第4話:縁の糸
私は事務所のような場所に通されて、椅子にかけるよう言われた。角の生えた青年は部屋の奥に座り、ぱさりぱさりと書類をめくっている。
手持ちぶたさで待っていると、カップに乗ったお茶が出た。
「どうぞです」
そう言って、エプロン姿の女の子が一礼する。にっこり笑った顔が可愛らしくて、思わず笑顔を返してしまった。
「ありがとう」
「いえいえ!」
女の子は笑顔を輝かせ、入口近くに立つ。
頭の上で三角形の何かが揺れていて、リボンかと思ったけれど、髪と同じオレンジ色の猫耳だった。
狼がいたかと思えば、次は猫耳か……。
思いながらお茶を飲む。ハーブに似た、爽やかな香りが鼻に抜けた。
「あ、おいし……」
気持ちが安らぐ香り。異変だらけで緊張していた神経が、ほぐれていく。
仕事をしていた青年が立ち上がった。
「お待たせした」
青年は私の前に座る。
切れ長の目に、白い肌、すっと通った鼻筋。艶のある赤毛は燃え立つように見事で、顔立ちも美形なものだから目が吸い寄せられてしまう。
ただ、額から左右に生える角が、確実に『人外』を主張していて。
美貌を司る悪魔、なんていうのがいたら、まさにこの人のような姿をしているだろう。
持ってきたカップを机に置く動作さえ洗練されている。
目が合いそうになって、私は慌てて視線を落とす。
着ている服は、スーツを思わせるジャケット。だけど、胸ポケットに薄い緑のポケットチーフを入れていた。それだけでとても上品な印象になる。
顔立ちと合わせて、頭にふっと『貴族』という言葉が思い浮かんだ。
「私はグランツ、この商会の長をしています」
もっとも、と青年はカップを傾けて続けた。
「便宜上、『商会』と名乗っているだけですが。何かの商いをしているわけではなく、主に魔物の職業斡旋をしています」
「斡旋……」
「多種多様な魔物を相手とし、相応しい職業を斡旋します。公から少々お金をいただきつつね」
青年は優雅な仕草でお茶を飲んでいた。
指で猫耳の少女を呼ぶ。
「彼女に、鏡を」
猫耳の少女が、とんと机に鏡を置いた。
私は目を丸くする。
「こ、これが私……?」
髪型は以前と同じ、うなじが見えるくらいのショートカットだ。ただし、髪色は緑に変わっている。
顔立ちもさすがに同じだが、やっぱりメガネはなくなっていて、瞳も緑色だった。
グランツさんは安心させるように笑いかける。
「異世界人が世界を超える時、特別な力が身に付く。その時に、多少、体質が変わることもあるとか」
「た、多少……?」
これが?
私は、鏡に映った自分の顔をぺたぺたと触った。髪色には驚いたけど、視力が戻っていることにも驚いた。
目がよくなった代わりに、カラーコンタクトを入れたと思えば――ちょっと無理やりか。
グランツさんはさらに尋ねてくる。
「ここに来るまで、何か不思議な力を感じたりは?」
「あ……」
ふと、思い出した。
ゴブリンさんを案内した時、私の目には不思議な糸が見えていた。
メガネを支えるように、目元に手を添える。手にメガネのフレームが触れないのに、何もかもがはっきり見えて、実感がさらに強まった。
これは今までとは別の体なんだって。
……私はやっぱり、死んで、この世界に飛ばされた。
日本に残された家族や、友達のことが頭に過ぎる。でも不思議と涙は出ない。多分、もう少し落ち着いて、もっと安心できたら、どうっと悲しみとか後悔とかがやってくるのだろう。
今は――おそらく、現実に向き合う時。
「次は君について聞いても?」
「わ、私は……」
そこで、記憶が整理されていることに気づいた。
もうすっかり、何もかもを思い出せている。
膝でぎゅっと手を握って、グランツさん達を見た。
「田村絵理といいます。ええと……日本から来ました」
ふむ、と青年が呟く。
猫耳の少女が首を傾げた。
「ニホン?」
「彼女がもといた世界にあった国か、街の名前だろう」
青年が立ち上がって、窓を開けた。ふわっと乾いた風が吹き込んでくる。
東京ではありえない、怖いほど澄んだ空気だった。
「ここはフィリス自治区という。人間と魔物が一緒に棲んでいる、少し変わった街だ」
「人と、魔物……」
開け放たれた窓。
その前を、馬と人が一体になった姿が横切った。ケンタウルス、だっけ……。
私ははっとした。
「そういえば、ドラゴンが荷馬車を引いてました」
「あれは地竜。確かに力は強いが、一般に魔獣と呼ばれるものだ。『魔物』は獣ではない、姿かたちはさまざまだが、それぞれ社会を持つ部族だよ」
私は想像する。
たとえばさっきのような――狼男の一族とか、トカゲ男の一族とか、そういう風に分かれているのだろうか。
私は頭をはっきりさせるためお茶を飲んだ。
「魔物の中でも、特に力が強い一族が存在する。それが魔族と呼ばれ、一族の長、いわゆる魔王が魔物達を統べていた」
