静観


 貴方は、天使ですか。やはり、そうでしたか。

 ええ。分かっています。私を、成仏させに来たんでしょ?


 でも、どうして今なんですか? 私は、この人に取り憑く前、三年間ほど、地縛霊になっていたんですが、その時には来なかったですよね?

 ……ああ、人と直接関わっているから。この世は、生者のためにあるんですね。当たり前のことですが。


 ただ、ちょっと言い訳、いえ、愚痴を言わせさてください。

 私は、この人に危害を加えようとはしていません。そもそも、霊力が弱くて、ティッシュペーパーも動かせないくらいですし、この人は、私の存在に全く気付いていませんし。


 いえ、恨んでいるわけではありません。むしろ守りたいんです。先程言いましたが、霊力が弱くてできないのですが。

 私は、この人に助けられたんです。死んだ後でしたが。


 ……生前の私は、新卒の普通のOLでした。真面目に働いて、ほどほど遊んで、そんな平凡な人生でした。

 だからなのでしょうね。ちょっと羽目を外してみたくて、初めてナンパに応えてみました。


 あ、全部のナンパが悪いわけではないと思いますよ。ただ、私の相手が、とんでもない悪い人で……。

 三人の男の人だったんです。話しかけてきたのは、その内の一人で。みんなと一緒に酒場を回りました。とても楽しかった、というのが正直な気持ちです。


 でも、その人たちは、三対一を望んでいたんです。私はびっくりして、当然、断りました。

 逆上されるかと思ったんですが、意外とすんなり、彼らは引いてくれました。じゃあ、最後に、ここのお店でお別れしようって、残りのお酒を飲んで……急に気持ち悪くなって、倒れてしまいました。


 気が付くと、山の中でした。暗闇の中で、三人の影が慌ただしく動いているのを、ぼんやり立ったまま見ていたんです。

 僅かな明かりと、彼らの話し声から、今、私の死体を埋めようとしているのだということが分かりました。


 どうやら、私をナンパした男性の常套手段として、お酒に睡眠薬を混ぜたものを飲ませて、朦朧としている間にホテルに連れて行こうとしたのですが、私が死んでしまったようです。想定外のことに、彼らは醜いくらいに喧嘩していました。

 それを見ていると、殺された怒りが意外と出て来なくて、私は結構冷静に、周りの様子を見ていました。私の背後には、小さなボロボロの山小屋がありました。正面の向こうには、山道があり、彼らの車が停まっています。


 私を埋めた三人は、そそくさと逃げていってしまいました。登り始めた朝日に向かっていくのを、じっと眺めていました。

 私は、自分の死体が埋まった地点から、動けなくなっていたんです。根が生えてしまったかのように、一歩も踏み出せません。


 ただ、絶望感は薄かったです。この事件は必ず明るみに出て、彼らは逮捕されて、私はいつか掘り返されるだろう。そう思ってたんです。

 でも、それは甘すぎる観測でした。三年間、私はずっとそこにいました。死体を見つけてもらえず。


 思い出してみると、睡眠薬を飲ませた男性の父親は、すごく有名な人だと言っていました。仕事までは言っていませんでしたが、行政を動かせるほどの権力があると自慢していました。

 それじゃあ、私が殺されたことは、揉み消されてしまったんだ。私は、それに気付いて、やっと深く絶望しました。


 私に出来ることは、山道を通り過ぎる車を恨めしそうに眺めるだけです。大体は気付かれていないようでしたが、見えてしまった人は、たまにいたようです。

 殺されてから一年後の夜、「幽霊が出る」という噂を検証しようと、数名の男女が懐中電灯を持って山小屋のそばに現れました。


 私は、今が大チャンスだと、自分の足元を指差して、「ここを掘って」と叫び続けました。その声は聞こえていなかったようですが、若者たちは私の姿を懐中電灯で照らし出しました。

 ああ、気付いてもらった――そう思った途端、悲鳴を上げて、我先にと逃げ出してしまいました。当たり前の反応ですが、当時はとてもショックで、幽霊になってから初めて泣いてしまったくらいです。


