第26話
「あの人から全部聞いたんでしょ?」
「うわっ」
逡巡していたら音もなく周が理央の隣に立っていた。それに驚き声を上げる理央。それに構わず周は繰り返し尋ねる。
「あの人からどんなことを聞いた?」
数秒、間を開け理央は答えた。あの人とは十中八九、帆高のことだろう。察した理央は聞いたことを伝えた。
「パーティーみたいな催しで小競り合いになって、ここで再会してまた喧嘩になったって…」
「そう…」
周はやや下を向き何かを決心したかのように語り始める。
「日本最高峰のホテルのパティシエ、部門長まで上り詰めた若き料理人、泉雅子。私はあの人に出会って変わった」
「もちろん、当時の働いていた姿は知らない。でも雅子さんに教わってから私は、私ができることを今の今までやってきた」
昨日の帆貴の姿が思い出される。雅子の名前が周の口からも発せられた。人気者だな、母さん、と理央は思った。
「幼いころ、雅子さんに出会ってそれから雅子さんの働いている洋菓子屋に顔を出すようになった。ナビアから調理器具とかその他にも商品を卸している関係もあってよりつながりができたの」
「ある時、雅子さんから味に敏感なご子息がいることを聞いたの。あなたは覚えてないでしょうけど、私が作ったお菓子を理央が食べて間接的にアドバイスをくれた。周りは当たり障りのない評価しかくれなかったけどあなたはちゃんと調理に関して私に伝えてくれた。今でもその言葉、覚えてる。簡単な言葉だったけど、心の中に火か着いたっていうか…」
理央は彼女の独白を聞いてはいたが当惑していた。
「それから私は雅子さんに頼んであなたに認められるまであなたに作ったお菓子を食べてもらっては作り直してを繰り返してある日、やっとおいしいって言葉をもらった」
「それから料理をするたびに自然と理央がおいしいと認める料理を作ろうって考えてた。そのとき思ったの。あなたのこと追いかけてるって。一時的なものだろうと思っていたけどもう何年も、今もその時のまま。理央のことは以前から見たこともあるし、雰囲気は知ってた…でもこの前ちゃんと自分の作ったものを目の前で食べておいしいって言ってくれたことがとてもうれしくて…」
「私は料理を通じて家族や周りの人、多くの人に笑い合って楽しく過ごせるような、そんな料理作りができる人になりたい。あなたは多分その夢を叶えてくれる人なのかもって…」
理央は何とも言えない告白なのか憧れなのかわからない想いを聞いて胸を締め付けられるような気になった。
「…雅子さんに田ノ浦高校に進学することを伝えて、理央に入学を進めるように言った。ナビアでアルバイトするからアルバイトするなら面倒を見るって伝えた。熊谷と仲がいいことを知ってここでのアルバイトを進めるように促した。そしてあなたはここへ来て、アルバイトを始めてくれた…家庭科部に入ってその流れで来店したのは想定外だったけど」
理央は振り絞るように言葉を発した。
「なんで、どうして、そんなに…」
周はその言葉を聞いて下唇を噛み、顔を歪め、理央を睨みつけた。
「ここまで言ってまだわからない?」
周は理央の言葉に噛みつくように声を荒げた。彼女の頬はやや紅潮していた。
「家庭科部じゃなくても私が料理作り教えてあげられるしもっとおいしいお菓子つくれるよ!」
「ちゃんとした調理方法を教えてあげられるし場所や食材だって用意できる!」
理央はやや身を引いて戸惑って周から顔をそらした。
「そっか、きれいだもんね、あの人。スタイルいいし、出るとこでてるし」
「ああいう、落ち着いた年上のお嬢さんみたいな人がいいんだ?」
「あの人目当てで家庭科部に入ったの?」
「さっきもかわいい子と話ししていたもんね!」
「美人な人ならだれでもいいんだ!」
「ねぇ!私の目を見て答えてよ!」
あの人とは間違いなく帆貴だろう。かわいい子は雅弥のことを指しているのかと理央は推測した。
目を見開き、顔を近づけた周の矢継ぎ早の質問に責め立てられていたがその時大江が帰ってきた。
「いや~まいった、まいった。いきなり商品がないからって当日に呼び出さなくてもいいのにな~」
大江は愚痴をこぼしながら、レジカウンターの前まで来た。
「ただいま。…どうしたの?そんな恰好して」
理央は両手を胸当たりまで上げ壁を作るようにして手を開き、のけぞるようにして固まっていた格好だった。
「あ、いや…」
周の方を見るとすでにそこには立っておらず事務室の奥の机で資料を読んでいた。
「そろそろ、閉店準備しよっか」
「…はい」
周が何事もなかったかのようにもくもくと閉店準備を進め、それを補助するように理央も手伝った。
一通り、閉店準備を終えて、ロッカーで支度し大江の方へ向かう。
「お先、失礼します」
周が大江に挨拶するとすぐに退店した。
理央も遅れてそれにならいって挨拶しようとした。
「泉…君、ちょっと時間もらってもいいかな?」
大江が苦笑いで理央を引き留めた。
「どうぞ、座って」
近くの椅子に腰かける理央は何か話でもあるのかと不思議がっていた。
「周さんと今日あんまりいい空気じゃなかったぽいからどうしたのかなって思ってね。僕の勘違いならいいんだけど、この前とはえらく言葉を交える回数が少なかったようにも見えたから」
