第108話 恋螢ポエトリー


 穏やかな沈黙の漣は揺らぎ、君はYシャツに見惚れた螢火を逃がしてやるためにシャツの透明なボタンを外した。


 螢火は瞬く間に気まぐれを装って、惣闇へと浮かばれない魂が昇天するように遁走しながら飛び去った。



「私はもっと知りたいの。知りたいだけだよ、本当に」


 夜話で語り継がれる啜り泣きは一刻も早まらず、決して止まらなかった。



「私は私の自由が欲しかったの。私は私じゃない気がしていたんだ。小さい頃から他の子と違うって何となく、分かっていて毎日ズレを感じながら生きてきた。私の中にある自由がなかった。みんなは持ち合わせているはずの自由が私には一つもなかった」


 一匹の恋螢が私の手に止まり、鼈甲細工で出来た万華鏡が巡り回るように燈火を点した。



「それを」


 その仲間外れの螢は霞雲に覆われた梅雨空に向かって飛んでいった。



「真君は与えてくれたんだ、私にあるはずの自由を。心の重荷を取り払ってくれた」


 水上から人影がかすかに見え、憂いに満ちた、とある憐れむべき少年の面影が蒼い闇の花影に浮かんでいく。



「こんな僕が?」


 凍えた声の波は小さかった。



「僕は他者から宝物を奪ってばかりで、何も与えてこなかったのに?」


 私は重い首を大きく横に振った。違うよ、と強く言い切った。


「真君はもっと自信をもって、ねえ、そうでしょう?」


 

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