ。私としたことがこんな初歩的見落としをするとは。なんとも間が悪いが、これは同時に私の握る情報の信憑性を高めてくれる幸運でもある。

 しかし前売り券に関しては払い戻しがあるだろうからよしてして、展示を見に行けないのは正直かなり困った状況だ。そして気はすすまないが、少なくとも不法侵入するよりは安全かつ簡単に解決できそうな方法が目の前に一つ。


「本当に…… 展示会場に入れるのですか?」


 男は嬉しそうにニッと笑うと、答える代わりに手を差し出す。


「やっと“島”ができたな。俺はタリス・モーガン。よろしくな、お兄さん」


「ジア・リンデンバウムです。よろしく」


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