魔王――まるっきり、ゲームの世界である。
私が『魔物』という言葉をキーワードにこの人と話せているのも、ここにいる魔物が、どれも見覚えがあるせいだ。
「この世界では、少し前まで魔物と人間が戦争をしていてね。どちらの土地もかなり荒れたのだが――」
グランツさんの話では、元々は豊かな土地を奪い合う戦いだったようだ。
でも、それが53年も続いた。
このフィリス自治区は100年以上、魔物と人間の共生を続けていたため、戦争には不干渉。けれども自治区から離れた激戦区は、相当に荒れたようだ。
「人間側の勇者と、魔物側の魔王が、停戦条約を結ぶ形で停戦した。だが、争いの元になった穀倉地帯も含めて、どちらの領地も荒れていてね。皮肉にも、魔物と人間が共に暮らすこの街が、最初に復興をした。ゆえに、働き口を探しに来る魔物は少なくないというわけだよ」
グランツさんは私をじっと見ている。
左右に生えた角がちょっと怖いけれど、眼差しはなんだか真剣だった。
「……あの?」
「先ほどいたお客のゴブリン――イトウさんという方なのだが。実のところ、ここ何日かずっと難航していた。だが君が来たところ、たちどころに就職先を見つけ、満足していった」
グランツさんは微笑する。
「異世界からの渡り人には、不思議な力が宿るという。君がこの商会に来たのも、何かの縁かもしれない」
『縁』と言われて、私はなぜかどきりとした。
目が泳ぐ。
自意識過剰かもしれないけど、なんとなく、『ここで働け』と圧をかけられている気がした。
ちらりを壁際に視線を投げる。猫耳の少女が目を三日月形にして、招き猫みたいにおいでおいでしていた。
……あ、人手不足だわここ。
「専門は魔物の職業斡旋だが、異世界人も歓迎しよう」
「あ、あの……私、わからないことだらけで」
日本で、ブラック企業にいたばかりだ。正直なところ、慎重に選びたい。
「まぁ、決めなくてもいい。ただ、間違いなく感謝はされる仕事だよ」
……ご縁、か。
さんざん振り回された言葉だけど、ここでなら、ちょっとは前向きに捉えられるかもしれない。
むしろ苦労したからこそ、『ご縁』の力で誰かを助けたい――そう思うのって、少し変だろうか。
そのあと、私は猫耳の女の子に事務所を案内してもらった。
どうやらこの建物は、事務所兼住居にもなっているらしい。
仕事が忙しいとき、そのまま泊まれるよう、寝室や浴室など、最低限の設備があるということらしかった。
着たままのシャツとスカートは、激務と異世界での移動で、大分汗を吸っていた。終電まで働いていたから、たっぷり1日は着たままということになる。
着替えもない旨を恐る恐る申し出ると、体を拭くためのタイル張りの部屋を貸してもらえた。
猫耳少女に渡されたのはピンポン玉くらいの、2つの石。
「これ、桶に投げ入れてくださいませっ」
片方は赤くて、片方は青い。
タライくらいの桶へどちらも放り込む。するとあっという間に湯気が立って、ほどよい温度のお湯が沸いていた。
「え、えええ……?」
とはいえ、意外と清潔にはなれそうでほっとした。
文明レベル、完全に中世ってわけじゃないみたい。そういえば、紙とかいっぱいあったしね。
「……よしっ」
少女が部屋を出た後、体を拭いた。そして用意してくれた着替えに袖を通す。
なんと、あの狼男とほぼ同じ制服だ。
下はスカートだけど、上は制服っぽいシャツとジャケットである。
……あっさり外堀が埋められた気がするぞ。
でも日本からの衣服を脱いで、こちらの服に着替えると、なんだか気持ちが切り替わった。ほっぺたを軽く叩いて気合を入れる。
――今はとにかく、生きなくちゃ!
猫耳の女の子が迎えに来てくれて、私は事務所に戻った。
「ありがとうございました」
着替えのお礼も兼ねて、グランツさんに頭を下げる。
と、丁度反対側の出入り口から、狼男も入室してきたところだった。
「へ」
狼男が硬直している。私の姿を見たからだろう。
待っていたグランツさんが、角を傾けて微笑した。
「やぁ、2人とも。さて――」
グランツさんの視線が、狼男――この呼び方もあんまりだから、そのうちちゃんと名前を聞こう――の足元へ向かう。
「お客さんのようだ」
狼男の足元に、なんだかバケツくらいの大きさの、ゼリー状の物体がある。
それはうっすらと光に包まれると、みるみる形を変えていった。あっという間に、ロングスカートを着た少女になる。
変身、とでもいうのだろうか。
見た目だけなら普通の少女と変わらない。
青い髪を揺らして、女の子は一礼した。
「す、スライムのドロシーと申します……」
私は目が点になった。
この世界、スライムも就職するんだ……?
『スライム少女』を包む緑色の光が、またうっすらと見えた気がした。
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