夏に降る雪、また今日の終わりで

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夏に降る雪、また今日の終わりで



「ねぇ祐介、今日一緒に帰らない?」

「え、あ、ああ、良いけど」

 びっくりして咄嗟に頷いてしまった。

「やった。じゃあ先に校門で待ってて、私ちょっと先生のとこ行かなきゃだから」

「お、おう、わかった」

「じゃあまた」と手を振りながら教室を後にする彼女——柴崎ましろを引きつった苦笑いで見送る。いきなりのことで困惑しているのは俺だけではないようで、俺たちの様子を遠巻きに窺っていた田島と斎藤がすぐさま声をかけてきた。

「えええ、坂場って柴崎さんと仲良かったっけ?」

「今まで二人で喋ってるところなんて見たことないけど」

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔の彼らに、俺はきつねにつままれたような顔を返すしかなかった。

「いや……、小学校の頃は家が近くてよく遊んだけど、中学違かったし高校では一切関わりなかったと思うが」

「はぁぁぁあ、友達だと思ってた幼馴染が高校で再開したらめちゃくちゃ美人になってて、しかも謎に向こうはお前に脈アリみたいな展開ってことか⁉」

 田島が頭を抱えてよく分からないことを嘆いていた。そういえば、こいつが最近読んでいるラノベはそんな感じの内容だったか。ヲタク君さぁ……、と思わずため息をつく。

「柴崎とはマジで何にもないんだって。脈があるとかないとかそういうんじゃなくて、そもそも柴崎が俺に話しかけること自体、脈略がない。昨日までただのクラスメイトでそれ以下でもそれ以上でもなかった」

「じゃあなんでクラス一、いや学校一の美少女である柴崎さんがお前なんかのことを放課後デートに誘ってるんだ⁉ カネか、家族か⁉」

 目を見開いて詰め寄ってくる田島を斎藤と一緒にまぁまぁと宥める。

「金で釣ってもないし家族を人質に脅迫してもない、俺をなんだと思ってんだお前……」

「違うのか? じゃあ、あれだな、お前今日死ぬんだな。だから十五年間アスファルトに張り付いたガム並に浮ついた話のなかったお前に、さすがの神も最後の哀れみを下さったのか……」

 なんで俺はこいつの友達をやっているんだろう? 明日からは少し交友関係を見直そうと考えながら、下駄箱に向かうことにする。

「じゃあ俺行くから。また明日な、斎藤」

「坂場、俺には⁉」

「また明日ー」と朗らかに手を振る斎藤に軽く手を振り返し、うるさいバカは無視して教室を出た。俺が廊下に出てからも田島バカの騒ぐ声が止むことは無かった。



「あっちぃ……」 

 まだ七月の上旬だというのに、傾き始めた太陽はジリジリと容赦ない日差しを浴びせてくる。これを初夏だと言い張るのは流石に無理があると思う。現状でこれなら八月とかもう四〇度連発じゃないだろうか……。

 しかしまぁ、一体どういうワケがあって柴崎は一緒に帰ろうなんて言い出したんだろう、それも高校入学から三か月ほど経ったこのタイミングで。そりゃ入学して間もない頃は何度か話しかけようと思ったけれど、結局ちゃんと喋る機会を逃したままだった。だって向こうが俺のこと覚えてなかったらショックでヘコむし。けれど彼女の方から声をかけてきたってことは、俺のことを忘れてしまったわけではないようだ。それは素直にうれしいしホッとした。だがそれならそれで、なんで今更になって——

「ごめん待った?」

「ひょあぁ⁉ あ、なんだ柴崎か。いや、大して待ってないよ」

 気づいたら真横に柴崎が立っていた。びっくりしてめちゃくちゃ情けない声が出てしまったが多分聞かれていないのでセーフだ。

「ふふ、『ひょあぁ⁉』だって」

 アウトだった、それも空振り三振レベルでわかりやすく。

「もうちょっと遠くから声かけてくれよ……」

「ごめんごめん、なんか考え事してるみたいだったから、つい」 

 柴崎はいたずらが成功した子どものように明るく笑った。対する俺は恥ずかしいやら何やらで気まずく頭を掻くしかない。

「それじゃあ、行こっか」

 笑い終えると彼女はさっさと歩き始めてしまったので、俺は慌てて後を追った。



 俺と柴崎はそれぞれの自宅からほど近いファミレスに来ていた。すんなり家に帰るものだと思っていたが、前を歩いていた彼女が店の前で足を止めたのだ。多少なりとも気を遣って「少し寄っていくか」と提案してみたところ、彼女はまるでその言葉を長い間待っていたような、いやむしろ俺がそう言い出すことを分かっていたような、優しい穏やかな笑みを浮かべて首肯した。それは小学生の頃の無邪気な笑顔とも、高校のクラスメイトと話すときの陽気な笑顔とも違って見えた。

