第78話 「もう、独りじゃない」


 どうしても眠れなかった私は、セオと少し話をしようと思い、廊下に出る。

 セオの部屋の前に立ち、小さくノックをすると、すぐさま部屋の扉が少しだけ開いた。


「セオ、お邪魔していい?」


 セオは困ったような顔で、扉の隙間から小声で話しかけてきた。


「……ちょっと散歩しよう。上着、着ておいで」


「うん、わかった。ちょっと待っててね」


 私は一度自分の部屋に戻って、外套を羽織り、再び廊下に出る。

 セオも暖かそうな外套を身につけて、廊下で待っていてくれた。


「お待たせ」


「ううん。さあ、行こうか」


 セオは、自然と手を差し出してくれる。

 そのまま指を絡ませて歩き出すと、とくとくと鼓動が早まってくる。


 隣を歩くセオは、私よりほんの少し背が高い。

 再会してすぐの頃は、同じくらいの身長だったのに――このまま背が伸びたら、いつか見上げるくらいの身長になるのだろうか。


 どんどん頼りになっていくセオ。

 一緒の目線で見る景色も素敵だけど、こうして自然とリードしてくれるセオと一緒にいると、まるで自分が物語のプリンセスになったみたいに、ふわふわした気持ちになる。

 けど、セオは物語の王子様より、ずっとずっと――





「この街には、空がないんだ」


 イーストウッド侯爵家の庭にある、小さな森。

 手を繋いで散策していると、セオはそう呟いた。


「世界樹に覆われているから?」


「そう。でも、光はちゃんと入ってくるし、誰も不満に思ってない。世界樹は、この街を悪いものから護ってくれるから」


 セオはふと立ち止まって、上を見上げる。

 世界樹の葉を透した月明かりが、その美しい顔を照らしている。

 金色の瞳は、月のある方向を見ていた。


「聖王都で暮らしていた時、僕は、街の中なら自由に飛べた。けれど、アル兄様と一緒に帝都に行く時以外は、街の外には出られなかった」


「そっか……」


 空の神子であるセオは、本来、空を飛んでどこへでも行ける。

 空は繋がっていて、風は自由だ。


 そんなセオにとってこの街は、自由を奪う鳥籠のようなものだったのだろう。


 失われた感情。いなくなってしまった家族。奪われた翼。


 ――寂しかったんだ。

 たとえ、それを理解する感情が失われていたとしても。


「セオ……寂しかったね」


 私は、繋いでいる手を持ち上げ、もう一方の手でセオの手の甲に触れる。

 私より大きくて、しっかりした手。

 儚く美しい容貌をしていても、やっぱり男の子の手だ。


 セオは、私の方に顔を向ける。

 その表情は、優しくあたたかい。


「今は、寂しくない。パステルがいて、お祖父様がいる。もう、独りじゃない」


 優しい声には、満たされた響きが確かにあった。

 セオは私の髪に手を伸ばし、甘やかすようにゆるゆると髪を梳く。


「パステル――ありがとう」


「――ううん。こちらこそ、ありがとう」


 髪を梳いていたセオの手が、頬に伸びてくる。

 甘やかな熱が、その瞳には宿っていた。

 私は、ねだるようにゆっくりと目を閉じる。


 頬に触れていた手が、頭の後ろへと回る。


 そして――


 優しい感触が、ひとつ。


 唇にそっと、落とされたのだった。




 翌朝。

 私は少し寝坊してしまい、侯爵家の使用人に起こされることとなった。


 昨日は結局なかなか寝付くことが出来ず、ようやく眠ることが出来たのは、空が白み始めた頃だったのだ。

 あの後すぐに部屋に戻ったのたが、セオはきちんと眠れたのだろうか。



 今日は地の神殿に入る予定だ。

 イーストウッド侯爵の手配によって、観光客として見学させてもらうことになったのである。


 聖王都南側の三施設。

 すなわち、『地の神殿』『精霊の祭壇』『豊穣の祭壇』は、観光名所にもなっているらしい。


 特に『地の神殿』は国内外問わず人気の観光地で、神殿内部は四つの区域に分けられている。


 一つ目は、一般の見学区域。

 神殿の外周や、入り口にほど近い場所がこれにあたる。

 重厚な美しい建築様式で、歴史を感じられる造りになっているとのことだ。


 二つ目は、権力者や富豪など一部の者だけが立ち入れる特別開放区域――いわゆるVIPエリアである。

 この区域は、一般開放区域の倍以上の広さがあり、金ピカの豪華絢爛ごうかけんらんな装飾がされていて、サロンまで付いているそうだ。

 金ピカの場所でお茶なんて落ち着かないと思うのだが、お金持ちはこれで大抵満足して帰るらしい。


 三つ目は、王族や神官、聖王都で要職につく者が立ち入れる関係者区域。

 特別開放区域のゴテゴテした装飾に紛れて目立たない場所に、関係者専用の通路が用意されていて、そこを抜けるとこの区域に入る。

 この区域へ至る道は、一般区域とも特別区域とも異なり、一転して質素で簡易的な造りになっているそうだ。

 明かりも設置されていないので、ランタンが必要らしい。


 そして四つ目は、関係者区域のさらに奥――地の精霊の神子とそれに連なるものだけが入れる場所だ。

 私たちの目的地は、この最深部にある『真なる』地の神殿である。



「地の神殿は観光名所になっているからのう、昼間はけっこう人が多いんじゃよ。しかも社交シーズンの首都じゃからのう、普段よりも混雑していると思うぞい」


「そんな混んでいるところに行って、大丈夫なのですか? フレッドさんも、セオも有名人ですよね」


「はっはっは、超超超有名人じゃぞい! さらに最近はワシが生きてたという噂が出とるからの、話題沸騰絶賛トレンド入りじゃぞ。見つかったら大変じゃのう」


 私の質問に、フレッドはカラカラと笑う。

 こうやって本人がおどけていると、大した問題ではないのかもと勘違いしそうになるが、そんな訳はない。


「えっと……じゃあ、どうするんですか?」


「二通りの方法があるのう」


 フレッドは、そう言って指を二本、ピッと立てた。


「一つは、閉館間際に入ること。もう一つは、一番混んでる時間に堂々と入ること。ワシは後者がいいと思うのう」


「……? 混んでる時間にって、大丈夫なんですか?」


「うむ。木を隠すなら森の中と言うじゃろう。観光客の多い時間帯なら、紛れ込むのも容易じゃ。大半の人間は、他人に興味なぞないじゃろうからな。

 反対に閉館間際に入れば、不特定多数の人間に見られることはない。じゃが、逆に悪目立ちする可能性が高いのう。

 その上なかなか出てこないとなると、守衛や係員に怪しまれて問い詰められるやもしれん」


「そういうものですか?」


「まあ、ワシを信じなされ。イーストウッド侯爵も一緒じゃし、大丈夫じゃよ」


 フレッドは自信たっぷりに胸を叩き、ニカっと笑ったのだった。

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