理央は咄嗟に言葉を発する。
「いや、大した事ではないんですけど、学校でちょっといざこざがあってその関係で…」
「そっか…彼女についてどれくらい知ってる?」
理央は唐突な質問の意図がわからなかった。
「先週会ったばかりなので…強いていえば料理について勉強しているっていうくらいですかね」
理央は先ほどの周とのやり取りは話さないでいた。理解が追い付いていないせいでもあったが。
「そうか…」
大江は天井に目をやり、目線を戻し周について理央に教え始めた。
「ホライゾングループって知ってるかな?」
「ホライゾン…名前はどこかで…」
「ホライゾングループ会長、平将たいらまさるは周さんのお父さんなんだ」
理央はまだ大江の言いたいことがわからないでいた。大江が説明を続ける。
「平将会長は芸大卒業後、食に係るコンサルタント会社を企業した。ベンチャー企業としてその人脈と手腕を活かし瞬く間に会社は成長していった」
「依頼を受けるうちに自らで関係する会社をいくつも立ち上げていった。高級外食店、料理学校や教室、調理器具、食品等、次々と食に関する分野の会社を自らの手で起業し創り上げてきた。そしてこのナビアもグループの中の一つの会社」
「最初の企業を立ち上げて30年弱でホライゾングループの売上は年間数千億円に上る。会長は一代でそれを成し遂げた」
「会長は実業家としてだけではなく自身で食のプロデュースも行っていてね。今でも世界的な会議や催事では料理を提供する際に会長自身が統括することもある」
「会長は伝統的なフランス料理を提供するお店の息子だった。そこがルーツとなっていると思う。実家で料理はもちろん経営も学びそれが今に繋がっているんじゃないかな」
「会長の才能は娘の周さんにも受け継がれているように感じるよ」
「周さんは会長の方針と自らの思いで料理学校や高級料理店に通いながら外食、販売の現場に立ち、経験を積んでいる」
「初めて会ったときはいきなり仕事のことについて聞かれたよ。店舗での様々な数値管理、仕入れ、労務管理、衛生管理、商品について…彼女はすでに理解をした上で僕に質問してきていたのが分かった。彼女はもう店長やSVを任せられるくらいの素質は持っている」
「会長の娘であることを自覚し自らも会長のように成長していきたいという気概も感じる」
「才能だけじゃない努力もしている。けど彼女はどこか…孤独というかそれに近い孤高のような雰囲気なんだ」
「周りには当たり障りのないような関係を築いてはいるけどどこか寂しそうというか」
理央は太陽のように明るい周の印象が強く孤高といったことを感じたことはなかった。
「アルバイトし始めてここに様子を見に来たときは以前よりも影があるっていうか忙殺されて気が滅入っているんじゃないかと感じたよ」
「以前、会長本人から電話で周さんがここで働くことを知ったらしくここを管轄している僕やここの店長に『構ってやれていないがどうか娘をよろしくお願いします』って言われちゃってね。この街とは離れて都内で過密なスケジュールで活動している会長から直々にいわれて気づいたけど父親として周さんのこと気にしてるんだなって」
「彼女なりに実現したいことがあると理解はしているんだ。でもその過程で精神的に落ち込んでしまっては元も子もない。どうにか彼女の心にかかった影というか被膜のようなものを取り除いてあげたかった。だけども何もできずにいた。そんなある日、周さんが今まで見せたこともない笑顔で僕に泉君がアルバイトの募集を見てきてくれたから面接をセッティングしてくれって言ってきてね」
「彼女がそんな雰囲気だったからどんな人なのかと思ったら普通の男子高校生だった」
「そしてバイトにやってきて、初日にはハツラツとして君に教えている姿を陰ながら見ていてやっと年相応の学生の姿をみせてくれたと安心していたのが僕の本音」
「泉君に何か思うところがあるのは間違いないと思う。だからお願いしたいことがある」
大江はこれまでで一番の真剣な表情を見せた。
「彼女をどうかよろしくお願いします」
綺麗に頭を下げお辞儀をした。
「いや、自分はそんな大層なことは…」
「これは会長に言われたから、触発されたとかではなくて、彼女の手助けをしてあげてほしい。もちろん一から十までとかでなくて、具体的に何かと言われると難しいけど泉君にしかできないささやかな思いやりとかね?」
大江は理央に困ったようなそれでいて優しさを含んだ微笑みを見せた。
「…考えてみます」
「遅くなっちゃね。あがろうか」
理央は周についての多くのことを知らされ、そして周に気をかけてほしい旨を伝えられた。
理央の本音はパンク寸前な心持ちだった。帆貴の想いや境遇、周の理央が知らない暗い一面や生い立ち。昨日今日で中学生活の思い出分があるんじゃないかという出来事が立て続けに起こり、どうしていいかわからずにいた。
店を出て暗くなった夜空を眺めながら軽くため息をつく。
「帰って考えよう、ちょっと疲れた…」
『Qui aime bien châtie bien.』
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