第3話

 午後十八時。私は、いつもと同じように定時に仕事を終えて帰路に就く。仕事と言っても、ほとんどが身辺整理で真っ当な業務はしていなかったけれど。

 

街明かりに照らされる道を歩きながら、現状が身体に染み込んでくる。

 

事実上のリストラ。そいうことなのだろう。


会社の体裁を保つためなのか、リストラという単語は一度も耳にしなかったけれど、だからといってこれから私が何をどうしようと、あの場所に私の居場所はないのだろう。


 人の手によって作られた光が、街を照らしている。あまりにも明るすぎて、

空に浮かぶ自然の光は私の目に届かない。


 これまでの人生は、一体何だったのだろうか。私は一体、何をしていたのだろうか。


 帰りの電車に乗って、スマホを鞄から取り出した。スマホにイヤホンを取り付けて、YouTubeを起動する。


 最近流行りのユーチューバーと呼ばれる人たち。私は彼らの動画を見ながら、心底羨ましくなった。


 どうして彼らはこんなにも楽しそうなのだろうか。


 自分の思いを表現し、自分の意思でその場に立っている。自分を認識し、本当の自分の姿で生きている。


 ふと思う。


 私は、何がしたいのだろう。何がしたかったのだろう。


 子供の頃、将来の夢を語った記憶がある。小学生の頃だっただろうか、一人ずつ席から立ちあがり、名前を言って将来の自分について語るのだ。


 野球選手だったり、お菓子屋さんだったり、消防士だったり。


 誰も笑わない。笑っているのは、語っている本人だけだった。未来の自分に夢を見て、将来の夢に自分を置いて、屈託のない笑顔でそれを語っている。


 私の手元で流れている動画のように、鮮明に私の脳内に過去の映像が流れてくる。


 けれど。思い出せない。


 私は、何と言ったのだろう。誰もが未来の自分に浸りながら嬉しそうに話しているその中で、私は何を言ったのだろう。


 笑えていた自信もない。


 もしかしたら、くだらないと言って、適当に喋っていたのかもしれない。

 分からない。今の自分でさえ、何と言うのか分からない。


 当たり前の日常を、当たり前のように過ごしてきて、変化を恐れる生活の中で気づけば私は、自分のことすらも分からなくなっていたようだ。


 悲しいものだ。大人になればなるほど、自分を見失う。それが人間という生き物なのだろうか。それとも、私のような人間だけが、そうなのだろうか。


 だとしたら私は、人間として生まれてくるべきではなかったのではないのか。


 そんなことを思ったと同時に、まもなく終点、とアナウンスが入った。スマホの画面を閉じて鞄にしまい、立ち上がる。入口近くの吊り輪に手を掛けて、電車が止まるのを待つ。


 電車内を見回す。帰りの電車は意外と人が少ない。きっと皆、残業などをしていて定時を越えてから帰宅するのだろう。


 いつもと同じ光景。けれど、明日からは違う光景を見ることになる。私にはこの電車に乗る意味が、無くなってしまったのだから。


 家の近くまで歩いて来て、今夜は久しぶりにお酒でも飲もうかと思い、コンビニまで引き返すことにした。横を通った時に寄ればよかったのだけれど、その時にはお酒を飲もうなんて気分ではなかったのだから仕方がない。なに、大丈夫。時間はたっぷりある。


「……あれ?」


 引き返そうとして身体を後ろに向けた時、私の視界に一つの建物が飛び込んできた。赤い屋根の小さな建物。


 何十年も通っている道だ。こんなにも派手な屋根の建物に気づかないわけないと思うのだが。


 私は、不思議に思いながら近づいてみる。


 建物の扉にはCafeと書いてあり、コーヒーの良い香りが店内から漏れ出していた。


 何て美味しそうな香りなのだろう。私の気分はお酒から一気にコーヒーへと早変わりした。どうやらお店はまだ空いているようだし、中に入ってみることにする。


 カランカランと、扉の上部につけてあった小さな鐘が店内に鳴り響いた。

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