風のウワサで私のことがお好きだとお聞きしましたので、つい
夕山晴
前編
緩やかな日差しの中、ボリュームたっぷりの花柄のスカートで椅子を埋め、優雅にカップを持つ。カップの中は、透きとおる赤。ローズヒップティーだ。
酸味が強く好みの分かれるお茶は、デイジーのために用意されていた。
「まあ、デイジー嬢、今日のお召し物もとてもかわいらしいですわ」
「本当ね。そのつばの大きな帽子も、レース模様がとても素敵で」
同席する他の令嬢たちの羨望の眼差しを一身に浴び、デイジーは上品に口元を隠した。
「まあ皆さま、目ざといですのね。先日お店で見かけまして、手に入れたばかりですのに」
ふわふわの波打つ銀髪を編み込んだ髪型はデイジーの最近のお気に入りだった。
「その帽子は、どちらのお店で購入されたのですか?」
「ええ。少しわかりにくい場所なのですが、先日お話ししたカフェの角を曲がって……」
「ええ!? そんな場所にお店が? 全然知りませんでしたわ!」
「あまり表通りには面していませんから」
デイジーはいろいろなお店を見つけては、茶会のたびに令嬢たちへと情報を提供していた。街の散策が好きで、お店を見て回ることが趣味で、その中からお気に入りを見つけることに多くの時間を費やすデイジーにとって、話題は事欠かなかった。
お気に入りを見つけたときの喜びと、身に着け囲まれる幸せを、デイジーはとても大事にしていた。
「そういえば、先日デイジー嬢に教えていただいた靴のお店に、またあの方、いらっしゃいましたのよ」
「ええ!? またですの。わたくしも先日、雑貨屋さんでお見かけしましたわ! デイジー嬢におすすめしていただいたあのお店です!」
茶会に集まると、最近話題に上がる「あの方」。
どうやらデイジーが令嬢たちへ紹介したお店に、よく出没するらしいのだ。
「あの方、身長もおありですし、お顔も整っておられますし……それだけでも目立ちますのに」
「スーツ姿も素敵だとは思いますが、お店の中では、少し、浮くと言いましょうか。ねえ?」
話題の「あの方」が出没するのは、デイジーが好むお店である。つまり、可愛らしく、もしくは華やかで、令嬢たちが好むものが多い──デイジーが紹介すれば立地の悪いところにあってもすぐさま女性が集まる、そんなお店。そこに現れる高身長の男性は良くも悪くも目立つのだ。
「やはり、思うのですけれど。あの方はデイジー嬢のことが気になっていらっしゃるのでは?」
「あら、あなたもそう思われまして!? 実はわたくしもそうではないかと勘繰っていたところですの」
しかも彼が現れるのは決まってデイジーが勧めたお店。令嬢たちの妄想を膨らませるには充分で、格好の言い草となっていた。
そしてさらにもう一つ、妄想の元になっていることがある。
「わたくしは先日の夜会で、あの方がデイジー嬢のことをじっと見つめていらっしゃるのを拝見しましたわ!」
「ええ! 本当に!?」
「この目でばっちりと、ですわ!」
「こう何回もですと、偶然ではないのではなくて?」
「以前もありましたものね、ふふ」
やいのやいのと楽しそうに令嬢たちの口は回る。デイジーは自分の話題だというのに、それには困ったように微笑むだけ。
そんなデイジーを掻き立てるように、令嬢たちは決まって最後にはこう口を揃えた。
「あの方──マルク様は、絶対、デイジー嬢のことを好いていらっしゃるのよ」
◇◇◇
茶会を終えて屋敷に帰ると、父が帰ってきていた。
近頃は顔を合わせれば縁談の話ばかりで、デイジーはうんざりしていた。顔を合わせないようこっそりと部屋へと戻る。
父は「お前も年頃の娘なのだから、そろそろ」と言ってしきりに縁談を持ち込んできた。勝手に進めることはまだないものの、いつまでデイジーの意見を尊重してくれるかはわからない。権限は父にある。結びつきを強めたいだけの、どこぞの子息との結婚を強制されたとしてもおかしくはないのだ。
(お父様のセンスは当てにならないもの)
父が持ってきた縁談の相手はデイジーの好みから外れてばかりだった。
髭が伸びているのは嫌。その色のスーツは似合わないのに。髪が長すぎる。どうしてその柄とその柄を合わせてしまったの。
