(二)是れを婦徳と謂う

「「北山ほくざん」か、だいぶ進んだもんだ。前に見に来たときはまだ「鹿鳴ろくめい」のさわりだった気がしたが」


 畏まって座る童女がつくえの上に広げたままの木簡を覗きこみながら、徳儒は誰に問うでもなくのんびりと呟いた。


「伯女おまえ、励んでるなあ」


 呼びかけられたむすめは白い頬をはにかみの色に染めながら、先ほどにもまして大きな笑顔を浮かべた。


「学問は好きか」


「はい」


 童女は小さくうなずいた。


「叔母上から家事を教わるのと並んで、叔父上から学問を授けられるとなると忙しかないか」


「はい、でも」


「文字や経書けいしょを習うほうが楽しいか」


「―――おさいほうのほうが、すきです」


 ひとつ間をおいてから童女は答えた。その空白のときに叔父の顔へためらいがちな視線を向けたことを察し、徳儒は生来表情に乏しい口元に淡い苦笑をにじませた。


 父母を相次いで失ったがために、この小さなむすめが早くも養い親の顔色を窺うことをおぼえてしまったというなら不憫というほかないが、いましがたの一瞥にこめられていたのはそんなものではなかった。


 「少しでも叔父上の意にかなうようになりたい」という、やや従順すぎるほどに従順で、かつ真剣な願望ばかりが、仔鹿を思わせる漆黒の瞳の奥にくっきりと映っているのだった。








「婦人の第一の務めはむろん機織りと針仕事ですがね、そう固く構えられずともいいんじゃありませんか」


 昨晩吹き荒れた北風のためか、いくらか積もりはじめた枯葉を踏み歩きながら、徳儒は横を歩く従兄に問いかけた。


 伯女には「我々が戻ってくるまでに今日習った詩を諳んじられるように」と言い置き、散策がてらふたり中庭に出たのである。季珪の家も墻の補修は半ば以上済んでいるらしく、眺めるでもなく左右を見渡すと、ふるい層に比べてどことなく明るさを残した土の肌が遠目にもよく映えた。


「嫁ぎ先でまで学をひけらかすようになったら、夫や義父母から疎まれてつらいめに遭うのはあれ自身だ。不用意に増長しそうな芽は早目に抑えておくに越したことはない」


「そりゃそうですが、最初はあれに女児のたしなみ程度の字を教えるだけのつもりだったのが、経書の講釈にまで手を伸ばされたのは兄さん自身じゃありませんか」


「それは、―――存外、呑み込みが早かったからだ」


「学ぶ楽しさを垣間見せておきながら、半端なとこで断ち切るってのは酷なことですよ」


「あれが書物を好むらしいのは知っている。

 が、女子の本分はむろんそんなところにはない。まして亡き兄上から委ねられたむすめなのだ。婦徳の何たるかは早いうちからよくよく分からせておかねばならん。

 ―――それでこそ、婚家で末永く大切にされるというものだ」


 口調のいかめしさは相変わらずだったが、結局のところ最後のひとことが季珪兄の真情なのであろう、と徳儒には問わずして分かった。

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