第73話 「ファブロ王国」


「魔物化しかかってるんじゃないかって」


 アシカの妖精ししまるが放ったその言葉の内容と、のんびりした話し方とのギャップに、私は理解が追いつかず固まってしまった。

 それはセオとフレッドもそうだったようで、室内の空気が凍りついている。

 だがそれも一瞬のことで、すぐさまフレッドが険しい顔をして続きを促した。


「六大精霊である火の精霊が魔物化……それ、かなりまずいんじゃないかのう?」


「うん、でも、まだ完全にはなってないと思うって。それで、カイお兄さんとノラちゃんが、ファブロ王国の王太子様と一緒に、一生懸命調べてくれてるんだよぉー」


「うん? ファブロ王国は大昔に精霊の力を失ったはずじゃろう? なのに何故、王太子が精霊のことを知っておるのじゃ?」


「王太子様が、火の精霊の神子の一人だからだよぉ」


「……どういうことじゃ?」


 訝しむフレッドと同じように、私の心にも疑問が渦巻く。

 ファブロ王国では、精霊は信仰の対象とされてはいるが、実在しているとは考えられていないのだ。

 ししまるは、私たちの疑問も何のその、妖精だからこそ知っていることを、すらすらと返答していく。


「火の精霊の神子は、代々ファブロ王国の王家に引き継がれてるんだってー。

 ファブロ王国は元々おっきな火山地帯だった場所で、おっきな噴火で真ん中がなくなっちゃって今の地形になったんだよぉ。

 火の精霊も今ファブロ王国のある場所で生まれたんだって。

 何百年も前に王国が精霊の力を閉じた時、他の精霊や妖精たちは出ていったけど、火の精霊だけはファブロ王国に残ったんだぁー。

 王国では王家に生まれた人だけが、火の精霊のことと、その力を知っているんだよぉ」


「……ふむ……じゃが、魔物化ということは、王家の誰かが火の精霊の力を悪用しているということかい?」


「そうみたい。火の精霊の神子が何人いて、その中の誰が悪いことしてるのかまでは知らないんだけどねぇー。

 王太子様は火の精霊の様子がおかしいことに気が付いて、ハルモニア様と連絡を取りながら調べてるんだよぉ。

 今は王太子様も一生懸命火の精霊に呼びかけてるみたいだけど、このままじゃ、あんまり良くないかもって……」


「うーむ」


 フレッドは唸りながら、難しい顔で考えに耽っている。

 続けてししまるに問いを投げかけたのは、セオだった。


「……どっちにしても、僕たちは火の精霊にも会わなきゃいけない。王都に行けば火の精霊に会えるかな?」


「会えるかもしれないけど、危ないかもしれないよぉ」


「魔物化しかかってるってことは、まともに話が出来ない可能性もあるってことだよね。でも、それでも会わないと」


「うーん、でもそれだけじゃないんだよぉ。ハルモニア様から教えてもらったんだけどぉ、もうすぐ聖王様が王女様と一緒にファブロ王国の王都を訪問するんだってぇ」


 ししまるは片方のヒレで、頭をぽりぽりと掻くような仕草をする。

 聖王、という単語に反応して、フレッドが思考の海から帰ってきた。


「……王都訪問じゃと? 何のために? そもそも、ファブロ王国は他国と国交を断絶しているんじゃなかったかのう?」


「ハルモニア様は人間の言葉が聞こえないから、詳しいことは分からないんだって。でも、予定が書いてあるお手紙がちらっと見えて、ファブロ王国に行くことだけは分かったらしいよぉ。明日、聖王都を出発するみたいだよぉー」


「お祖父様、それなら逆にチャンスじゃない? 火の精霊は後回しにして、聖王都にいる地の精霊に会いに行くのはどうかな?」


「うーむ。罠があるかもしれんし、聖王都には空からは入れない。セオやワシの身分がバレないように検問を抜ける方法を、考える必要があるのう。

 知り合いの商会に声をかけるか……しかしそれじゃと滞在時間を長く取れんし、寄り道をしながらじゃから、聖王都に着くまでに時間がかかるのう……」


「フレデリック様、セオ、パステル。今回は、私もついていきますわ」


 突然会話に割り込んだのは、今までフレッドの横で静観していたメーアだった。

 フレッドも驚いたようで、目を丸くして横を向く。


「メーア嬢、帝都を離れて大丈夫なのかい?」


「ええ、お父様もご理解下さるわ。公務という形で、帝国からの公式訪問にしてしまいましょう。

 今ちょうど、アルバート殿下が帝都を訪問していますわ。明後日にはお帰りになるそうですから、その時に一緒についていくのです。それなら聖王陛下がいらっしゃらないタイミングでの訪問でも、おかしくありませんわ。

