第141話 『愛をこめて』
◆
季節は巡る。
新緑の月を過ぎ、夏の盛りも通り過ぎて、私はその日、十五歳の誕生日を迎えた。
「ハニー、手紙が二通、届いているよ。差出人は、えっと……」
「大丈夫よ、お義父様。もう、見えるようになったのだから」
私は春の終わりの日、意識を失った状態で、ここロイド子爵家領地のマナーハウスに戻ってきたらしい。
数週間眠り続けた私が目を覚ました時、私は色どころか視力を完全に失っていて、記憶の一部が飛んでいるなど、精神状態も不安定だったようだ。
社交シーズンを終えて領地に戻ってきた家族は、眠り続ける私を大層心配し、特に義父は、今でもまだ私に対して過保護になっている。
「――でも、まだ、色が分からないんだろう?」
私が目を覚ましてから、ゆっくりと時間をかけて、視力は徐々に戻っていった。
それに伴って、記憶も感情の波もだいぶ安定してきた。
しかし、私の世界はいまだ色が失われていて、白と黒と灰色にしか映らない。
「もう、手紙に色は関係ないでしょう? 今までだって色が分からなくても手紙は読んでたわ」
「でもほら、頼ってもらいたい親心っていうかさ――もうすぐデビュタントだし」
「ふふ、お義父様ったら」
私は笑いながら、一通目の手紙を開封する。
その差出人は――
「デイビッド・ロイド、アリサ・ロイド……?」
「ああ、兄上と義姉上からだったのか。日付を指定して、今日届くようにしていたんだな」
「お父様とお母様から……?」
私はその中身をゆっくり、読み始める。
そこには、成人を祝う文言と、そして――
「『ファブロ王家との約定に従い、双方が望むのであれば、王太子ヒューゴ・イグニス・ファブロと、子爵令嬢パステル・ロイドとの婚約を認める』――」
「ひえっ!?」
私がその一文を声に出して読むと、義父は私から手紙をひったくって、目を皿にして文面を読み始めた。
「ちょっと、お義父様――」
「たたた大変だ! ハニー、これ、ちょっと預かるからね! トマス、トマスはどこだっ!?」
引き留める間もなく、義父は嵐のように私の部屋から出て行ってしまった。
「お義父様ったら……」
私はそそっかしい義父に苦笑しながら、二通目の手紙を開封する。
それは、小さなメッセージカードだった。
流麗な文字で簡潔な文章が書かれている。
『パステルへ
成人おめでとう。直接お祝いできなくて、ごめん。
目は、もう良くなった? こちらはあと少しで落ち着くよ。
今はまだ時間を作れないけれど、必ず迎えに行くからね。
――愛をこめて』
私はそっと、『愛をこめて』の一文を指でなぞる。
色を失ってしまったこの目を閉じると、鮮やかな色彩が蘇ってくる。
空よりも海よりも淡い水色が。
どんな宝石よりも美しく澄んだ金色が。
立ち上がって窓辺まで行くと、風が優しく頬を撫でていく。
「――私、いつまででも、待ってるよ。早く、迎えにきてね」
風が言葉を運んでいくのを見届けて、私はそっと、窓を閉めた。
私は椅子に座って、メッセージカードのお礼を書き始めた。
テーブルの上には、誕生日祝いに贈られてきた花が飾られている。
聖王国から届けられた花には、神秘的な光がぽわぽわと纏わりついていた。
覗き込んだら妖精が紛れ込んでいて、エレナが「あらあら」と言いながらそのまま私の部屋の花瓶に飾ってくれたのだ。
私はこれまでのことをひとつひとつ、思い返す。
彼と一緒に、色んな所へ行った――国内だけじゃない、帝国にも、聖王国にも。
雲の上にも、海の中にも。
海辺の街に雪の街、湖、魔の森、荒野に砂漠、水晶のトンネル、群青の森。
世界は、広くて美しくて、時に恐ろしく、雄大だった。
そして私は、たくさんの人や妖精に出会った。
元聖王のフレッド。帝国の皇女、メーア。王国の王太子ヒューゴ。
カイ、ノラ、ハルモニア、フェン、ティエラ。
ししまる、ルードと亀助、ポールにマチルダ。
アルバート、アイリスにフローラ、マクシミリアン。
それから、父デイビッド、母アリサ。
ソフィア、オリヴァー、七人の精霊。
他にもたくさん――。
旅に出るまでは、私は色が視えない――はずだった。
実際に今も、私の世界はモノクロームだ。
だけど、目を閉じると浮かんでくる。
木々の緑、海の青。
満月の黄、夕焼けの橙。
夜の藍、果実の赤、花の紫。
私は、色を、知っている。
色に満ちた美しい世界を、教えてくれたのは――
「――セオ」
私は胸に手を当てる。
首からさげたネックレスが、指先にふれる。
