12 Offender

 午後五時を過ぎても猛暑の熱気が残るレジデンス四ツ坂は、マンションの住人たちがまばらに出入りするだけで、報道関係者や野次馬の姿はなかった。

 事件発生からすでに一ヶ月が経過しており、犯人としてタカハシロウが逮捕されたと報道されていることもあり、すでに人々の興味は四ツ坂マンション殺人事件から離れていってしまっているのだろう。

 一階がエントランスと管理人室と住人用の駐車場となっており、二階以上が住居だ。

 マンションの周囲には植え込みがあり、まだ花を咲かせていない丈の低いキンモクセイの木が植えられている。

 高橋が逮捕されて以降ほぼ毎日のようにレジデンス四ツ坂に通って住人たちに聞き込みをしていたミツルだが、退職後はこのマンションの周囲を歩いては不審な点がないか目視で確認するだけだった。

 今日も習慣のように駐車場に視線を向け、見慣れない自動車やバイク、自転車がないか調べようとして、隣にカズがいることを思い出した。


「みっちゃん、ここはよく来てる?」

「え? あ、あぁ」


 辺りを見回す目つきでバレたのだろうか、と首をすくめながら満は頷いた。


「刑事のときも?」

「あぁ、毎日のように来た」

「そっかぁ」


 納得した様子で一哉はマンション一階の駐車場に目を向ける。

 駐車場には、奥の駐輪場から自転車を押して出てくる一人のマスクをした青年の姿があった。彼は満と一哉の姿が気になるのか、ちらちらとこちらを見ている。


「あそこの男、アイから指定された接触者の一人目」


 小声で一哉が伝える。


「このマンションの住人だ。確か、K大医学部大学院の学生だ」

「へぇ、顔を見ただけで思い出せるなんてすごいね」

「たいしたことじゃない。捜査本部の資料を持ち出せないから全部覚えただけだ」

「いや、充分すごいって」


 一哉が感嘆していると、二人を横目で見ていた青年が自転車を押しながら近づいてきておずおずと声をかけてきた。


「あの、こんにちは……刑事さん」

「こんにちは!」

「……どうも」


 どうやら相手は満が刑事としてこのマンションで聞き込みをしていたことを覚えていたらしい。

 いまはもう刑事ではないのだが、一哉が否定しないので、満も適当に合わせておくことにした。


「事件の、捜査ですか?」


 青白く痩せ細った青年は、マスク越しのくぐもった声で尋ねた。


「ま、そんなところです」


 一哉が適当に返事をする。


「犯人、逮捕されてるのに、まだ捜査しているんですか?」

「事件は犯人を逮捕して終わりってわけじゃないんですよ。時間をかけて裏付けを取ったりするんです」

「そ、うなんです、ね」


 一哉の答えに、青年は軽く言葉を詰まらせた。


「あの……犯人って捕まった人で間違いないんですか?」

「そこは捜査に関することなんでお答えはできませんが――なにか気になることでもありますか」


 人の良さそうな笑顔で一哉が青年に聞き返す。

 こういうスムーズな会話は満がもっとも苦手とするものだ。

 青年は一哉の隣に立つ満が、刑事として犯人逮捕後もなんどもマンションの住人たちから話を聞いていたことを覚えていて、その満がまたマンションに姿を見せたので気になっている、という様子だ。


「いえ……特にそういうわけではないのですが、犯人が逮捕されたのになんでかなって思って」


 ただ野次馬根性で聞いてみただけ、といった顔で青年はごにょごにょと誤魔化した。


「暑いのに、ご苦労様です」


 自転車にまたがると、青年は軽く会釈をして勢いよくペダルをこぎ始めた。


「うっわぁ。みっちゃんが刑事だってこと覚えてるとか、事件のことに興味持ちすぎで怪しすぎるっ! しかも、かなりみっちゃんの存在に怯えてた! でも、向こうから話しかけてきたってことは、みっちゃんがなにしに来たのかすっごい気になるってことだね」

