第125話 「魔物」


 パステル視点に戻ります。


********


 セオと夜空の散歩をした翌朝。

 私が目を覚ますと、マチルダはすでに身支度を整え、朝食を取っているところだった。


「マチルダ様、おはようございます」


「ああ、およう。随分ゆっくり寝ていたな。今日は旅支度を整えたら、昼前にここを出るぞ」


「そのことなんですけど……」


 私はマチルダに、昨晩セオが迎えに来てくれたことを話した。

 セオにノエルタウンまで送ってもらえば、駱駝らくだ便を手配する必要も、少ない本数の馬車を待つ必要もない。


「もうすぐこの宿に来ると思います……あ、噂をすれば」


 その時ちょうど、眩い光を纏って、セオが空からやって来るのが見えた。

 私がバルコニーの窓を開けると同時に、セオは宿のバルコニーに降り立ち……血相を変えて、飛び込んで来たのだった。


「パステル、急いで支度して! そちらはノエルズ伯爵ですね、不躾ぶしつけに申し訳ありませんが、伯爵も急いで身支度を!」


「えっ? セオ、そんなに慌ててどうしたの?」


「こっちに魔物が向かってる! 狙いはパステルと、ノエルズ伯爵だ……とにかく、早く街から離れるんだ」


「わ、わかった」


「ふむ、アイリスの手先か。承知した」


 私たちは急いで身支度を整え、セオに掴まった。

 セオは風を纏い、全速力で街から離れる。



 ある程度街から離れたところで、セオは風のバリアを消した。

 眼下に見えたのは、呆れるほど巨大な砂ミミズ――ぐねぐねとうごめいて、砂塵さじんを巻き起こしている。

 その顔には目も鼻もなく、牙の生えた口が大きく開いていた。

 身体の向きを見る限り、先程まで街の方へ向かって進んでいたようだったが、私たちが街を出たことで進行方向を変えたようだ。


「サンドウォームだ。アイリスめ、あんなものまで従えているとは」


 ここまでずっと強気で私を引っ張ってくれたマチルダの声が、少し震えている。

 あんなものが街に向かってきたら、ひとたまりもない。

 オアシスは一瞬で廃墟に変わってしまうだろう。


「ど、どうやって追い払うのですか?」


「砂漠を出てしまえば、サンドウォームは追ってこない。人や駱駝らくだの通らないルートを選び、上空高く飛んで逃げてしまえば問題ないだろう。だが、その前に――」


鷲獅子グリフォン……それに、ドラゴン?」


 私たちの目の前には、鷲獅子グリフォンと、大きなドラゴンが待ち構えていた。

 鷲獅子グリフォンは違う方向を向いていて、まだこちらに気付いていないようだ。

 しかし、ドラゴンの方は――


 私は、臨戦態勢のドラゴンとバッチリ目が合ってしまう。

 ドラゴンはその巨躯きょくを震わせて息を吸い込み、ブレスの準備を始めた。


「――!!」


 私は声にならない悲鳴を上げ、セオの腕にぎゅっとしがみつく。

 それと同時に、ドラゴンは身体の向きを変え、鷲獅子グリフォンのいる方に向かって炎のブレスを吐いたのだった。


 鷲獅子グリフォンは身体に見合わぬ俊敏さでブレスを避け、鋭い爪を振りかぶってドラゴンに向かっていく。

 ドラゴンは鷲獅子グリフォンの爪を避けると、そのまま身をひるがえす。

 鷲獅子グリフォンはドラゴンを追いかけて行き、私たちから離れていったのだった。


「何だ? 同士討ちか……?」


 マチルダは首を傾げるが、セオは特に驚いている様子もない。

 落ち着いているセオの横顔を見て、私は以前会ったことのある、緑龍グリーンドラゴンの妖精を思い出したのだった。


「もしかして、今の――ドラコ?」


「正解」


 一度だけ会ったことがある、執事服を着た緑龍グリーンドラゴン

 そういえば今鷲獅子グリフォンと戦っていたドラゴンも、背中に取っ手こそついていなかったが、洋服を着ていた。

 私に『緑』が戻ってきた後に、崖山クリフ・マウンテンでドラコの背に乗せてもらったのは、印象深い思い出の一つだ。


