第5話:スライムのドロシー
さて。
私の前に、15歳くらいの少女が座っている。背中まである青色の髪に、アーモンド形の目がくりくりと動く。
どう見ても普通の女の子――どころか、『とびきり可愛い』と形容してもいいだろう。
これが『あの魔物』なんて、変身前を知らないと絶対にわからない。
「ど、ドロシーと申します!」
ぺこり、と丁寧にドロシーさんは一礼した。
私の隣には灰色毛皮の、狼顔の獣人が座っている。名前はザルドさん。
正式な種族名は、狼男ではなくて『人狼族』とのことだ。
彼は目を細める。
「これはご丁寧に」
狼の顔なのだけど、口角を上げると、確かに笑っているとわかった。
「私はザルド、そしてこちらは――」
毛だらけの手で示されて、ドキリとする。
背筋を伸ばして答えた。
「エリです」
「私の就職、よろしくお願いします!」
そう言ってもう一度頭を下げるドロシーさん。
かなり緊張しているみたいだけど、精一杯、礼儀正しく振舞おうとしているのだろう。
私は机に置かれた履歴書を見た。どう見ても日本語じゃないのだけど、不思議と意味は読み取れるのだ。
英語を読む時くらいの違和感はあるけれど、どうやら私の体は言葉や文字の面でも異世界に順応しているらしい。思えば、この人たちが前の世界と同様、酸素で呼吸してる確証もないのよね。
体が異世界用にチューンされてるのは、当然なのだろう。
……そう、思うことにした。
「ふむ、拝見いたしました」
私がそんなことを考えている間に、ザルドさんが履歴書を読み終わっていた。
もう次の質問に移っている。
「ドロシーさん、あなたはグランワール領――いわゆる魔物領を飛び出し、ここで職を求めておられる。特に『商会』などを希望、と」
「は、はい! この街なら私、今日からでも働けます!」
ドロシーさんは目をキラキラさせる。仕事に疲れていた私としては、もう眩しいくらいだった。
彼女は両手で拳を作って急き込む。
「こ、この街って、私の村にはないものがたくさんあって。そうしたものをたくさん商っている、『商会』に憧れてるんです」
私はドロシーさんの履歴書に目を落とす。
名前欄、現在の住所、性別欄。
種族の欄にはこう書かれている。
種族:スライム
私は履歴書を読む振りをしながら、ドロシーさんを盗み見た。青い髪はよく見ると毛先が半透明で、時々窓からの日光が透ける。
けれどその点以外は、ほとんど人間の女の子と同じだった。スライムって弱い魔物のイメージがあるけれど、この世界のスライムは変身能力があるらしい。
普段は、バスケットボール大の青いゼリー。
人間に姿を変えた今は、薄い緑の長袖に、落ち着いた青地のロングスカートという服装。よく見ると袖にはレース、胸には細めのリボン。
23歳、ブラック勤めで磨り減った私の感覚でも、お洒落だと思う。
これも変身だとすると――ちょっとすごいぞ、ここのスライム。
ドロシーさんがこちらを見た。
「スライムは初めてですか?」
視線に気取られたのか、ドロシーさんからそう問い返されてしまった。
知らない間に、物珍しい目になっていたのだと思う。私は頬をかいて、苦笑いした。
「は、はい……ごめんなさい」
「いえいえ! 確かに名前が知られている割に、ゴブリンさんと違って、あまり人間の方の前には出てきませんものね」
私は汗を流しながら、愛想笑いをしておく。
どうやらこの世界でも、ゴブリンとスライムといえば有名な魔物に入るらしい。
問題は、私はそれさえも知らなかったこと。
他にどんな魔物がいるのか。この街はどんな場所なのか。
相談を受ける側なのに、ドロシーさん以上に知識がない。
……やっぱり、まずいんじゃないかなぁ。
ちらりと隣の狼さんを盗み見る。
流れで制服を借りたのは、緊急避難や他に行き場所がないのを考えても、早まったかもしれない。
ドロシーさんは、ぱんっと手を合わせた。
「私、村でも特に変身が得意だったんです。それで、賑わっている街でもやっていけるって思って、飛び出しちゃいました!」
地方の子が東京に出てくるようなものだろうか。
私も、前の世界で長野出身だったけれど、就職は東京で行った。内定をもらっていた会社が潰れてしまい、卒業ギリギリで入った会社がブラックで、1年で辞めたら次もブラックで――。
