第2話 私刑について そのニ
さて、「俺はfactによる罰を与えている」に対する反論ですね。
話は変わりますけれども信号ってありますよね。赤黄緑のやつね。あれを無視される方がいます。もちろん言い分は
「いや明らかに車来てへんやん」
ということでしょうが、しかし一方で事故の四割は信号無視が原因であることを考慮しなければなりません。明らかに事故の可能性がない時に限り信号無視しているはずがどうして事故の原因の四割をも信号無視が占めるのでしょうか。簡単なことです。
確かに初めは確実に安全な時に信号無視していたでしょう。しかし人間というものは愚かなものですから「安全」の基準がどんどん緩んでいくのでしょう。そして判断を誤って、そうでないのに「安全」と判断してしまうことがあるのでしょう。そうして事故が起こってしまうのです。
だから私はどれだけ安全であっても信号は守るべきだと思うのです。自分の中で基準が緩んでしまうことを危惧して、そして「安全」かどうか自分が見落としている要因があることを危惧して。
同じことがfactによる私刑でも当てはまられと思います。
つまり、確かに一回目はfactによる私刑かもそれないが、一度それを許すと、段々と自分の中で鎖が緩んでopinionによる私刑が起こる可能性がある。そして、自分はfactだと思っているが、なんらかの見落としている要因があってfactではない、opinionの私刑をしてしまう。とこういうことです。そもそも裁判でも冤罪があるのに、一個人がネットの情報だけで判断して罪を加えるということに全くの躊躇がないことが恐ろしいです。
なんですって?
「つまり、factによる私刑それ自体は悪くないとこういうわけね。私は自分でしっかりとfactとopinionを判断してfactの時のみ私刑をしている。火の打ち所がないでしょ(炎上させようがないでしょ、の意らしい)」
しかし、誰がfactかopinionかを判断するかと言ったらそれはあなた個人なのでしょう。あなたは別に特権階級でもなんでもない人なのですから、あなたの持つ「自分でfactだと考えて人に私刑する権利」は日本国民全員が持っていることになります。そうなると絶対「これは自分の中でfactだと思うから」と言ってopinionによる私刑、もしくは快楽のための私刑を行う馬鹿が出てきますからこれは認められません。(そもそも自分が気づいていないだけであなたも馬鹿なのかも)
最後に「いやでも周りもやってるから」と言ってる連中ね。論外です。
周りがやっているからという事は人を殴っても良い理由や誹謗中傷して良い理由にはなりません。それと同じ。
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