 そんなことが、あと二回ほど繰り返されました。心霊スポットに来る人たちって、どうしてここに幽霊が出るのか、考えてはいないんですね。だから、期待しないようになっていました。

 でも、最後に現れた二人は、どう見ても異様だったんです。そもそも、彼らだけは昼に来ていたのですから。


 その二人は、三十代半ばのジャージ姿の男性と、アラサーの黒いツナギの男性でした。どちらも、手にスコップを持っています。

 彼らには、私の姿が見えていないようでした。どうやら、ここに幽霊が出るらしいという情報を信じた人にしか、私の姿が見えないようです。


 そうです。彼らは、心霊スポットだと聞いて、ここに来たわけではなかったんです。それをより裏付けるかのように、地面を注視しながら歩き回り、それぞれ別のところを掘り出しました。

 私の死体を探そうとしている。咄嗟にそう思いました。もちろん、彼らが警察には見えないので、なんで? とは思いましたが、こんなことは初めてでした。


 私は、最初に人があわらわれた時と同じように、地面を指差して、「ここを掘って」と訴えました。しかし、その声も姿も、二人には届きません。

 そこじゃないのに、もうちょっと左なのにとか、もどかしい思いをしながら見ていると、彼らの喋っている内容から、どういう状況なのかが分かってきました。


 私が行方不明になっている三年間、両親は警察以外にも色んな手立てを使って、私のことを探そうとしていました。その中には、アンダーグラウンドな手段も含まれていたようです。

 彼らは元々、依頼を受けて人を殺すことが主な仕事なようです。そして、もしも私が殺されていたら、その犯人を殺してほしいという注文を、両親から受けていました。


 雷に打たれたくらいに衝撃でした。私の家は、普通くらいの仲の良さだと思っていたんですが、私を殺した犯人に復讐したいと両親が思うほどの、激しい怒りと深い愛があったなんて、想像もしませんでした。

 二人のうち、ツナギの方――Yさんと、呼ばれていました、彼が、犯人からここを聞き出して、遺体を探しに来たそうです。


 しばらくして、一番私の近くを掘っていたYさんが、骨の一つを発見しました。その瞬間の「あったぞ!」という興奮した声を聞いて、ジャージの方も走り寄って、一緒にそこを掘り返していきました。

 青いシートの上に、私の骨が一つ一つ、並べられていきました。そうやって、私の元の骨格が、すべて埋まりました。


 ジャージの方は、すごく悲しそうな目で私の骨を見つめていました。反対にYさんは、何も感情が浮かんでいない瞳をしていました。それが、印象に残っています。

 この骨を段ボールに入れて、彼らが自分の車に運ぼうとした時に、自然と私もそれを追いかけることが出来ました。どうやら、山小屋ではなくて自分の体に、私は縛られていたようです。


 車は、私が生前に住んでいた町の飲み屋街に入っていきました。そこの、年季の入ったビジネスホテルに車を停めます。二人は鞄をそれぞれ一つ持って車から降りましたが、車内に私の骨があったので、私はそこに残されました。

 半日後、二人が戻ってきました。二人とも、着替えていましたが、Yさんは髪型もその色も大きく変わっていたので、最初は別人かと思いました。


 ビジネスホテルから出発した車は、長いこと走り続けて、私の実家に辿り着きました。久しぶりの我が家は、以前よりも壁や窓が汚くて、庭も荒れています。彼らは、私の段ボールを持って、玄関のチャイムを押しました。

 出迎えてくれたのは、十個分も年を取ったような姿の両親でした。ゾッとするほどの無表情で、彼らを迎え入れます。


 テーブルに座った四人の内、ジャージだった方が、ポラロイドカメラで撮った一枚の写真を両親に見せました。

 それは、背中にナイフを刺されて、死んでいる男性でした。その横顔を見て、彼が私を殺した人だと気付き、ひっと悲鳴が出そうになるのを手で押さえました。


 Yさんが、この人を殺したと説明されていました。Yさん自身は、書類にハンコを押しているみたいな顔をしているだけです。ただ、それ以上に両親が、この事実に特に反応を示さなかったのが、余計に怖くなりました。