「ねぇ、私の話聞いてる?」

「え、ごめん何だっけ」

 正面に座る柴崎は、ドリンクの入ったグラスを傾けながら不満そうな顔をする。

「やっぱり聞いてなかった。祐介のおばさん、この間スーパーで見たんだけどね、いつまでも若々しくて美人で羨ましいよねって」

「え、あ、うちの母さんのことね。今日帰ったら伝えとくよ、喜ぶと思うし」

 イマイチどう反応していいかわからなくて、当たり障りのないことしか返せなかった。

「……」「……」

 柴崎がストローでズズズとドリンクを吸う音が嫌に響く気がする。沈黙が痛い。

「そういや、えっと、その……」

 話し始めてみたはいいがそれに続く話題が思い浮かばなかった。我ながらコミュ力の低さに絶望してしまいそうだ。

「今日マジ暑いよなー、なんて……」

「ああ、そうえばそうだね」

 柴崎は窓の外に目を遣って「すっかり忘れてた」と小さな声で独りごちた。その横顔には、愁いと少しの自虐が浮き出ているように見える。なぜかはわからないが、この表情に今の彼女のすべてが詰まっているんだと思った。何か言うのも躊躇われて、ただ彼女を見つめていた。ふと目が合った。途端に彼女の瞳から暗い色が消えた、ような気がする。

「どうかした?」

「……いや、なんでもない」

「そっか」

「……」「……」

 再び沈黙。焦るな、ドリンクでも飲んでお茶を濁せばいい。今飲んでいるのはカルピスソーダだが。

「あのさ」 

 反射的に柴崎の顔を見る。

「『どうしていきなり話しかけられたんだ?』って思ってるでしょ」

 思わずグラスを口元に運んでいた手が止まった。突然心の中を見透かされたような感覚だった。

「それも結構親し気に、まるで普段からの友達——祐介にとっての田島くんや斎藤くんみたいに。ごめんね、びっくりしたよね」

 謝罪とは裏腹に、彼女は実に楽しそうな笑顔で「信じなくてもいいけど」と続ける。

「私ね、

「は……?」

 今日を繰り返してる? 

「どういう意味だ?」

「そのままの意味だよ。私——柴崎ましろは、今日——七月四日を、もうかれこれ……二〇〇〇回くらいになるのかな、過ごしてるってこと」

 メニュー表のデザート類を眺めながら、なんでもないように柴崎は言う。二〇〇〇回って……、五年以上?

「いや、待て待て待て。冗談だろ?」

「冗談にしてはぶっ飛んだ話だねぇ」

 柴崎は「冗談なら良かったんだけどね」とからから笑う。

「しょ、証拠は」

 追い詰められた犯人みたいなセリフが口を衝いて出た。人生で初めて言ったかもしれない。

「うーん、はっきりとした証拠は一切用意できないんだよ。記憶以外の全部がリセットされちゃうから。あ、そうだ、ちょっと違うかもしれないけど、祐介が高校数学に早くもつまずきかけてる話とかは?」

「えっ、なんで知って……」

 田島や斎藤はもちろん、親にも相談したことはない話だ。高校から一気に数学が苦手になり、このままだと赤点まっしぐらなのだ。

「そりゃ、本人から聞いたんだよ、。あとは中学からの流れでテニス部に入ってみたけどあんまり楽しくないとか、最近はSF小説にハマってるとか」

 両方とも事実だったが、当然ながら柴崎に話した記憶は一切ない。誰かから言伝に聞いたんだろうか。いや、数学の話はそもそも誰にも言ったことがないから、それもあり得ない。