うん、やめよう。
胃が痛い。
ドロシーさんは微笑する。
「わ、私が村を出て自活すれば、弟たちの自信になりますし。この街のお賃金なら、仕送りもできそうだなって」
履歴書に家族構成の欄があって、確かに『弟:2人』と書かれている。
責任重大じゃないか。
汗が滝になりそうな私を横にして、ザルドさんが身を乗り出してくれた。
「そのように就職を目指される方は、この街には多いですね。ただ、失礼ですが、住所は空欄、連絡先に宿の名前が書いてありますが、ここは?」
「い、今は、宿に入っています。長期滞在ということにして――」
「ふむ。とすると、住み込み可能な仕事も候補に入れましょう。夢がある街なのは本当ですが、まずは生活の安定ですよ」
私はまじまじと狼の顔を見る。
見かけは怖いけれど、けっこう丁寧な仕事をするのだ。さすがにプロ。所長に見込まれるだけはある。
ただ――もう限界だ。
「あの」
話が進む前に、私は毛むくじゃらの腕をつついた。
目線で外を示すと、ザルドさんは顎を引く。
「ちょっと失礼」
2人で相談スペースを後にして、廊下の奥へ引っ込んだ。
声が届きそうにないことを確認してから、私はザルドさんを見上げる。
「……ごめんなさい。でも、まずくないですか? 私みたいな素人が、相談を聞くのって」
ドロシーさんはこの場所を頼りにしている。だとすると、やっぱりこれは失礼にあたる。
私は素人なのだ。
ザルドさんは腕を組んだ。
「所長命令だしなぁ……」
そうなのだ。
ドロシーさんが事務所を訪れた後、彼女を少し別室で待たせて、グランツ所長はザルドさんに私の素性を話した。
そして指示を出している。
『次の相談にエリも参加させるように』、と。
「ザルドさんは……それでもいいんですか? その――専門家なんですよね?」
「ザルド、でいい。けどお前……」
ザルドさんは顔をくしゃくしゃにして笑った。
この砕けた口調が素なのだと思う。
「さっきゴブリンのイトウさんの、就職先を見つけていただろう? あれはたまげたよ」
口許をひきつらせる私。
あれ、再現方法がまだわからない。
「異世界人には、俺達にはない力が宿るって噂だ。初めて見たが、君にはそれがあるのかもな!」
あなたも、同じ意見か。
私はため息をこらえる。
所長も所長だ。『他人の就職相談を見れば、この世界で生きていくイメージが湧くかもしれない』なんて言っていた。
私もこの世界を知りたいし、早急に衣食住を見つけなければならない。
斡旋所で働けるなら、それはそれで、よいことだと思う。
そんな個人的打算で押し切られてしまったが――私なんかが、他人の相談を聞いていいのだろうか。
就職は一大事。
ドロシーさん、あんな真剣なのに、怒ったり失望したりしないか。
「ああ、心配するな」
ザルドさん――いや、ザルドは口の端を歪めた。
そうするとちょっと悪そうで、なるほど狼の顔。
「え?」
「あの部屋では、そう長いこと話さない。ドロシーさんは、多分、自治区の事情自体に明るくない。今の段階で仕事をみつけても、どこでも苦労する」
「……そうなの?」
確かに、街に来たばかりと言っていたけど。
「ああ。あの住所、魔物がよく借りる格安宿だ。つまり街に頼れる親戚もないし、ウチに来たのだから、就職の伝手もない。情報が少なくて希望が先行している状態だ」
だから、とザルドは続けた。
「この後、馬車を呼んで街を見て回る。就職の前に、職業見学だ。贔屓にしている商会もあるから、まずは商会の仕事にどんなものがあるか、知ってもらう」
へぇ、と私は感心した。
新参の魔物に街の案内もやるんだ。日本以上にサービスがいい。
私が驚いていると、ザルドは大きな肩をすくめた。スーツに似たジャケットが、毛皮で窮屈そう。
「……こういうサービスするから、人手不足なんだけどな」
あ、なるほど。
「話を戻すぜ? ただ、商会は確かに高給だが、仕事の幅が多い。ライバルもな。厳しい現場を見れば、たいていはそこで尻込みする。だから俺は――本人の希望もあるが、まずは家政婦がいいと思う」
私は目を丸くしてしまった。
家政婦?
