猫になった男は三度目の正直に夢を見る

資山 将花

プロローグ

人生とは、自己満足である。

 

 人は皆、何かのために生きていると高らかに宣言し主張する。大切な人のため、故郷のため、社会のため、世界のため。自分以外のために人生を費やしていると、そう言うのだ。だが結果的にそれは全て、自分のため、に変換され収束される。

 

 好きな人に喜んでもらいたい。だから、プレゼントをあげよう。好きな人のための行動。いや、違う。自分が相手に好かれたいから、もらった相手の喜ぶ姿が見たいから、だからこその行動だ。

 

 ボランティアだってそう。例えば、ごみ拾い。地球を綺麗にするためにごみを拾っている――のではない。満たされたい、その思いに従ってボランティアとしてごみを拾っているのである。善行をすることで満たされる欲求。つまりは、周囲から尊敬の眼差しで見られたい、などがあてはまってくるだろう。


 所詮、何かのために、なんてものは自己の欲求を満たすためのきっかけに過ぎないのだ。


 表立って自分の欲求を満たしています、と言ってしまうと、大半の場合が自己中心的で嫌な人間というレッテルを張られてしまうことになる。ならば、と。私は誰かのために、何かのためにこのようなことをしているのですよ、と。そう言ってしまえば、大衆は嫌な顔をしない。むしろ、好意を示してくるのだ。


 だがまあ、自己満足を求めることは悪いことだ、と私は言いたいわけではない。むしろ大いに結構。自己の満足を求めないのであれば、一体何のために生きているのか。哲学書なんて読んでいる暇があれば、自分のやりたいことをやればいいのである。


 さて、ここだ。私が言いたいのは、ここなのだ。ここが肝心。


 やりたいことがやれる。それは自己の満足を得ていると言えよう。人生=自己満足という等式を見事に証明してみせている。


 では、証明できない人間はどうだ。人生=自己満足が成り立たない人間。やりたいことが出来ない、もしくはやりたいことが見つからない人間。


 彼らにとって人生とは、一体何か。


 答えは簡単だ。


 世界の公式ともいえる等式が成り立たない人生を歩んでいる者にとっての人生。今という瞬間すらも楽しみ謳歌している者たちを妬みながら、自己の欲求を満たせずにひっそりと生き続けているそんな人生。


 唐突な数学の時間。証明の問題だ。中学生だって解ける問題。

等式が証明できない、等式が成り立たない。それはどういうことなのか述べよ。


 簡単だ。


 そう。間違っているのだ。その等式は、根本から間違っている。

 ならば、どうする。等式を成り立たせるためには。正しい証明をするには。

 そんなこと、考えるだけ無駄。既に答えは出ている。一部の人間にとっては、必ずしも人生=自己満足の等式が成り立つわけではない。これが、答え。いたって単純だ。


 しかしながら。


 人生=自己満足が成り立たず、それでもなお自己の欲求を求めるというのならば。


 自らの生を周囲のように謳歌したいと望むのであれば。


 方法が一つだけある。


 人間を――辞めればいい。


 そうすれば。


 新たな等式を創り上げることが出来るかもしれない。そうだろう?

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