10 Invisible Person 4

 四ツ坂マンション殺人事件の被害者であるイワリクは、映像作家として動画配信サイトで活動していたが、都警察が素行調査をしたところ悪い評判がいくつか出てきた。

 そのうちのひとつが、盗撮だ。

 岩田の死後、匿名の通報が二件あったことで発覚した。

 岩田は盗み撮りした映像で恐喝行為を働いており、判明しただけでも数名の被害者がいた。

 タカハシロウは岩田が盗撮をしていたことを知らなかったと逮捕後の取り調べで話しているが、警察では高橋が岩田の恐喝行為に関与しており、その際の報酬の取り分に関していざこざが発生してカッとなった高橋が岩田をマンションのベランダから突き落とした、という青写真を描いている。つまりは、ほぼ勝手な妄想、もしくは捏造だ。

 ミツルは留置所で高橋と三度面会したが、岩田がしていたことについて親友は知らないと語った。

 岩田の死後、警察は岩田のマンションの部屋にあったパソコンやカメラをすべて調べたが、すべてのデバイスから盗撮動画は消去されていた。

 匿名の通報者は自分が映った動画を警察に見られことを想定して連絡してきたはずだが、岩田の部屋から盗撮の証拠が見つからなかったことを報せると、相手は警察との連絡を絶った。

 しかし満は、岩田が盗撮していたことはほぼ間違いないと考えている。

 盗撮動画が存在しない上、岩田と高橋の間で金銭のやりとりがあったという痕跡もないのだが、捜査本部では匿名の通報を元に、岩田だけではなく高橋も盗撮に関係していると推断しているのだ。

 親友の無実を信じている満からすれば乱暴な当てずっぽうでしかないが、他に高橋が岩田を殺す動機が見当たらないため金銭問題だろうと考えるしかないのだろう。


「もし、10008ヨロズヤって犯罪組織に岩田殺しを依頼した人間がいるとすれば、岩田に恐喝されていた人だと思う」


 ぼそり、と満が呟くと、カズは軽く首を傾げた。


「それって、僕に喋っちゃって良いわけ?」

「暑さで頭が朦朧としてるから独り言をだらだらと言ってるだけだ」

「あ、そう。コンビニでなんか飲み物でも買う? レジデンス四ツ坂まで辿り着く前に熱中症で倒れるといけないしさ」


 すぐ目の前に見えるコンビニエンスストアを指さして歩き出した一哉の隣を歩きながら、満はぼそぼそと喋った。


「岩田は動画配信で得ている収入以上の暮らしをしていた。どうやって手に入れた金なのかは不明だが、銀行の定期預金は一千万円近くあった。警察が自宅を調べた際、なぜかパソコンやカメラのデータはすべて消去されていた。もし高橋が岩田を衝動的にマンションのベランダから突き落としたとして、わざわざすべてのデータを消去したりするだろうか。しかも、警察でデータの復元をしようとしたけれど、何重にも乱数が上書きされてさらに消去するという手間がかかる真似がされていた。岩田が転落死して高橋が被害者の部屋を飛び出すまでの時間は、マンションの防犯カメラによれば五分ていどだ。たった五分で部屋にあるデバイスのすべてのデータを消去することができるか? さらに、デバイスのすべてから岩田本人も含めて指紋はひとつも出てこなかったんだ」


 岩田の部屋のパソコンやカメラだけではなく、データ保存用のサーバーからも盗撮動画の一切を警察は見つけられなかった。

 そのため、岩田が盗撮をしていたことでトラブルに巻き込まれたという大前提を警察は立証できずにいる。

 岩田と高橋の間に金銭トラブルがあったという事実は見つかっていないし、事件当日に高橋が岩田の部屋を訪ねたのは運送会社で働く高橋が荷物を配送した先が偶然高校時代の同級生だったというだけだ。配達した荷物そのものは岩田自身がオンラインショップで注文した商品だし、高橋は七月から配達担当エリアが変わったばかりでレジデンス四ツ坂に高校時代の同級生が住んでいることを知らなかった。

 しかも高橋は、配達先の住人が高校時代の同級生であることに気づいていなかった。十代と様相がまったく変わっていたのでわからなかった、と高橋は満に語っている。


「だとすると、10008の依頼人は盗撮動画で岩田に脅されていたってことになるかな。10008への依頼内容は、岩田の殺害および盗撮動画の消去ってところだろうね」


 コンビニエンスストアの入り口で立ち止まった一哉は、自動ドアが開く一歩手前で満を見上げた。


「コンビニの中では独り言はやめた方が良いと思うな」

「あぁ」


 満が頷くと同時に、一哉が一歩足を前に進める。

 コンビニエンスストアの自動ドアが開き、冷房がよく効いた店内の冷気がふわりと熱せられた身体を包み込む。


「10008は、レジデンス四ツ坂の事件で無実の人が逮捕されてもお構いなしなんだ。満の親友が冤罪で裁かれることになっても、連中は痛くもかゆくもないからね。普通は『10008がやりました』なんて言わない。でも、この事件で逮捕者が出たことで10008の想定していないことが起きているはずなんだ」


 飲み物ばかりが陳列された冷蔵庫の前で商品を選びながら、一哉は小声で満に説明する。


「想定していないこと?」


 冷蔵庫の扉を開けて二リットルのミネラルウォーターのペットボトルを取り出しながら満が聞き返すのと、一哉が「え? それ買って持って歩くわけ?」と目を丸くするのがほぼ同時だった。

 外のうだるような暑さのせいで、アイ探偵事務所で飲んだ麦茶がすべて汗となって吹き出してしまった満からすれば、二リットルの水などすぐに滝の汗となって排出されることは目に見えていたが、だからと言って飲まないわけにはいかない。

 一哉が「まぁ、重くても満が自分で持って歩くわけだからいいけど」と呟きながら、自分は五百ミリリットルのスポーツ飲料のペットボトルを手に取った。


「アイが、10008の依頼人候補者に挙げているふたりは、どちらも10008に依頼料を支払っていない」


 セルフレジで支払いを済ませてコンビニから出ると、すぐさまペットボトルの蓋を開けながら一哉が説明を再開した。


「これはアイが候補者の預金貯金有価証券暗号資産のすべてを監視しているから、どこの誰にいくら支払ったかって一円も見逃していないんだけど、とにかく使途不明金が出てないんだ。ということは依頼人は、岩田殺しは10008ではなく高橋吾郎が衝動的にやったことだって考えている可能性がある。10008に相談はしたけれど実行犯が別にいるってことは、依頼人が10008に依頼料を払う必要はないし、自分のせいで岩田が死んだわけじゃないって思えるから、依頼人からすればラッキーだし結果オーライってなるよね」


 満は二リットルペットボトルの蓋を開けると半分近くを飲み干してから、一哉の話に頷いた。

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