デイジーの不満は、父には些細なもの──我儘として映った。父は、家柄と年齢、経済状況を重視していたから当然のことだった。観点が違うのだ。
デイジーには理解できない。姿そのものを変えろと言っているわけではなく、身につけるものを考えろという話なのだ。誰にだってできること。なぜ身だしなみを疎かにするのだろうか。
(そう考えるとあの方──マルク様は装いがとても似合っていらしたわ)
夜会での姿をデイジーも目にしていた。彼の視線を感じてはいたが、深くは気にしないようにしていた。浴びる数多くの視線をいちいち気にしていては行動できなくなるからだ。
しかしその中でも群を抜いていた。デイジーが顔と名前と、服装までしっかりと記憶するほどに。
マルクは近頃よく夜会に出席していた。彼の家はそこそこ繁盛している商家で、跡を継ぐために結婚相手を探している、ともっぱらなうわさだ。しかし女性に話しかけている姿を目にしたことはない。容姿は良く、どちらかと言えば裕福──まさにこれから波に乗りつつある成長株。そんな彼を射止めようと令嬢たちが話しかけているのは見かけていたけれど。
デイジーは部屋で一人、大きく頷くと、さらさらと上質な便箋に手紙をしたためた。宛先はよく夜会に招待してくれ、茶会でもよく顔を合わせている友人だ。
そして、父には見られないよう手紙を出してほしいと、使用人へとお願いした。
◇◇◇
待ちに待った夜会の日。いつもどおり入念にドレスを選び、最近見つけたブローチを胸に添えた。
最低限の顔見せを終え、最大の目的である人物へと狙いを定める。そのために彼がいる夜会へ参加できるよう友人に根回しをしてもらった。
スリーピースのスーツ姿。品のある髪型に落ち着きのある色の洋服。優しげな風貌によく似合う、自分の魅せ方をよく知っているような立ち姿。
デイジー好みの出立ちにますます気分は高まった。そっと近づいて声をかける。
「少々お時間よろしいでしょうか」
自分からは声をかけないデイジーがマルクに声をかけたとあって、会場は小さくざわめいた。注目を浴びたことにマルクは少々たじろいだものの、騒ぎを大きくしないよう場所の移動を提案してくれた。
「ええ。もちろん喜んで。あちらの花が綺麗でしたから、一緒にいかがですか」
さらりと手を差し出してくれた様子にも、デイジーは満足だった。
(私の選択は間違いじゃなかったようね)
父が持ってくるセンスの悪い縁談を受けるつもりはなかった。デイジーは自分の好みに合うものしか周りに置きたくないからだ。
その点、マルクはとても良かった。自分の容姿をよく知り、その上で選んでいるだろう服装は、デイジーの趣味にとても合っていた。しかも彼は自分のことが好きらしい。
誰もいないガーデンはオレンジ色の外灯に照らされ、ちょうど見ごろの花が出迎えてくれた。
向かい合って、デイジーは切り出した。
「──私のことがお好きだとお聞きしたのですが、私と結婚しませんか?」
デイジーは父からの縁談話に困っていた。なくすには心に決めた人がいると伝えるのが手っ取り早い。
マルクも結婚相手を探しており、しかも自分を好いているとあれば結婚してしまうのが最適だ、と考えたのである。
マルクの反応は見ものだった。数秒しっかりと固まったあと目を丸くし、口を開いては閉じてを繰り返して。動揺を隠せない様子で目をこすってみたり、手に爪を立ててみたり。短くない間、普段の落ち着きは消え失せていた。
それから大きく首を傾げて、何事もなかったようにすっと笑顔を浮かべた。
「ええと、もう一度お願いします。うまく聞き取れなかったようで」
あまりに突飛で、とうとうマルクは受け入れることを放棄した。
聞き直したマルクに少しの申し訳なさを覚えながらも、もう一度言う。
「突然のことに驚くのも仕方ありませんが、嘘でも幻でも冗談でもございません。私と結婚しませんか?」
間違いなく本音なのよ、と言葉に込めた思いは無事に届き、今度は挙動不審にはならなかった。
とはいえ、マルクは訝しむように眉根を寄せる。
「……どうして僕と」
もっともな疑問にデイジーは堂々と胸に手を当てた。
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