揺るぎなき選択
James B. H
揺るぎなき選択
……まあわたしの話を聞きなさい。ごく若い頃、わたしはすでに大統領のかかりつけ医として働いていたが、そんなわたしがあるとき死神の前に召し出されることとなった。もちろん、夢の中のできごとだが。
耳にぶら下げたピアスを揺らしながらこちらへ歩み寄ると、死神は言った。「おまえは選ばれたぞ、残酷な医者」
「いったいなににです?」
「おまえは今年、世界じゅうでもっとも価値ある死の成立に、大きく貢献してくれたじゃないか」
「なんのことです?」
「おまえは大統領の妻がここ数カ月、夫専用の石鹸にヒ素をせっせと塗りつづけていたことを突き止め、彼女を処刑台へ送る手助けをしてやっただろう」
「たしかに……」
国家のためにとよかれと思ってとった行動を死神に指摘されて、わたしはバツの悪い思いをしていた。大統領夫人は夫による圧政を終わらせようとしていた、善人さ。だが大統領の急死にしたがいあとを引き継ぐのは副大統領で、きみも知ってのとおり、大統領に輪をかけて残忍な男だ。だから、わたしには夫人の性急なやり方がより悪い結果を導くとしか思えず、彼女を告発してしまった。
「さて医者よ」死神は続けた。
「おまえのおかげで大統領は、隣国に攻め込むことを決めた」
「しかしどのみち彼が死んでいたとしても、副大統領が・・・・・・」
「おれはおまえを責めているわけではない」死神が口をはさんだ。
「だが正確を期して言おう、医者よ。夫人が独裁者の夫を毒殺できていればおまえの国は一時的混乱に陥り、副大統領はじめ上層部のお歴々が権力闘争をはじめていただろう。したがって、不安に駆られた大統領が人気取りのために起こしたあの戦争は、少なくともあの時点では起き得ないはずだったんだ」
「そうだったのですか……」
「勇み足だったな。だがおかげで多くの命が奪われ、結果的におれはこうしておまえに感謝を伝えに来てるんだ」
「あまり嬉しくはありませんが」
「そんな顔をするな、残酷な医者。最善の選択をしたつもりが最悪の結果を導くなんて世の常じゃないか。おまえはおまえの善なる思考にしたがっただけさ」
「ところであなたからの贈りものというのは感謝だけですかね?」わたしはそれ以上死神から慰めを受けるつもりなどなく、とっとと用事を終わらせるつもりだった。
「おっとこれは失敬、じつはおまえにプレゼントを用意してあるんだ。いまからおまえが死んで欲しい者の名前を唱えなさい、さすればその願いをおれが叶えてやろう。今度こそ大統領か、それともまったくべつの誰かなのか、とにかくおまえが望むとおりの者をあの世へ連れていってやるぜ」
「なんだここは、いったい!」
そのときやかましい声が聞こえ、わたしのよく知る英雄が、つまりきみもよく知る英雄が、そう、お尋ね者のあの男が姿を現した。きみの所属する組織の創始者、かつてこの世で誰よりもわれらが独裁者を憎んだあの男だ。死神は最初怪訝な顔をしていたが、しばらく思案したのちにようやく合点が行ったのか、こんなふうに切り出した。
「すまんな、残酷な医者よ。手ちがいがあったようだ。どうもそこにいるテロリストが、本来おれがプレゼントを寄越すべき相手だったらしい。われわれの局の者からいま連絡が入った」
そうして死神は、ついさっきわたしに対してしたように、お尋ね者が今年貢献したある死について、その意味するところを説明してやった。いわく、お尋ね者は一年後に実行予定だったクーデターの計画を無理やり半年後に縮め、おまけに準備の過程で仲間たちを煽りに煽ったあげくに内ゲバが発生、けっきょくクーデターは中止されてしまい、仲間内で粛清行為が相次いでしまったのだという。ほう、きみのその顔を見ると、どうやら事実らしいね。
「しかし医者よ」死神が申し訳なさそうにわたしのほうを向いた。
「手ちがいとはいえおまえにほろ苦い真実を伝えてしまったおれだ、こうしようじゃないか。つまりおれはいまあそこに……」
死神は言葉を切ると、耳にぶら下げた片方のピアスを外し、わたしとお尋ね者からちょうど等距離にあたる地点に投げ上げた。すると、まるで最初から存在したように、いつのまにかそこには背の高い燭台と火の揺らめく蝋燭が立っているじゃないか!
