トレシアの商人との話すが上手く進んで以降、トーマスはさらにシンシアを商談の場へ連れて行くようになり、一方シンシアも今まで以上に店へ顔を出すようになった。


 ある日、トーマスから東方の茶器を色々と仕入れたから見ておかないか、と誘われ昼下がりにブラッドリー商会の本店を訪れた。


 高級店に類する本店には、常に静かで品のある空気が流れている。もちろん名家の出身であるシンシアも色こそ初夏を思わわせる明るい緑色であるものの、落ち着いたアフタヌーンドレスを纏い、この店の雰囲気に溶け込んでいた。


 東方の茶器はここ数年で一気に人気を博している商品だ。もともとこちらとは違った喫茶文化を育てていたらしきあちらの国の茶器は、茶貿易の反映と同時にこちらへ入り、最近はライセル人の喫茶文化に合わせつつ、あちらの技法で作った陶磁器も多く作られ、お茶の席を賑わせている。シンシアもそのこちらにはない、色使いや異国情緒漂う絵付けに感心していると、不意に声をかけられた。


「あなたがブラッドリーの若奥様かしら」

「えぇ、シンシア・ブラッドリーと申します。どうぞよろしく。ホールトン&ランベルト商会の当主様でいらっしゃいますよね。いつもご贔屓いただき感謝いたします」


 そう言って腰を折るシンシアに視線を走らせる彼女。作法としては決して褒められたものではないが、勝ち気な雰囲気をまとった彼女がすると様になる。そしてニコリと口角を上げると彼女もまた自己紹介をする。


「覚えていただいていて光栄だわ。アデル・ホールトンよ。どうぞよろしく」


 そう言って手を差し出す彼女。その勢いに押され、その手を握りつつシンシアは目の前の女性について記憶を巡らす。


 アデル・ホールトン。ブラッドリー同様に、ライセル王国において知らない人はいないと言われる商会を女性でありながら率いている人物。


 ホールトン&ランベルトは紅茶でも知られているが、ブラッドリーのような紅茶専門の商社ではない。中流から上流向けの食品、食器、雑貨などを扱う店をライセル中に展開する百貨店であり、ブラッドリーにとってはライバルであり、取引先でもある。


 一方アデルは、握手を終えたあと、視線を上に向け、店をぐるりと見回す。


「相変わらず素晴らしい品揃えね。お茶に関するものについて言えば、右に出るものはいないわね」

「お褒めいただき光栄ですわ。あの……ところで、もし御用の方がおられましたらお取次ぎしましょうか?」


 いくらブラッドリーの商売について教わっているとは言え、直接取り引きをするのは商会の従業員の仕事だ。事務所にいる幹部の誰かを呼びに行かせるべきかとシンシアが思案していると、アデルは首を振った。


「いえ、結構よ。今日は仕事で来たわけではないの。たまにはこうして街歩きもして感性を高めないとね」


 と、そこでアデルは良いことを思いついた、とばかりに微笑む。


「そうだわ。せっかくだし奥様がお店を案内してくれる? もうシーズン目前だし、新しい商品も多いのでしょう?」


 その言葉に、向こうで見守っていたブライトが気遣わしげな視線を向けて来るが、シンシアは「大丈夫よ、安心して」とでも言いたげな視線で制し、目の前のアデルに向き直る。


「えぇ、喜んで。おっしゃる通り商品の入れ替えをしたところですので楽しんでいただけると思いますわ。特にご所望の品などございますか」

「そうね、じゃあまずわ今年のイチオシのブレンドを教えてくれる? そろそろガーデンパーティーにも良い時期だし初夏らしいのが良いわ」


 アデルから見てブラッドリーの若奥様は気弱そうだが、しかしその柔和な微笑みと明るい声音には確かな自信がこもっており、アデルは「面白いわね」と心のなかで呟いた。


 その後もアデルはシンシアを試すかのように、茶器や道具の案内を求める。しかしシンシアは流行についても詳しく、的確にアデルの求めるシチュエーションに合った商品を紹介した。「なかなかやるわね」そう彼女が思った時、新たな登場人物の声がかかった。


「アデル! そこで何をしている」

「まあ、お客様としてこちらに来て悪い?」

「旦那様!」


 事務所へ続く一般人は立入禁止のドアから大股でやってきたトーマスは一直線にシンシアとアデルの元へ来て、シンシアをかばうように立つ。そしてアデルと向かい合った。


「別に構わないが、何も妻に案内させることはないだろう。呼んでくれれば私か、無理ならばブライトやロベルに案内させる」


 冷たい視線を真っ直ぐ受けるアデルだが、その視線をもろともせず受け止める。


「良いじゃない。気になったのよ。あの女嫌いのトーマスが妻を娶った、それも相手の家を救済するための政略結婚だと言うから、どんな冷え切った夫婦になるのかしら? と心配していたら、意外と上手く言っていると聞くし、あの女性達を軽蔑して回っていたあなたが妻を商談の場に連れて行っていると聞くじゃない」

