第1話 私刑について その一

現代日本には私刑が溢れかえっています。社会悪を犯せば顔が晒され、名前が晒され、住所が晒されます。そして、全く見ず知らずの人が正義面でその人にめちゃくちゃな枚数のピザを送ったするのは本当に怖い事です。

話が変わりますが共通テストの英語で通称「fact」「opinion」問題と呼ばれている問題があります。簡単に言うと選択肢が四つあって、その中からfact(事実)もしくはopinion (意見)を見分けるという問題です。この問題は問題文を読まなくても選択肢があらかた削れるので受験生にとってはありがたい問題なのですが、この問題を通じて文部科学省は伝えたいことがあるのでは、と思います。

もうお分かりでしょう。ネットを使うときはfactとopinionを見分けろ、ということです。

私刑を行う人たちはfactによって裁いているようですがその実opinionによって裁いていることがほとんどです。「彼は悪いことをしたと私は『そう考えたから』」、「彼の行動は厳罰に値すると私は『そう思うから』」ってね。一方、裁判は法と証拠に基づいていますから少なくとも私刑に比べると断然factでしょうね。

opinionによる罰が許容されること、これはとても恐ろしいことです。「私は彼が悪いことをしたと思ったから」ということだけで彼を攻撃できる合法的な理由になるのですから基本的に誰でも攻撃できるようになります。「あいつはいびきがうるさかったんだ」「あいつのせいで黒板が見えなかった」と言って『これは悪いことだと私は思う』と言えば攻撃が合法化されるということですから、恐ろしいことです。

なんですって?

「確かに言い分は分かる。私はopinonによる罰を与えたけれど常識的なopinionだから良いはずだ。攻撃の為の攻撃は許されないが、罰の為の攻撃は許されるべきだ。私は『いびき』ではなく『常識』から罰あるべし、と考えんだ」

このように反論してくる人には以下のように申し上げたい。

「いびき」と「常識」の境目はどこですか?

「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションなのである」

とはアインシュタインの名言ですが、自分の中の「常識」がいつの間にか「非常識」になっていないと胸を張って言えますか?そして、他の人が「あなたの行動は私の常識から照らして罰あるべし!です」と言われたが全く身に覚えがなかった場合、「なら仕方ない」と言って私刑を受けることを許容できますか?

ここでこんな反論が聞こえてきそうです。

「あいつが悪を働いたのは紛れもない事実だ。ネットにもあいつの悪行は上がっている。opinionじゃない。factによる罰を俺は加えたんだ」

これについてはまた語ります。

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