 次に、ジャージの人は、足元の段ボールに目を向けました。中身のことを何も言わずとも、父が、「まさか」と言って立ち上がりました。母は、すでに泣いています。


 両親が段ボールに駆け寄り、蓋を開けました。中にある骨を見て、言葉にならない嗚咽を、ずっと叫んでいました。私も、一緒になって、泣きました。

 ……本来だったら、ここで満足して成仏するか、両親のことを見守っていくのが普通だと思うんです。でも、霊体の自分がどこへでも行けることに気付いた私は、Yさんについていくことにしたんです。


 どうしてYさんだったのか。それは、私のことを見つけてくれて、直接敵討ちしてくれた人、だったというのもありますが、それ以上に、Yさんの人となりが気になっていたんです。

 ほぼ一日一緒にいても、Yさんの口調は定まらず、歩き方や仕草にも統一感が無くて、妙な感じがありました。キャラクターが見えてこないんです。


 その印象は、Yさんに取り憑いてから、さらに強くなっていきました。

 Yさんは都内のあちこちにマンションやアパートを借りていましたが、どこもインテリアのコンセプトが違います。ファッションも髪型も一日ごとに変化して、突然バリカンで頭を剃り出したことも、数回ありました。


 食べ物の好みも、趣味も全然分からないんです。親しい人も現れません。プライベートでの会話の相手は、お店の人くらいでした。

 そう言えば、年に一回、Yさんは花束を持って、山奥の集落にお墓参りに行っていました。お墓と言っても、白い十字架が立っているだけで、眠っている人の名前もYさんとの関係も、全然分からなかったです。


 唯一、Yさんは、毎日最低でも一本、多くて五本、シアターやテレビで映画を見るのだけが定まっていました。それが趣味なんだと思っていましたが、どんな映画でもじっと動かずに凝視していて、どんな内容でも反応しません。まるで何かの儀式のようで、ちょっと不気味でした。

 私を掘り返した時に一緒にいた人は、地下街の端っこで映画のアイテムグッズ屋を営んでいました。ただ、それは表向きで、Yさんに殺人の依頼を伝えたり、武器や情報を売ったりています。どうやら、二人はビジネス上のパートナーのようです。


 「一挙手一投足、映画の真似をしているだけ」……ちょっと前に、そのグッズ屋さんが、Yさんのことをそう言っていて、やっと納得がいきました。

 Yさんが、人を殺す瞬間も、私は見ていました。誰にも気付かれずに命を奪うこともすれば、複数人に囲まれてもそれを上手に切り抜けることも出来ます。それら全て、映画を真似しているからこそ、可能なんだと。


 あ、天使さん、信じていませんね。人間の記憶力や運動能力には限界がある――そう言いたいでしょ?

 確かに、聞いただけだと信じられない気持ちは分かります。でも、私はそのありえない瞬間を、いくつも見てきましたから。全部話したいくらいですよ。


 好き? 恋愛的な気持ちは、Yさんに抱いていないですね。

 何と言いますか、ずっと誰かや何かを演じているから、フィクションの登場人物のようにしか見えないんです。Yさんのことを愛おしく思いますが、きっとこの気持ちは、推しに対する気持ちですね。


 だけど、読み手がいつ自分の推しが死ぬのか分からないように、Yさんのことも、急にこの世から退場してしまいそうで、怖いんです。だから、何もできなくても、見守っていたいと思うんですね。

 もしも、Yさんの最期を見届けられたら、直接話してみたいです。あの時はありがとうございましたって言って、キャラクターの真似を脱いだ、Yさんの言葉を聞いてみたいです。


 でも、それも叶わないんですね。数日後、Yさんは仕事でアメリカに行く予定なんですが、それに同行できないのが残念です。

 最後に、Yさんに挨拶をしても良いですか? こうして寝ている時だけが、Yさんの素の顔なんですよ。結構あどけない表情をしていますよね?


 では、Yさん。私は行ってきます。

 さようなら。どうかお元気で。













































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