第47話 きっかけ

 どうやら私達がぶつかったのは、東京湾に近い埠頭に建てられた倉庫街の内の一つだったようだ。


 その倉庫街を抜けると直ぐに東京湾が見えてきた。


「お兄ちゃん、見えてきたよ・・・」


 私は、肩で支えているお兄ちゃんにそう伝える。

 だがお兄ちゃんは、どれだけ呼びかけても応えてはくれなかった。


 私は、雨粒に打たれながらお兄ちゃんと一緒に進んだ。


 そして、遂に東京湾へとたどり着いた。


「ふぅ・・・んしょと」


 肩で支えていたお兄ちゃんを地面に下ろし、湾内を見渡す。


 波は少し荒れていたが、私の"能力"を使えばそこら辺の船を使って渡れないという程ではない。


 加えて、湾内には、動かずに放置されている船が残っている。


 これで、少なくとも千葉へは行けるだろう。


 問題は、お兄ちゃんがそこまで耐えられるのかという話だ。


 私は、湾内の様子から倒れているお兄ちゃんへと目を移す。


 ライオウからの攻撃によって出来た胸の傷には、道中でおじいちゃんが手当てしようとしたのか、包帯が巻かれていた。


 でも、お兄ちゃんはぐったりとしていて、その目は固く閉じられている。


 鼻の辺りに手を当てると呼吸はしていたが、それはとても弱々しく、いつ止まってもおかしくないように感じられた。


「うぅ・・・!」


 私は、お兄ちゃんにすがりついた。


 こんな事している場合じゃないのは分かっているのに、堪える事が出来なかった。



 怜くん、若菜ちゃん、おじいちゃん、



 そして、真司。



 みんな、もう居ない。


 それに、このままだとお兄ちゃんも居なくなってしまう。


「ぐすっ・・・お兄ちゃん・・・」


 どうして・・・


 どうしてこんな事になっちゃったんだろう?


 世界が変わってからずっと考えている疑問が、私の中を駆け巡る。


 涙が自然と溢れ、覗き込んでいるお兄ちゃんの額に、頬に、唇に落ちた。


 そして、唇に落ちた涙の粒が流れてお兄ちゃんの口の中に入る。



 その時、



 倒れているお兄ちゃんの掌から水が生まれ、私達を守るように包み込んだ。


「えっ・・・?」


 それは、私の『水を生成し、それを操る能力』と全くだった。



 ◆◆◆



 暗く冷たく、自分の意識すらはっきりしない場所。


 自分というものの輪郭すら分からなくなりそうな場所に俺はいた。


 このまま戻れなくなりそうな、そんな予感がした。


 だけど、何か暖かいモノが俺の顔に触れた。


 その暖かさは、消えそうだった俺という人間の輪郭をはっきりとさせ、その暖かさの一粒が俺の口の中に入る。


 俺は、それを無意識に飲み込んだ。


 すると、じんわりとその暖かさが全身に広がっていく。


 身体でも心でもないものが、俺の中でゆっくりと目覚めていく。



 それは、或いは『きっかけ』と、そう呼べるものだったのかもしれない。



 ◆◆◆



「なっ、なんで・・・!?」


 私は、お兄ちゃんが作った水の繭に包まれながら困惑した声を漏らす。


(お兄ちゃん、自分に"能力"はないって確かに言って・・・嘘だったの?いや・・・)


 お兄ちゃんは、『きっかけ』がないとも言っていた。


 ならばこれは、たった今、お兄ちゃんの"能力"が目覚めたという事か?


「でも・・・ならなんで私と同じ・・・」


 "能力"の発現する法則なんて分からないが、全く同じ"能力"なんてあり得るのだろうか?


 何かが引っかかる。


 頭の中で『同じ』という言葉がぐるぐると回り、似た言葉が浮かんでくる。


(同じ、同じ・・・同等とか同格とか・・・或いは、真似る?・・・真似・・・模倣、模写・・・コピー!?)


「まさか・・・!」


 ある一つの考えにたどり着いた私は、さっき腕を掴まれた際に付いたおじいちゃんの血を拭った。


 それをお兄ちゃんの口元に近づけ、血を飲ませる。


 おじいちゃんは"能力"によって傷や病に強くなっていた。


 もし私の予想が正しければ、もしかしたら・・・


「あっ・・・!」


 血を流し込んだ直後、お兄ちゃんの傷口から出血が止まり、青ざめていた顔色も少し良くなる。


 私は、自分の予想を確信に変えた。


「やっぱり、お兄ちゃんの"能力"って・・・」


 ならば、まだ『希望』はあるのかもしれない。


 もしこの人がこの先も生き延びる事が出来たのなら、いつかライオウに・・・いや、それどころか、こんな事になってしまったこの世界さえも――


 私は、お兄ちゃんの髪をそっと撫でた。


 そして、迷った。


 私の考えている事は、はたしてこの人にとって本当に良い事なんだろうか、と。


 だってお兄ちゃんは、目覚めたら間違いなく自分の"能力"に気づく。


 それで後悔するんだ。

 もっと早くに気づいていればって。


 自分を責めながら、時には誰かに責められながら、それでもお兄ちゃんは戦うのだろう。


 誰かに応える為に、その命が果てるまで戦い続けるのだろう。


 そういう人間で、いつか『輝くもの』に成って、消えてしまう人。


 私は、そんなあなたが嫌いで・・・



 でも、



「それが・・・あなたの『夢』、なんだもんね・・・お兄ちゃん」


 ならば私のやる事は、もう決まっている。


 急がないと。

 雷が近くで落ちた。


 ライオウが近づいてきている。


 今からでは、船で逃げても海上でヤツに補足されてしまうだろう。


 だから海の上ではなく、海の中にお兄ちゃんを逃がす。


 私の"能力"で作った水は、やろうと思えば他の水と溶け合わないようにして、水の中に空間を作る事も出来る。


 そうすれば、海中の中でも窒息せずに済む。


 私は、お兄ちゃんが作った水の繭から抜け出すと、自分の"能力"でさらにその繭を覆った。


 そして、ゆっくりとお兄ちゃんを水の中に沈めながら、語りかけた。


「お兄ちゃん、水の中は見つけにくいけど、海流任せで動きが遅いんだ。だから、あなたが少しでも遠くへ逃げられるように、今度は私が時間を稼ぐからね」


 私の言葉にお兄ちゃんは、目を閉じたままだ。


 それでも、私は構わず続けた。


「ごめんね、せっかく助けに来てくれたのに・・・でもこの先、何日、何ヵ月、何年後かに目覚めた時、きっとお兄ちゃんは、この世で最も強い人になる。その時こそ沢山の人を助けてあげて・・・」


 そして、


「戦ってくれて・・・ありがとう」


 お兄ちゃんが完全に水の中に沈んだ。

 このまま海流に流されていけば、東京から脱出出来るだろう。


 同時に雷が落ちる音が響いて、ライオウが姿を現した。


 ヤツは私の方を見ると、少し不思議そうな顔をした。


「もう一人、ぶっ倒れてた奴がいただろ?どこ行った?」


「さぁね・・・」


 私は質問には教えず、掌から大量の水を生成する。


 ライオウはそれを止める訳でもなく、私を見つめたまま言った。


「そうか。まぁ、あんな攻撃で倒れる奴どうだっていいんだがな」


 ライオウが拳を握り締め、身体を帯電させる。


 私も生成した水を鞭のようにしならせ、対峙する。


 一瞬の沈黙、


 その後、水と雷が衝突した。

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