「ドラコは強い。鷲獅子グリフォンには遅れを取らない。今のうちに砂漠を抜けよう」


 セオは自信たっぷりに断定し、飛行を再開した。

 砂漠を抜け、荒れ地に入ったところで、セオは一旦移動をやめる。


 サンドウォームはやはり砂漠の外に出ることが出来ないようだ。

 砂が固くなり始めると徐々に動きが緩慢になっていたのだが、ついに完全に身動きが取れなくなったようで、諦めて砂の中に引き返していった。



 一方、上空ではいまだにドラコと鷲獅子グリフォンが戦っている。

 ほぼ無傷に見えるドラコに比べて、鷲獅子グリフォンはもう満身創痍だ。

 翼は片方折れているし、尻尾の先の毛はブレスに当たったのか、ちりぢりに焦げている。


「あちらももう決着が着くな」


 マチルダのその言葉に、セオも頷いて成り行きを見守っている。

 鷲獅子グリフォンは今にも地に落ちて行きそうだ。

 ドラコは、思う存分戦えるように、人のいないこの荒れ野を戦いの場所に選んだのだろう。


「……あの鷲獅子グリフォンは、地獄の猟犬ヘルハウンドと一緒に埋めてきた奴だな。アイリスが掘り出したか。ということは……」


 マチルダは、バランスを崩してフラフラと高度を下げていく鷲獅子グリフォンを横目に、何かを探し始めた。


「やはりな。見ろ、あそこだ。地獄の猟犬ヘルハウンドの背の上、アイリスが乗っている」


 マチルダが杖で指し示す方向を見ると、確かに鷲獅子グリフォンの落ちてくる場所を目指して黒いものが荒野を駆けている――その上に銀色の髪がきらりと光ったのが見えた。


「あれ、捕まえておくか?」


「そうですね。アイリス姉様を野放しにしておくと、また何をするか分からないから」


「ふ、風の力が存分に使えるなら、奴の炎は届かない。思う存分、鬱憤を晴らさせてもらうぞ」


 マチルダはセオに作戦を伝えると、地獄の猟犬ヘルハウンドの進行方向に着陸するようにセオに指示した。

 セオがマチルダの指示に従って地面に降りると、地獄の猟犬ヘルハウンドはその場に停止する。


「あーっ、出たわね、疫病神! あんたがわたくしの親友を連れ出して、ペットたちに酷いことをしたのね!? しかも冷凍婆さんまで逃がしちゃうなんて!」


「誰が冷凍婆さんだ、このたわけ」


 マチルダが杖の先をアイリスに向けると、小さな氷柱つららがたくさん、アイリスに向けて飛んで行った。

 マチルダの氷も速いが、地獄の猟犬ヘルハウンドの対応も速い。

 地獄の猟犬ヘルハウンドは炎をひと吐きして、マチルダの生んだ氷柱を一掃した。


「無駄よ、無駄。諦めてわたくしに捕まってちょうだい! そうしないとフローラおば様に怒られちゃうんだから!」


「ふん、捕まるのはお前の方だ、たわけ者」


 マチルダが杖を地面に向かってコツン、と振り下ろす。

 セオへの合図だ。

 マチルダは数多の氷粒を、セオは強い風を、地獄の猟犬ヘルハウンドの周囲に同時に生み出す。


「いたっ! いたたっ!」


 氷の粒は風によって氷嵐アイスストームとなり、地獄の猟犬ヘルハウンドとアイリスを取り巻く。

 地味に痛そうだ。


「いたたた! ワンちゃん、何とかしてー!」


 アイリスが適当な指示を出すと、地獄の猟犬ヘルハウンドは氷を溶かそうと、炎を吐いた。

 その瞬間、マチルダは氷の魔法を解く。

 すると――


「あっつ! あっつうぅぅ!! ストップよ、ワンちゃんっ」


 溶かすものがなくなってしまった炎は、温度を下げることなく風に乗り、氷嵐アイスストームは一瞬で炎の嵐へと変わってしまったのだった。

 地獄の猟犬ヘルハウンドが炎を止め、セオも風を収める。

 後には敵意を消して困惑顔になってしまった地獄の猟犬ヘルハウンドと、プスプスと全身焦げてしまったアイリス。


「ふん」


 マチルダが勝ち誇ったように笑みを浮かべると、アイリスは地獄の猟犬ヘルハウンドの背からずり落ちたのだった。

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