 フレデリック様は近衛騎士として、セオとパステルは侍従として潜り込めば良くってよ」


「……皇帝とアルを説得できるのかい?」


「ええ、勿論。今日の晩餐までにお父様から勅書をもぎ取って参りますわ。お父様から私へのご指示であれば、アルバート殿下には逆らう権利も止める権利もございませんもの。お任せ下さい」


 メーアの表情は自信に溢れている。

 フレッドとメーアが組めば、向かうところ敵なしなのではないかと思えてならない。

 一方で、そんな二人を見てセオが少し暗い表情をしているのが、私は妙に気になったのだった。




 翌々日。


 メーアは宣言通り皇帝の勅書を手に入れ、アルバートの馬車と連れ立って、帝国の馬車を出させることに成功したのだった。

 遠目から確認したアルバートは、少し冷たい印象の男性だった。背が高く細身で、背中まである銀髪を後ろで束ねている貴公子である。


 メーアがアルバートと挨拶を交わし、同じ馬車に乗り込んでいく。

 私たち三人は、聖王国の関係者が全て馬車に乗り込んだことを確認すると、急いで別の馬車に乗り込む。

 馬車はゆっくりと動き出し、聖王国への長い旅路が始まったのだった。


「聖王国の王都からファブロ王国の王都までが十日。ベルメール帝国の帝都から聖王都までが十四日。

 マックスは昨日聖王都を出発しているから、ファブロ王国に滞在するのが一日だけだったとしても、今日から数えて往復で二十日。

 つまり、旅が順調に行けば、ワシらには六日間の猶予があるということじゃのう」


「ねえお祖父様、行きは帝国の馬車で入都出来るけど、帰りはどうするの? メーア様はマクシミリアンおじ様の帰りを待つことになるでしょう? それまで聖王都に滞在しているのは、危険じゃないの?」


「それについては大丈夫じゃ。途中の街で、知り合いの商隊を手配する手筈になっとる。聖王都で落ち合って、検問を抜ける時だけ荷台に乗せてってもらうぞい。まあ、ちと干し草やなんかにまみれるかも知れんがのう、はっはっは」


「あっはっはぁー」


 フレッドが楽しそうに笑うと、笑い声がもう一つ重なった。

 私でも、勿論セオでもない。

 びっくりして声の出処を探ると、座席ではなく床に転がったボールの上に、ちょこんとししまるが座っているのだった。


「へっ!? ししまる、いつの間に!?」


「あっはっはぁー、あ、パステルお姉さん、おはよー。セオお兄さんも、フレッドおじいちゃんも、おはよー」


 セオもフレッドも普通に挨拶を返している。ししまるに気付いていなかったのは私だけだったらしい。

 ……ししまるは濃い灰色だし、馬車の中も私にとっては灰色なので、風景に溶け込んでいた。

 決して、馬車の旅に浮かれてぼんやりしていて気付かなかった訳ではない。ないったらない。


「おはよう……えっと、ししまる、いつからいたの? これから外国に行くんだけど、降りなくて大丈夫?」


「ぼく、最初からいたよー。メーアお姉ちゃんに頼まれたんだぁ。ぼくもついて行くから、よろしくねぇ」


「そっか、一緒に来てくれるのね。よろしく、ししまる。……あ、でも、サーカス団の公演は平気なの?」


「へいきー。サーカス団は冬休みで、代わりにアイスショーをやってるんだぁ。スケートで滑ったりするんだよぉ。アイスショーの時は、ぼくの代わりにアザラシさんたちとペンギンさんたちがやってくれてるんだー」


「そっか。……ふふ、ししまると一緒だと、楽しそうだね」


「ぼくも、たのしみー」


 ししまるはボールの上で一回転しようとしたが、ちょうど馬車が小さく揺れて、こてんと床に転がった。

 それを見てフレッドが豪快に笑い、セオもくすりと笑いをこぼす。

 私も久しぶりに声を上げて笑ったのだった。


 馬車の行く先は、陰謀渦巻く聖王国の王都だ。

 けれど、ししまるがすっかり緊張感を溶かしてくれた。

 少なくとも目的地に着くまでは、楽しく安らげる時間になりそうである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る