おはようございますの唄

第1話 ウォーキング

 はあはあ、はあはあ……。


 無理、ムリ!

 ちょ、ちょっと慣れてきたからって、足を伸ばしたけど。

 走ってみたけど。

 早起きしたついでの軽い気持ちが……。

 こ、こんなにつらいのか?

 俺の体、こんなになまっていたのか?

 いやまあ、そりゃあ、学生時代と変わらず食べ続けて、〈ピー〉キログラム増えたけど……。

 ウォーキングの延長だろう? 軽い、軽いと。調子に乗って走っただけで、こんなに死ぬほど息を切らせるなんて……。


「おはようございます」


 へ?

 なに?

 汗を滴らせた苦しい顔を上げると、颯爽と軽やかに走っていく女の人の背中。

「かっこいい……」

 それはそのフォームを思ったのか、それとも爽やかな挨拶あいさつに思ったのか。

 自分でもよくわからなかった。

 でも、一瞬で「もう嫌だ」とくじけそうな心、三日坊主のほうをへし折ってくれたのは、何より彼女のおかげだっただろう。

「また会えるかな? 今度は俺もしっかり挨拶返したいな」

 すけべ心からだったとしても。


 ▼


 まだ25なのに40の貫禄あるなんていわれるのは体型のせい。

 定期検診で「ちょっとこれは……」ときれいな女医さんに苦笑いされた。

「おまえ、ちょっと痩せたらどうだ?」

 ハラスメントを気にしながらもズバリ上司がいうのも、なかなかうだつの上がらない俺に困ったからだろう。

 だったら、やってやる!

 怒りを原動力に。

 でも、走るのはしんどい。

 太っていると心臓に負担かかるというし……。

 一日30分……、いや10分だけでも……。

 歩くくらいなら……。

 そんな動機と、緩い意志で始めたウォーキング。

 なんだ、こんなに簡単ならと、足を延ばせばこのざまか。

 自分が情けなくなってきたとき、出会ったのは女神様?

 向こうはきっと、何にも気にしていない。

 素敵な彼女は、すれ違う人、追い抜く人、誰にでも「おはようございます」と笑顔だから。

 スケベ心は変わらず、俺も勇気を振り絞って、やっと挨拶返せば、ちょっと振り返ってニコって。

 あ、やられた。


 ▼


 無理はしていない。

 走らない。

 ウォーキングでいい。ただ、距離と時間は伸ばす。そのために早起きもする。彼女のしなやかな、爽やかな後ろ姿に後押しされて。

 後ろから彼女が来る気配。

 毎朝の挨拶。

 それだけで一日の始まりが輝くようになった。

 元気に一日が過ごせるようになった。


 「おはようございます」


 返してもらえると確かに気分がいい。

 だから、調子に乗って彼女以外にもし始めた。彼女にならってとはいうまでもない。

 ときに無視されたり、「す……」なんて、空気が漏れるだけで目をそらされたり。それはでも、突然知らない人に挨拶されたら戸惑うよなと、自分だったらとかえりみれば納得。自分が勝手にやっていること。自分が気持ち良ければいいかと、そこは気にしないようにした。

 だんだん、それで顔見知りが増えてきて、朝の散歩のお年寄りとも二言ふたこと三言みことは挨拶以外も交わすようになった。俺はもともと口下手なたちだったけど、それが営業に向かないと注意されていたけど、ちょっとましになってきただろうか。年上との会話なんて緊張するだけだったけど、それにも慣れた気がする。

 折り返してきた同じ人にまた「おはようございます」ってやってしまって赤面。

 今度は失礼のないよう、しっかり顔を覚えよう。

 それが営業に結び付いていたことは、

「おまえ、変わったな」

 と、上司から表彰の際に肩を痛いほど叩かれたときに気が付いた。


 今もウォーキングは続けている。

 標準体重までおかげさまで落ちたけど。


 あの素敵な女性とは変わらず時々すれ違う。

 今も笑顔で「おはようございます」っていい合うだけでお互い名前も知らない。けど、いつか勇気を振り絞って、「おはようございます」以上の会話をしよう。「今日はいい天気ですね」とか。それがなかなか、お年寄りにはできるのに、彼女には……。

 いつかは。

 それが今でもウォーキングを続ける原動力だ。

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