ぜんぜん商会と違う。
「たいていが住み込みだ。あの通り、見た目もいい……ていうか、そういう風に変身できる。この街には魔物の金持ちもいて、そういう連中は、人間の家政婦じゃなくて魔物の家政婦をほしがるのさ」
ザルドさんは口の端を引き上げる。
「自宅の世話を任せるなら、人間よりも魔物が安心ってわけだな」
この世界が人間と魔物が戦争していた、という事情を思い出した。
ザルドさんは太い指を振る。
「履歴書の特技に『算術』があった。どの程度かは要確認だが、家政婦でも活かせる。でかい家には家令がいて、その帳簿付けを手伝えるのもいいアピールになるだろうぜ。このセンにもっていく」
『もっていく』って――。
ドロシーさんの希望とかは聞かずに、こっちで決めていいのだろうか……?
その気持ちを見抜いたみたいに、ザルドは牙を見せて目を細めた。
「もちろん、本人の希望も聞くぜ? だが、現実問題、その辺りが『適職』ってもんだ。厳しい商会を見せ、その後、住み込み付きで給料もいい家政婦を紹介する――『こっちもいいな』と思えば成功だ。彼女も幸せ、商会も斡旋料が雇い主から入って幸せだ」
私のブラックセンサーが反応している。
なんだかんだ言って、そのゴール――『家政婦』に向けて案内していきそうな気がする。
異世界人の私にも、期待しているというよりは、興味半分といったところだろう。
肩の荷はおりたが、逆にもやっとした。
話が終わりとばかりに、ザルドは鉤爪のある手を振る。
「ま、戻ろうぜ? エリは見てればいい」
私達は相談スペースに戻り、少し時間をかけてドロシーさんの話を聞いた。
ザルドさんの言った通り、この人は仕事内容については具体的な知識は乏しそう。
ただ、『商会』に行きたいという希望だけは、やけにはっきりしている。
ザルドはドロシーさんに尋ねた。
「商会はさまざまなものを扱います。具体的に、商ってみたい商品などはありますか?」
「そ、それは……ええと……」
不思議と、ドロシーさんは具体的な品目で言い淀む。
あんなに熱意があったのに。
ザルドはそれとなく話題を変えた。
「ふむ。まぁ、おいおい決めていけばよいことでもあるでしょう」
たぶん、彼は『勉強不足』って思ったのだろうけど――私にはどうしても気になった。
ドロシーさんの伏せられた目。舌が唇を湿す。それでも、結局言葉は出てこなくて。
何かに遠慮しているようにも感じる。
流されるように就職を決めてしまったかつての私とは、この人は違う気がした。
この人が自治区に憧れた理由を、もっと知ってみたい。転移してきた私ができることって、せめて気持ちに寄り添うだけだ思うから。
メガネを直すイメージで、目元に指を当ててみる。
ドロシーさんの姿はうっすらと緑の光に包まれた。けれど、ゴブリンさんのように、糸が見えるわけじゃない。
何か、条件があるのかもしれなかった。
「……さて」
30分ほど話したところで、狙いすましたようにザルドが言った。
「実際に街を見てみますか? フィリス自治区に到着して日が浅いのであれば、街を知る必要がありますし、意外なところに天職があるかもしれない」
目をキラキラさせて、ドロシーさんは頷いた。
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