始章・マリアの新たな仕事———*



「ちょっとマリア……また皿を割ったのかい?! 今週に入って三度目じゃないか……」


 厨房の床に散らばる陶器の破片とともに、厨房長の女のけたたましい罵声が飛んだ。

 申し訳ありません、と慌てた様子で頭を下げるのは——この国の者には珍しい、ストロベリーブロンドの髪色とアメジストの瞳を持つ下働きのマリア。年齢はせいぜい十七、八といったところだろうか。


「まったく、洗い物もろくに出来やしないだなんて。ここはもういいから! アレッタ様のところに行って、別の仕事を回してもらいな。ああそれから。お皿を割ったぶん、今夜のあんたの食事は抜きだよ!」


「……はい」

 マリアは皿の破片を拾いながら小さく返事を返す。彼女の隣にすっとひざまずいたのは、使用人仲間でルームメイドでもあるクロエだ。

 破片を拾うのを手伝いながら、クロエはマリアにそっとウィンクを送る……気にすることないって。


 一年ほど前にウェイン城に流れ着いてからというもの、マリアは下働きの使用人として持ち場を転々としている。そして数日前、この(まるで戦地のような!)厨房に配属になった。


 友人の優しさは身にしみて嬉しかったけれど、何よりドジすぎる自分が情けない。

 ウエストエンパイア(西帝国)の端っこにあるこのウェイン城に身を隠し、使用人として働き始めてからすでに一年が経つというのに……どこに行っても、何をしてもうまくいかないのだ。


 ——小さい頃からずっと塔の部屋の中に閉じ込められていて、これまで仕事らしいことなんて何もしてこなかったから? いいえ、それだけではないわ。下働きの仕事もですもの。情けないけれど、私にはそのが無いのかも……。


 なんて落ち込んでいると、頭の上からまた罵声が降ってきた。


「ほらクロエ! 晩餐が始まる時間だ。あんたはさっさと料理を運んで! マリアは一体いつまでそうしてるつもりさ?! それを片付けたら早く出て行って。そこにいられるとみんなの邪魔なのよ」


「は、はいっ!」

 慌てて立ち上がれば、膝上のエプロンの中に収めていたはずの破片の幾つかがガチャリと落下する。

 どこからともなく「チッ……」と、舌打ちがして。マリアはいよいよ、いたたまれなくなるのだった。


 

 メイド長のアレッタは、マリアの顔を見るなりさも困ったふうにため息をついた。


「ああ、マリア……またあなたですか。この時間は猫の手も借りたいほどに忙しいはずです。なのに厨房を追い出されるとは」


 長年の経験を重ねてきたはずの壮年のメイド長は、手のひらで額を覆い、はぁぁ……と殊更に大きく息をく。


「アレッタ様、本当にっ、申し訳ありません。私、ここに置いてもらえるならどんなことでもしますから……。人が嫌がることでも何でもします。ですから、どうか私に仕事をお与えください」


 そうねぇ——と、思案を巡らせていたメイド長だが。ふと思い出したように手のひらをパンと叩いた。


「人手は、足りていないのです。マリア。あなたを追い出す気はありません。それに私は期待もしているのです。そこであなたに、特別な仕事を与えましょう」

「特別な……仕事ですか?」

「ええ! 世話好きのあなたにはうってつけかと」


 突然に笑顔を取り戻したメイド長が、マリアにそっと耳打ちをする。

 こそこそと耳に飛び込んだ思いもよらない文言に、アメジストの瞳が大きく見見開いた。


「……囚人の配膳係ですって?!」

「シッ! 声が大きい。実は殺人の疑いのかかる者が西の砦で捕らえられたのです。かれこれ十日にもなるというのに一向に口を割らず、人違いだとの一点張りで。それどころか……」


 ここまで言いかけたのに、メイド長はふ、と口をつぐんだ。


「まぁ、地下牢に行ってみればわかります。看守には、私の方から話を通しておきましょう」


「はい……」

 よりによって殺人の疑いのかかる囚人に関わるなんて!

 いくら帝国軍の殺戮によって血生臭い人殺しの現場を目の当たりにしてきたマリアでも、さすがに腰がひけてしまう。


「あの囚人の世話役として、最初の仕事をあなたに与えます。早速ですが、あの者に食事を届けて頂戴。囚人の食事は一日二度だけ。食の恩赦を受けておきながら、あの者はほとんど口にしないそうですよ? あなたのような若い娘が行けば、あの男のかたくなな態度も変わるかも知れません」


 ——女が行けば態度が変わる? そのひと言で怖さが増しました。


「……承知、いたしました。こんな私にも仕事を与えてくださって有難うございます……アレッタ様」


 丁寧に頭を下げてからすごすごと踵をかえすマリアの背中を見届けながら、メイド長は肩を落とした。


「あの囚人。自暴自棄になっているのか看守にまで暴力を振るい、狂人のような戯言たわごとを繰り返すと聞く。

 さて……マリアがあの者にどう接するのか。今まで女を世話役に使った事もあったが、三日と持たなかった。マリアもすぐに弱音を吐くのか、案外うまくやるのか。しばらく様子を見るとしましょう」







 地下牢へと続く薄暗い階段は古びた燭台が点々と灯っているだけで、周囲はひどく暗い。足元を取られないよう、マリアは用心深く足を運んだ。


 暗い場所を歩く時は当然のように手燭を持つのだが、今は両手が塞がっているのでそれもできない。

 大切そうに抱える傷だらけのトレイの上には、カビた硬いパンが一つと具がほとんど入っていない冷めたキャベツのスープが無造作に乗っかっていた。


 ——囚人の食事ってこんな感じなのね。最低限の、とても粗末なものだわ。 


 亡き母親とともにかつては離塔に幽閉され、着るものもままならなかったが、食事だけはきちんと与えられていた。

 十本の指で足りる数の従者と数名のメイドたち。そして最愛の母……それがマリアの世界の全てだった。けれど不満はなかった。


「きゃっ」


 気を抜いた拍子に転びそうになる。大きなトレイが邪魔をして足元がよく見えず、階段を踏み外しかけたのだ。




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