赤い涙はさようなら
詩歩子
恋の初風
第1話 雨垂れ少女
透明な長針のような水滴が硬い地表を叩く音が聞こえる。
釈然としない長雨が降りしきる日曜日、私は少女漫画をぺらぺらとめくりながら西の窓辺の微光を浴びた。
雨垂れが硝子を叩き、真昼にも関わらず強弱を交互に入れ替える、冷たい雨の音。
襖のみでしか仕切られていない隣の畳部屋からは刺さるような、煌々たる光が漏れている。
ため息をつくとお兄ちゃんはサイダーを求めて部屋を横切っていった。威圧感を与えるそのドスドスとした音さえも不甲斐なさを突かれたような気がしてはならない。
「おい、お前」
その捨て台詞もいつもなら気にしないのに今日に限って不快感を覚えた。
お兄ちゃんは長時間勉強するとその合間にサイダーを飲むのだ。
夜遅くにサイダーの缶を握っているのを何度か見たことがある。
「今日から親戚の子が来るんだよ。いつもお前の部屋は散らかっているけれど、今日くらいは片付けておけよ。今日からそいつはずっと俺たちの家に居候するみたいだし」
「何よ、そんな話。聞いてないって」
「四月に父さんが近いうちに親戚の子が来るって言っていたじゃないか。まさかお前、もうそれも忘れたのかよ」
「忘れたっていうけれどその話あまりにも突然すぎるわよ」
しかめ面をするとお兄ちゃんもまたしかめ面で返した。それだけでは説明されても話は掴めない。
「俺だって不満はたくさんあるさ。ほら、父さんが近々親戚の子をしばらくうちで預けるからと言っていたあの話だよ」
私は記億の倉庫から一本の糸を手繰り寄せてみた。
その効果あってか、お父さんが夕食にぼそぼそと話していたのが目に浮んだ。
まさか離婚の話を切り出すのではないか、と内心ではすごく心配だったけれども、それは杞憂に終わり、確か、これから親戚の子を預けることになったから、よろしく頼むという話だったような気がした。
ああ、そのときのハンバーグがあまりにもおいしかったから、話を半分聞いていなかったんだ。
「やっと思い出した」
「やっと思い出したのか。全くお前ってやつはこれだから……。それはともかく不自然な点が多いよな。その話」
お兄ちゃんのきつい言い方にはいい加減にして欲しい。
天狗鼻の人にはそれとなく話すのがいいコツだ。
「家系図がありそうな名家なら、本家だとか分家だとか、色々あって名前も知らない親戚がいるかもしれないが、うちはそんな高貴な家柄でもないだろう。何かがおかしくないか。しかも、そいつは男子だって聞いたんだ」
思春期を迎えたばかりのか弱い! 女の子が子の家にはいるって言うのに何だ、それは。
お兄ちゃんの服だって、一緒に洗濯物を洗ってほしくないときだってあるのに、まさか、また野郎が増えるの?
「その子って男子なわけ。はあ、嫌だ!」
「待った、待った。そんな驚くこともないだろう。母さんから俺がしつこく粘って聞いたことだから、お前は知らなくて当然だよ。だけど何かその辺も怪しくないか。普通は教えるだろう。名前と性別くらい」
「怪しいって……。何が?」
「そいつは父さんの隠し子で、母親が夜逃げしたから仕方なくうちに転がり込んできたんだ」
ぷっと噴き出してしまいそうになり、優等生のお兄ちゃんがそんな妄想に耽っていたんだね、と私は思わず、苦笑いした。
「それって昼ドラの見すぎじゃない?」
笑いをこらえながら言うとお兄ちゃんはさらに大真面目な表情を見せる。
「よく考えてみろよ。名前も知らされないなんて絶対裏に何かあると思う」
「お父さんには愛人を養えるほどの経済力もないし、お母さんが許せないと思う。どっかのお金持ちじゃあるまいし、お父さんは浮気なんかしないよ」
「本妻が引き取るという最悪のケースだよ。それはともかく、この散らかった部屋をいい加減片づけろよ。隠し子も笑ってしまうぜ」
お兄ちゃんは吐き捨てるように言うと、さっさと自分の部屋へ戻ってしまった。
抜群の集中力を少しでもいいから分けて欲しい。
どうして、同じ親から生まれた兄妹でもここまで差があるのか知りたかった。
「いいよね。お兄ちゃんはその子と同性だし。私なんか……」
「俺だって受験生だ。ガキが一人増えたらたまるかよ!」
嫌味のように言った言葉が大きかったためか、襖越しから罵詈が聞こえる。
その見知らぬ親戚の子が邪魔するくらい不良であったり、基礎の基礎をちっともわかっていなかったりとしたら、お兄ちゃんはそいつのことを構い、その完璧な成績に少しは影響が出るのではないか、と私は変に納得した。
「全くお前の部屋はいつも散らかり放題だ。男でもこんなに散らかっている人はいないさ」
「受験が近いんでしょう。お兄ちゃん」
「ごろごろと漫画を読んでだらしのない誰かさんには言われたくないは」
「それって嫌味でしょう!」
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