「何よりも突然こんな風に一緒に帰ろう、なんて言い出したのが良い証拠になるんじゃないかな。昨日の今日じゃ考えられないことでしょ?」

「まぁ、確かに。昨日まではただのクラスメイトだったしな……」

「私にとってそのはもうずいぶん昔のことだけどね。結構な数の今日を祐介と過ごしてきて、そのたびに君は困惑してた」

 懐かしむようにあの優しい笑みを浮かべる柴崎を見て、彼女は嘘をついていないんだと感じた。

「な、なんでループしてるんだ?」

「んー、ざっくり言うと世界が滅ぶから?」

 ざっくりしすぎて全然分からなかった。世界が滅ぶ? 下手するとループよりも突拍子が無さすぎる。俺があからさまに困惑したような顔をしたからか、柴崎は少し申し訳なさそうにしてメニュー表を閉じた。そのままチラと腕時計を確認する。

「今からだいたい一時間後、十七時四六分になったら私の言ってる意味が分かるよ、嫌でもね。で、その世界の消滅を阻止するために、何らかの上位存在に選ばれた者のうちの一人が私……らしい。詳しいことはよくわかんないや」

「らしい、ってなんだそりゃ」

 柴崎は「えっとね」とポケットから取り出したスマホを操作する。

「この人から聞いたんだ」

 差し出された画面には、なにがしかのツイッターアカウントが映し出されていた。

「エリック……、れいす? 誰だこれ」

「エリック・ルイスさん。アメリカの量子力学者で、私と同じく繰り返してる人。こんな風にツイッターとかでに片っ端から声かけて、何とか滅亡を止めようとしてるんだよ」

 まるで他人事みたいに柴崎は「かっこいいよね」と付け加えた。

「なるほど? なら柴崎はそのエリックなんたらさんに協力してる、ヒーロー的な団体の一員ってことか」

 やっと理解が追いついてきた。ループと言えば何らかの課題解決がセットになるのが定石だ。それが『世界の滅亡』というスケールがデカすぎるようにも、まぁお決まりっちゃお決まりにも思える現象だということだ。

 俺が勝手に納得すると、柴崎はストローに口をつけたまま目を丸くしていた。ごくんとドリンクを飲んだ音が聞こえた。そのままグラスを持っていない方の手を若干迷惑そうな感じで振る。

「いや全然違うけど? エリックさんとは何度か連絡取り合っただけで、それ以上のことは何にもないよ。だってほら、向こうの人たちは英語で話すでしょ。しかもすごく難しい専門用語みたいなのいっぱい使うから、日本生まれ日本育ちの私じゃ会話に混ざることすら無理」

 柴崎は愚痴っぽく「言語の壁がなんとかなったとしても」と付け加える。

「アメリカまで飛行機で最低でも十数時間はかかる。目が覚める時間が六時十八分って決まってるから、どんなに急いだってタイムリミットまでには間に合わないんだよねぇ」

「え、連絡取り合ったっていうのは?」

「もちろんSkypeで。あ、Zoomのときもあったかな。毎回アカウント作成から始めなきゃいけないからすごいめんどくさいんだよ、あれ」

「はぁ……」

 SFみたいな展開なのかと少しワクワクしたが全然そんなことなかった。結局ループでもなんでも現実であることは変わらないのか……。

「やっぱりそんな露骨にがっかりされると、一周回って清々しい気分になるね」

 表情に出過ぎていたせいか、柴崎は呆れるように微笑んだ。

「あ、いや、ごめん。そういうつもりじゃ」

「いいよいいよ、

 それは別の今日の俺も同じように勝手に落胆していた、という意味だろうか。ちょっと無遠慮が過ぎたなと反省する。

「申し訳ない……、柴崎には柴崎の苦労があるだろうに」

「別に大した苦労はしてないよ。そりゃあ、ループが始まった最初の数回は結構キツかったけど、もうだいぶ慣れちゃったしね。今はむしろ、時間が無限にあってラッキー、みたいな?」

