第9話刺客

 男爵が公爵家に訪れてから約一週間後の深夜。

 魔法使いの男は公爵家の屋敷に侵入していた。

 真夜中ということもあり、廊下に人の気配はほとんどなく、たまに見回りでランタンを持って歩いている使用人に気をつければいいだけである。

 外は厳重な警備だが、その分中に入ってしまえば楽なものだ、とほくそ笑む。


「土魔法で地中から侵入すれば簡単な仕事よ……」


 この男は優れた土魔法の使い手であり、地中深くから敷地内に侵入することで外の兵士の目を欺いたのだ。

 それも、大きな魔力に反応する魔道具に検知されないように一週間かけてじわじわと。


 自身の才能と忍耐力を自画自賛しつつ、男は歩みを進める。

 ふとこの家には幼い女の子もいたことを思い出し、その女を痛めつけて従順にさせたいという願望が頭にチラつくが、流石にと頭の中から振り払った。


 そして、ノアが眠る部屋を探し当たる。




 ☆☆☆☆☆☆




 俺は普段聞き慣れない、足音を殺すような歩き方に目を覚ます。

 長年あらゆる人間を警戒して生きているため、睡眠時もほんの少しの不自然な物音や違和感で目が覚めてしまうのだ。


「……念には念をだ」


 隣には数日前から勝手に部屋に入り、ベットに忍び込んでくるリリムちゃんがいる。

 この子にも最初は目を覚ましていたが、不思議と子どもの物音にはすぐ慣れる体質らしく、初日以降は起きずに済んだ。


「リリムちゃん、起きて」


 リリムちゃんがこの部屋に来る途中で不審者とかち合っていないことに若干の安堵を覚えつつ、リリムちゃんに声をかける。


「ふにゃ〜? どぅしたの〜?」


「十分だけベットの下に隠れててくれないかな?」


「うぅん……わかったあ」


 幸いにもリリムちゃんはぐずることなく、子どもなら入れるであろう隙間に身を入れる。


 そしてかちゃり、と扉が開いた。


「誰だ」


 顔を隠しているため目しか見えないが、背格好は成人男性のそれである。

 不審者です、と自白しているような格好を見て、警戒を最大まで高める。

 男は部屋に侵入し、扉を閉める。


「……くく、なんだその表情は」


「……はぁ?」


 突然笑い出した男。


「自覚がないのか。その怯え、恐怖に染まった顔の自覚が!」


 ……そんな表情を俺がしているのか。

 もはや自分の心と体がめちゃくちゃすぎてその辺が全くわからなくなっているのかもしれない。


「……お前は誰だ。何の用だ!」


 俺の問いに、男は肩を震わせる。


「お前は俺を覚えてないかもしれないが、俺はお前のこと、よく知ってるぜ? リオル・フィレンツの奴隷くん?」


 思わぬ名前が出てきたことに、俺の思考が停止する。

 男はおもむろに顔を隠す黒い布を取り外していく。

 そして見えた顔は、忘れもしないリオル姉ちゃんが死んだあの日に取り巻きとしていた男であった。


 恐怖、絶望、畏れ。その感情をリオル姉ちゃんの仇の一人である男への怒りの激情が飲み込んだ。


「て、めぇッ!」


 全身全霊で殴りかかったが、虚空に魔法陣が浮かび上がり、そこから生えてきた土の塊が俺の胴体を捉えたことにより拳は届かない。

 そのまま背後にあったベットの側面に叩きつけられる。


「おぉ、怖い」


「かはっ……!」


 あまりの痛みに息が満足に吸えない。

 そんな危機的状況の中でもなぜだろうか、リリムちゃんが巻き込まれてはならないと感じ、後ろ手でリリムちゃんにそこにいるように指示をする。


「相変わらず弱えなぁ。数年前から何も変わらねえじゃねえか」


 男が愉悦を顔に浮かべて俺を見下ろす。


「だま、れ……!」


 俺は左手で右手を支えるように手のひらを男に向ける。


風切かざきり……!」


 手のひらに小さな魔法陣を浮かべ、俺が唯一攻撃に使える属性の魔法を発動させる。

 魔法陣から刃物のような切れ味を誇る無色透明の風を男に向けて放つ。


「土壁」


 だが、それは男が展開させた土の壁によりあっさりと阻まれる。


「くそっ!」


 これが俺の限界なのだ。リオラ姉ちゃんからも一番得意な風魔法でも、威力はこれが限界だと言われていた。

 少し優秀な魔法使いには歯が立たない程度の才能しか俺は持っていなかったのだ。

 一方で男は醜い笑みを湛えている。


「お前に才能があれば、風の大魔法使いを助けられたかもしれないなあ。それに、今の自分の命も」


「ぐぅ……!」


 俺にもっと才能があれば、リオラ姉ちゃんの助けになれたはずなのに。

 何度自分を情けなく思ったか。何度才能のある奴を羨み、僻んだことか。そして……。


「あの時はあの火女に手柄全部取られて暴れられなかったからよぉ、お前で賄う、ぜ!」


 やつの右拳が俺の側頭部を捉え、俺は勢いよく地面に倒され、胸ぐらをつかまれる。


「その綺麗な顔、むかつくんだよ!」


 パチィンッと男が頬を張る。

 俺の肌は赤くなっていることだろう。


「ふ、いい感じじゃねえか……」


 己の手形がノアに残ったことに満足し、男は掴んでいた手を離す。


「そろそろ人が来てもおかしくねえし、終わりにするか」


 馬乗りになった男は、懐から短刀を取り出した。


「お前が女なら拉致して飼ってやってもよかったが……男なことを恨むんだな」


「……けっ、キモい趣味しやがって」


 俺の言葉を最後に、短刀が俺めがけて振り下ろされた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る