――永遠の絆。
離れていても、この絆は、確かに繋がっている。
愛おしいと思う気持ちも、ここに詰まっている。
なのに――
その水色が、その金色が、滲んだ絵の具のように、ぼやけて霞む。
セオに会えば、全てが戻ってくる――そんな予感はしているものの、会えない日々に、思い出せない輪郭に、不安ばかりが大きくなっていく。
あれから、もう四ヶ月。
聖王国を中心に起きた政変は、王国や帝国を巻き込み、その混乱は大陸中に波及している。
混乱といっても、悪い方向に変わるわけではない。
大陸中がひとつになれるような、いい変化の兆しが、三国を期待感で包んでいた。
私は、最後にセオと会った時のことを思い返す。
「あの時、倒れる前――確かにあなたの力を感じたの。あなたが守ってくれたのを」
私は倒れる前まで、ハルモニア、ティエラと共にモック渓谷で『天空樹』を浄化していた。
地上からたくさんの魔力が送られて来ていたが、枯れかけていた『天空樹』を浄化するのは困難を極めた――。
***
「――さん、パステルさん」
ハルモニアの声が聞こえる。
先程から呼ばれていたようだ。
『天空樹』に集中しすぎていて、気が付かなかった。
「何でしょう、ハルモニア様」
「大丈夫? 魔力が切れる前に、樹から離れるのよ」
「まだ、大丈夫です。みんなの力が助けてくれるから」
地上から送られてくる膨大な魔力。
それは、『擬似魔石』という、魔力をためる性質のある『魔鉱石』に人の魔力を注いだものを用いてのことだった。
純度の低い通常の魔鉱石には、魔石のように魔法をそのまま放出するほどの力を込めることは出来ない。
だが、純度が低くても、魔鉱石にはある程度の魔力を溜め込む性質があった。
そして魔鉱石は、聖王都にある鉱山でたくさん採れる。
セオは父オリヴァーの実家やヒューゴに事情を話して魔鉱石を可能な限り入手し、フレッドと共に帝国や聖王国の各地を回って、住民たちに魔力を込めてもらったのである。
あとは『擬似魔石』に変わった魔鉱石を各地から回収し、
これほどの魔力を集めるのは、大変だったろう。
そして、中でも強く輝いている魔力が四つ。
青色、メーアの水の力。
橙色、フレッドの地の力。
赤色、ヒューゴの火の力。
そしてひときわ強く輝く緑色、セオの風の力。
みんなが、私たちを助けてくれている。
世界を守ろうとしてくれているのだ。
だから私は、まだ倒れるわけには――
私はもう魔力がスカスカなのを感じながらも、意地と気力だけで『天空樹』に向き合っていた。
そして――
ドンッ!
意識が少しずつ
隣で魔力を注いでいたティエラが、私を突き飛ばした。
同様に、ハルモニアも尻餅をついている。
「え――どうして」
「虹のねえねも、旋律のねえねも、もう魔力ない。これ以上は、魂が傷付く。あとは任せる」
「だめだよ、ティエラ……!」
「〜! 〜〜!!」
「バウッ! ワウゥワウッ!」
言葉が出ない様子のハルモニアを、フェンが樹から引き離す。
いつの間にか上空を旋回していた
「パステル、僕たちも離れよう!」
「だめだよ、だって、ティエラが――」
「あたい、大丈夫! これ以上ここにいる、ダメ! 吸われるぞ!」
空に舞いあがろうとするセオに抵抗していると、グンっと、ものすごい力で私の中の何かを引っ張られる感覚が襲ってくる。
視界が、徐々に黒く染まっていく。
「ティエラ! ティエラ……!」
「虹のねえね。ねえねと過ごした時間、あたいの、宝物。本当の人間になったみたいで、本当のねえねが出来たみたいで――楽しかった。あたい、ねえねも、にいにも――みんなが、大好き。だから、必ず、また会おう」
「ティエラ……っ」
「空のにいに! ねえねを頼む!」
「だめ、ティエラ――」
「――ごめん、パステル」
とん、と首筋に衝撃を受ける。
その瞬間、私の視界も、意識も、完全に暗転した。
緑色の、澄んだ魔力が、私を守るように包み込んでいるのを感じながら――。
***
あの時。
結局、ティエラをひとり、モック渓谷に残してきてしまった。
ティエラは、無事なのだろうか。
『天空樹』は、一体どうなったのだろう――みんなが意図的に隠しているのか、私の元には何の情報も入ってこない。
コンコンコン。
いつの間にか考え込んでしまっていた私の耳に、ノックの音が飛び込んできた。
********
次回から二話、セオ視点です。
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