 柴崎は少しおどけた様子で明るく話す。

「学校サボって一日中ゲームしたり読書したり、日本国内の観光地はだいたい制覇した!」

 俺もその明るいトーンに合わせて、少し大げさに肩をすくめた。

「学校はちゃんと行こうな……。いや、全く同じ授業の内容繰り返すだけだし別にいいのか?」

「ぜんっぜんいい! 流石にただ登校するのは五回くらいで飽きちゃったや。それにもう私ね、なんと高校三年生の範囲まで完璧にマスターしてるんだ」

 えっへん、という効果音が聞こえてきそうなほど綺麗なドヤ顔をするものだから、思わず小さく吹き出してしまった。

「そりゃいいな。じゃあ今度俺に数学を教えてくれ、センセイ」

「えぇ、伸び代無さそうな教え子はちょっと……」

「なんでだよ、あるよ……多分」

 だからそんな露骨にダルそうな顔しないでほしい。あれ、全く清々しくないぞ。


 それから柴崎は、無限のような時間の中で面白かった映画や小説、印象に残った観光地、のうち親しくなった友人のことなどたくさんのことを話してくれた。そうして時間にして五十分ほど経った頃、俺は窓越しに見える外の景色の変化に気づいた。すでに日がほとんど沈みかけて薄暗くなった空に、この時期にはあり得ないはずのものがふわふわと漂うように降っているのだ。

「雪……、なのか? 今は七月のはずだ」

 正確な気温はわからないが、雪が降るような寒さではないことは確かだ。何か知っていないかと柴崎の顔を見る。彼女は頬杖をついたままとてもつまらなそうな、さらに言えば憎々し気な表情で舞い落ちる雪をぼうっと見ていた。目が合うと、どこか諦めたように微笑んだ。

「帰ろっか」


 

 雪は手で触れるとしっかりその冷気を感じられた。気温も急激に下がったようで、吐く息の白さが街灯に照らされて、かと思えば瞬時に消えてを繰り返している。

「さっみぃ……」

 この異常気象が柴崎の言っていた『世界滅亡』の前兆なんだろうか。だとすると、もうすぐ俺は死ぬのか。しかし不思議と恐怖はなかった。多分、今日が終わっても目の前を歩く彼女が、と知っているからだ。今日の俺はここで終わるけれど、彼女が覚えていてくれると信じているからだ。ひどいエゴを押し付けている自覚はある。けれどそう思うことで強く安堵してしまう自分もいる。

「なぁ」

 俺は歩くペースを上げて柴崎の横に並んだ。

「なんで俺なんだ?」

「んん?」

「ほら、ループについて話すなら別に俺じゃなくたっていいだろ。高校の友達とか、親とか」

 柴崎は合点がいったように「あー」と間延びした声を発した。

「誰も信じてくれなかったから、かな。もちろん祐介以外の人にも、私の置かれてる状況について説明したことは何度かある。けどね、皆全く相手にしてくれないんだ。『疲れてるんじゃない?』とか『病院に行こう』とか、そんなのばっかりで。挙句の果てにさ、お母さんに言われたんだよ、『いい加減にして』って。もう本当に辛かった」

「それは……大変だったな」

「お気遣いどうも。でもね、『ループの外にいる人たちは決して信じないようになっている』ってエリックさんから教えてもらってかなり気が楽になったんだよ。上位存在——神様がそういう風にしたんなら仕方ないかってね」

「その理屈だと、俺が柴崎の話を受け入れられるのはおかしくないか?」

 柴崎は言われて初めて気が付いた、とでも言いたげに目をしばたたかせた。

「確かに! なんでだろうね。まぁ、神様の気まぐれなんじゃない?」

「適当かよ」

「適当だよ。一応今度エリックさんに訊いてみる。でもさ、この現象そのものが神様の気まぐれみたいなものなんだし、細かいことは気にするだけ損なんだよ、きっと。それに」

 柴崎はそこで言葉を区切ると、隣を歩く俺に向かって精いっぱいの笑顔を見せた。

「その気まぐれがあったから、私は祐介とまたこうして話すことができてるし、おまけに少しだけ救われてるんだ」

「そっか。それなら、まぁいいか」

 すっかり日が落ちて暗くなった空の端、地平線の向こうがまるで太陽が昇り直したみたいに白く光り輝き始めた。時折頬に当たる白雪が、つんとした冷たさを訴えては溶けて消えてゆく。

「時間だね」

 柴崎は心底残念そうな顔をしながらそうつぶやいた。みるみる正体不明の光が近づいて来る。


「あんまり無茶するなよ」

「うん」


「怠けすぎてもいけないぞ」

「うん」


「思いつめずに、気楽にな」

「わかったわかった」


 もう辺りが昼間のように明るい。


「今日の俺のこと、忘れないで」

「うん、絶対忘れない」


 視界が全て真っ白に塗りつぶされて、何も見えない。




「ねぇ祐介、また話しかけてもいい?」

「ああ、


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