「いまからおまえたちはあそこまで走り、蝋燭の火を吹き消せ。そして吹き消した者におれからのプレゼントを贈ってやろうじゃないか」
そのときわたしは誰をあの世行きにしたものか、大急ぎで考えていた。さっききみに告げたとおりの理由で大統領はなしだ、それに当時もうかなりの老齢だったし。いやはや、そのときはそう思ったんだよ!やはり副大統領か、それなら……それなら、仮に大統領が老衰を迎えたとしてももっとも残酷な新大統領の誕生は避けられる。ナンバー3なしいナンバー4ないしナンバー5の閣僚が、あとを継ぐことになろう。そうすれば緩やかな民主化が……わたしはない知恵を絞り出そうと必死だった。
「つかぬことを聞くがね、死神さん。たとえばだなあ、あんた自身に死をもたらすことはできるの?」なんとお尋ね者が、きみの先達が驚くべき質問を死神に投げかけた。
「もちろん、喜んで地獄へ引っ込もう」死神は満更でもなさそうな顔をしていたっけ。
「なにをばかなことを!」
「体制の犬は黙ってな」お尋ね者はわたしを見もせず、蝋燭に向かって一目散に走るべく構えていた。
「この世に死が存在しなければ人口問題はどうなる?食糧は?領土は?国境はどうなるんだ?」
「うるさいな。もはや誰も死なないんだからいいだろ」
「てっきりきみは大統領の死を願うものと思っていたよ」わたしは冷や汗を流しながら蝋燭の頼りなげな火の揺らめきを見た。ほんのひと吹きで消えてしまいそうな火だが、その結果生じるであろう事態はとても恐ろしいものだ。
「革命の規模は大きければ大きいほどいいのさ。さあ死神さん、そろそろ行くかい?」
「いったいきみはほんとうに本気なのかね?」
「無論さ。おれはこの世から死をなくすつもりだ。そうなりゃ大統領なんて目じゃない」
「しかし誰も死ななくなっても争いはなくならんよ」
「くどいぞ、犯罪者」
「それはきみのほうだろう!」
「おれは正義という名の法の話をしてるんだ。とにかく、まずはやってみることだよ」
まったく、恐ろしく無責任な考え方をするじゃないか、きみの先達は?それとも、きみもやはりご同様かね?
さて結論から言えば、競争に勝ったのはわたしだった。だが残念なことに、死神をこの世から葬り去ろうなどというお尋ね者への恐怖心でわたしの頭はいっぱいだったから、副大統領をいけにえにしようとしていたはずが、なんとわたしはお尋ね者の名前を真っ先に挙げてしまった。
これが真実と思うかね?たしか記憶では、わたしは最初にこれは夢の話だと言ったな。そう、わたしは死神の夢を見たんだ。夢のはずだった、ところが……きみたちの組織の創始者は、はたしてどういう最期を遂げた?そう、無残なものだったろう?当然新聞ダネにもなったし誰もが知るところとなった。あんな殺し方、とても人間技とは……。
だがいずれにしても、わたしは本来果たすべき仕事をそのときやり遂げることができずに、むしろ政府の脅威となるべきお尋ね者の死と組織の衰退を招いてしまった。ははは、きみがそんな顔をするのも無理はない。
いわばわたしはきみが殺すべき相手として二重の価値を持つというわけだ。なあ、頼むからいったん銃を置いてみてはくれんか?いまさら逃げも隠れもせんよ……ありがとう。
さーて、ここまで聞いてみての感想はどうかな?もちろん信じられんかもしれん。内容が内容だし、大統領夫人告発のくだりをはじめ、どうも自己弁護めいた部分が多かったからね。しかしわたしとしてはだな、もはやあとは信じてくれときみに頼むことしかできないんだ。
だってきみは、大統領の穏当な死を期待して、こうしてわたしを殺しに来たわけだろう?まああちらの警備の厳重さは推して知るべしで、きみはなかなかに賢いと言える。独裁者がたどるお決まりのコースで、いまや彼が信頼する医者はわたし一人だ、ほかの連中には髪の毛一本握らせようとしない。きみはさっき言ったな?わたしこそが大統領の心臓そのものなのだと。なるほど、たしかにその通りさ。
哀しむべきことに、副大統領はその後不可解な自動車爆発で死に、当の大統領はいまだ健在と来てる。まったく分からんもんだよな?
……なんだ、もう銃を持とうってのか?気が早い人だな。じゃあ最後に提案しておこう、頼むからそうさせてくれよ、頼むから。
先にきみが予定したとおりの行動について推測してみよう。きみはいまここでわたしを殺す。恐らく成功するだろう、つまり殺しに関しては。しかしきみは、わたしの屋敷の警備兵にその場で射殺されるか、早晩処刑場へ消えることとなるだろう。そう遠くない未来、わたしの死がいわば間接的に作用することで大統領の死期が早まることになるのかもしれない。だが残念ながら、きみはその効果を充分に確認することができないだろう、そうだね?
さて、ここからが提案だ。きみはわたしを殺すことをあきらめ、わたしや幾人かの協力者と手を組む。嘘だと思っているんだろうがほんとうだ、協力者はいるよ、それも政府中枢に。
まあ信じずともいいさ、どうせわたしはきみという死神の手中にいるんだから。だがこちらの選択では、少なくともきみはなんらかの結果がもたらされる現場を目撃できる可能性が高い。もちろん、その結果とはきみとわれわれ全員の吊るし首であるかもしれないが。だがしかし、少しずつ丹念に、着実な積み重ねによって、やがて緩やかにこの国は……失礼、「緩やか」という言葉はきみたちにとってあるいは忌まわしいものですらあるかもしれん、なにしろいつでも性急な人たちだし。しかし、とにかく緩やかでかつ人死にがより少ない選択肢を、わたしは用意してるよ。さーて、どうするね?
揺るぎなき選択 James B. H @kulbalka1868
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