「俺はデカすぎるから、目立って人に覚えられやすくて極秘捜査には向かないって上司に言われたことはある」


 190センチという長身の満は、とにかく立っているだけで目立つのだが、本人は目立っている自覚はない。


「みっちゃんが一緒に来てくれたおかげで、対象者に簡単に接触できたよ。ありがとう! じゃ、この調子で二人目に会いに行こっか!」

「……いまから?」

「もちろん!」


 暑さをものともせず元気よく一哉が答える。

 探偵の助手というのは体力勝負なんだな、と満は学んだ。


     *


328ミツバ877バナナから業務連絡が入った」

「え? なに?」


 ゲームのコントローラーを握って視線はディスプレイに向けたまま、328と呼ばれた青年は聞き返した。


「877から、指令」


 328のヘッドフォンを無断で外すと、相手とほとんど同じ顔をした青年はディスプレイの前に立ってゲームの邪魔をする。

 ヘッドフォンからはゲームのBGMと効果音が大音量で響いてくる。


「レジデンス四ツ坂の案件、依頼人クライアントから利用料が振り込まれてないから取り立て4649ヨロシクってさ」

「え? もう振込期限が過ぎてるのに入金まだ?」

「そっ。なんでも依頼人は、被害者を殺したのは10008ヨロズヤじゃないから、利用料を支払う義務はないって言い出したんだってさ」

「あの男をベランダから突き落として死なせたのは、オレたちじゃん。あと、あの男の部屋のパソコンやらカメラやらサーバーやらから未公開動画を消したのだって、オレたちじゃん」

「データを消したのはほとんどがハチマンだけどな」

「いやいや。あの部屋に侵入しないと消せないデータだって結構あったじゃん! ま、それはいいとして、なんで依頼人はオレたちがったわけじゃないって言うわけ?」

「あれだろ。四ツ坂マンション殺人事件の犯人として逮捕された男がいるからだろ」

「へぇ、そうなんだ! 警察ってだな!」

「……いままで知らなかったのか。ニュースくらいチェックしろよ」


 328の相方は呆れ返った。


「それはそうと、依頼人が支払わないなら八幡に頼んで依頼人の銀行口座から約束の金額を移してもらえばいいじゃん」

「877から、八幡を使うなと言われている」

「えー? じゃあ、俺たちが依頼人から直接取り立てをするってこと? 面倒臭いな。そういうのって、アニキが得意そうな顔してるじゃん。なんか、毎日ヤミ金の取り立て屋してますって感じ」

「標的の部屋のデバイスから消去した依頼人の動画は八幡が持ってるそうだ」


 『アニキ』についての話題は無視した相方は、ヘッドフォンを328に返しながら伝える。


「利用料を支払わないと、動画を流出させるって脅せってこと?」

「動画は10008が保険代わりに持っている、とだけ伝えれば依頼人は金を払うだろ。もし払わないなら、盗撮動画を見せるとか、お前が標的を突き落とす現場の動画を見せるとかすればいいんじゃないか?」

「面倒だなぁ」

「レジデンス四ツ坂の案件は、バナナの皮をベランダに残したはずなのにマンションの屋上に移動してたり、宅配業者の男が犯人として逮捕されたり、なんかいろいろケチがついてる感じがする」

「ますます嫌だな」

「そもそも、現場にバナナの皮を残してオレたちの犯行であるというアイコンにするというのがどうかと思う。877はすごく気に入ってるみたいで、アニキですらバナナの皮についてはやり方を変えようと提案できずにいるらしい」

「屋上にバナナの皮が移動したのって、カラスとかトンビの仕業だよな?」

「多分。これで三度目だ」

「うわー! 超絶面倒くせぇ!」


 328は頭を抱えたが、相方は黙ってコントローラーを奪い取ると、ゲームデータをセーブして終了させた。

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