「軽蔑しているわけではない。話が合わないと思っているだけだ」

「そんな優しい言い方じゃなかったでしょう。奥様もこの男にいじめられてない?」

「そんな事するわけ無いだろう」

「あら、その割には結婚初日から、奥さんのことを放りっぱなしだったと聞いているけど」


 どんどんと熱を帯びる言い合いに、やや恐怖を感じたシンシアはトーマスの袖を引く。それに気づき、シンシアの顔がひきつっていることに気付いた両者は一旦会話を止める。


「あの……、失礼ですが旦那様とアデル様はどういったご関係で?」


 アデルの言葉ではないが、トーマスは基本的には女性嫌いのようだ。自分のことは妻として尊重してくれていると感じるが、基本的に女性に対し長文を話す方ではないし、ましてやこうして言い合いしている姿は思い浮かばない。


 すると苦笑したトーマスが答える。


「あぁ、なんというかライバルか?」


 その言葉にアデルが反応する。


「ムカつく取引先ともいうわね」


 結局言い合いになる両者にさらにシンシアが顔を引き攣らせていると、アデルが「さて」と目の前の二人に向き直る。


「心配しなくても奥様の案内は上出来すぎるほど素晴らしかったわよ。もっと話してみたいわ。よかったら今度うちにもいらして、あっ、トーマスは良いわよ。どうせ会うのだから」


 そう言って、バッグから取り出したカードをシンシアに渡すと、目線の合図でサッと寄るブライトの持つ伝票にサインすると、


「商品は後で届けてちょうだい。うちの事務所で良いわ」


 と言い残して去っていった。


 残されたのは、唖然とするシンシアと気まずそうなトーマス。そして彼等を気遣わしげに見る従業員たちだ。


「とりあえず、事務所でお茶にでもするか」




 トーマスはそう言ってシンシアの手を取って、階段の方へ向う。それを合図に手を止めていた従業員たちも仕事を再開した。


「済まなかった。ベリルがすぐに知らせてくれたのだが、どうしても離れられなくてな。」

「いえ、たしかに驚きましたけど……無茶を要求されたわけではありませんし。ところで彼女とはいつもあんな感じなのですか?」


 先程の二人の姿が衝撃的すぎて脳裏に蘇るシンシアが問う。その言葉にトーマスが苦笑した。


「あぁ、なんというか彼女は大学時代の同期でな。女性でありながら、卓越した商才を持ち他を圧倒していた。ただいかんせん性格はあの通りなので顔を合わせるとああなるのだが」

「そ、そうなのですね。あと、先程頂いたこのカードなのですがどういたしましょうか」


 そう言ってシンシアは先程もらったカードを机に乗せる。それはホールトン邸でのお茶の誘いだった。直接カードをもらった以上断るのも難しいが、夫の様子を見るにどうするべきか迷ったシンシアだが夫の回答は意外と明快だった。


「あぁ、それなら行ってくると良い。彼女を味方にできればあなたにとっても良いだろうし、良い友人になれると思う」


 その言葉にシンシアは意外そうに首をかしげる。確かにブラッドリーとしても大切な取引先かもしれないが、それ以上に彼女のことを買っているようだ。なにより女性嫌いと公言するトーマスがここまで女性を褒めるのも珍しい。


 そのシンシアの考えに気付いているのかトーマスは笑う。


「別に女性だったら誰でも嫌っているわけではない。事実シンシアのことは好ましいと思っている。あとアデルは口は確かにああだし、恋愛対象には絶対にならないが商売人としては尊敬出来る。私としては恩もあるしな」

「恩ですか?」

「両親が亡くなった後、まだ若かった私がブラッドリー商会を次ぐことにはローグスの財界から反発もあったし、商会を乗っとろうと露骨に動く者もいた。そんな中でいち早く私の味方を買ってくれたのが、うちとの取引も多かったホールトン&ランベルトだ。そして彼等が私に味方するよう働きかけてくれたのが、当時私よりひと足早く、商会で足場を作っていたアデルだった、というわけだ」


 懐かしげに話すトーマスだが、一方シンシアは初めて聞く話にうつむく。


「私、知りませんでしたわ」


 トーマスの両親が早くに亡くなっていることは知っていたし、トーマスが親戚と疎遠であることもなんとなくは聞いていた。だが、実際その頃の話を聞いたことはない。


 だが、弱肉強食のこの世界。いくら優秀でも突然この大きな商会を率いることなったトーマスの苦労は想像も出来ないくらいだろう。まだ自分は全然夫のことを知らない。そうつぶやくシンシアにトーマスは笑う。


「話していないからな。知らなくて当然だ。ま、とにかく口は悪いが、良い人だから心配せずお呼ばれすると良い」


 それだけ言うと、トーマスは仕事を続けなければ、と奥の方へ向かっていった。

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