第五章 橙

第66話 「ただのポンコツなのにゃー」



〜第五章 橙〜


 私たちは湖畔の別荘跡地に造られていた墓地で、カイという名の騎士と対面していた。

 カイは、今はファブロ王国の騎士服を着ているが、以前はエーデルシュタイン聖王国で騎士を務めていたらしい。


 彼はセオを見るなり跪いていたのだが、おもむろに身を起こす。

 肩の上の黒猫が、また「ふぎゃっ」とバランスを崩しそうになったが、今度は上手く体勢を立て直したようだ。


「セオドア殿下、本当にお久しいすね。随分背も伸びて……オリヴァーとよく似てきましたね」


 カイは屈託のない笑みを浮かべている。


「ところで、お隣のお嬢さんは? もしかして、ソフィア殿下のお力を……?」


 カイの精悍せいかんな顔立ちが、こちらを向く。私の虹色の髪を眺めるカイの視線に敵意はなく、むしろ友好的な印象だ。

 どちらかというと、肩の上の猫の方から、何か物言いたげな鋭い視線を感じる。


「うん。彼女はパステル。今の『虹の巫女』で、僕の大切な人」


「あ、あの、パステルと申します。初めまして」


「申し遅れました、俺はカイといいます。事情があって現在はファブロ王国に所属してるんすけど、以前はセオドア殿下の騎士としてお仕えしてたんすよ」


 互いに軽く挨拶を交わすと、カイはセオに視線を移し、首を小さく傾げた。


「ところで殿下、なんか雰囲気だいぶ変わりましたね? もしかして、病が快方に向かってるんすか?」


 セオは九年前にとある事件から感情を失い、公には病を患っているとされて暮らしてきた。

 同じ事件で、私パステルも記憶と色覚を失ってしまい、最近までロイド子爵家に引きこもっていた。

 だが、封印に関わった六大精霊に会うことで、セオの感情と私の記憶、そして色覚はかなり戻ってきている。


「うん。パステルのおかげ」


 そう言ってセオは、ふわりと微笑む。

 澄んだ金色の瞳に甘く優しく見つめられ、私も目を細めて口元を綻ばせた。

 空色の髪は風に揺れて柔らかくなびいていて、思わず息を呑んでしまう程の美しさだ。


「……これは驚いた」


「にゃああん」


「ところで、このお墓……もしかして、カイが?」


「……ええ。もうすぐ、十年経ちますね。俺だけ生き延びちまって……」


 カイは、手に持っていた花束を墓前に供えると、軽く祈りを捧げた。


「ソフィア殿下もオリヴァーも、アリサも。デイビッドさんまで、先に逝っちまった」


「カイさん、あの、私の両親のこと、ご存じなのですか?」


「へ? もしかして、パステル嬢……いや、確かにアリサの面影もあるし、目元はデイビッドさんそっくりだ」


 カイはまじまじと私を観察している。

 徐々に近くなってきた距離に、背中を反らし始めたところで、肩の上の黒猫がカイの頬をぷにぷにと押し……


「カイ、近いにゃー」


 ……喋った。


「そそ、その子、今喋りませんでした!?」


「にゃおーん」


 き、気のせいか。うーん。


 黒猫は、すまし顔でカイの肩の上に落ち着いている。

 カイもなかなか離れてくれないし、やはり気のせいだったのだろう。


 私は二、三歩後ずさって、さりげなくセオの斜め後ろに隠れる。

 カイは私の疑問も行動もスルーして、そのままの体勢で話し始めた。


「アリサとは、学友でした。デイビッドさんには、以前命を助けてもらったことがあって……二人の娘さんに会えるなんて、俺は感無量すよ」


「そ、そうでしたか……。あの、私の両親はどんな人たちでした……?」


 なんとかそう返答すると、カイは何故かずざざっと思いっきり後ずさって、頭を下げる。

 ……私、何かやってしまっただろうか……?


 黒猫は地面に降り、今度はセオの足元に落ち着くとジト目でカイを見ている。


「おお、本当だ。パステル嬢、すんませんした」


「え? え?」


「で、こいつ、黒猫のノラ。喋るんすよ、妖精だから」


「は、はぁ……」


「んで、アリサはやたら元気で底抜けに明るい奴、デイビッドさんは一見優男だけど頼りになる奴で。いい奴らでした」


「……そうですか……」


 どうやらカイは、言われたことには順番に応えていく主義のようだ。

 なんというか、テンポが合わないなぁ……。


 私は、ちょっとだけ困ってセオの方を見た。

 セオは苦笑いしている。


「カイは相変わらずだね」


「アホだから一個ずつしか処理できないにゃー」


「ええ、俺は変わらず元気ですよ。おいノラ、アホはないだろうアホは」


「にゃーん」


 セオは足元のノラを抱き上げた。

 やはりノラが喋ったのは気のせいではなかったようだ。

 私はセオとノラにだけ聞こえる声量で、思ったことを口にした。


「……彼、よく騎士団でやっていけるわね?」


「騎士団のやつらも脳筋だから問題ないにゃー。戦ってる時は何も考えてないから普通に反応するんにゃけど、普段はミーがいないとただのポンコツなのにゃー」


「まあ」


 背中を撫でられて気持ち良さそうにしている黒猫が、毒舌を吐いているのが面白くて、私はくすりと笑ってしまう。


「ノラちゃん、可愛いし賢い子なのね」


「パステルは猫を見る目があるにゃー! 抱っこを許可するのにゃー!」


 ノラはセオの腕からするりと抜け出し、私の腕の中に収まった。

 艶々した黒い毛並みはよく手入れされていて、触り心地が良い。

 首元には大きなしましまのリボンが付けられていて、愛らしいノラによく似合っている。


「ふふ」


「ふにゃーん♪」


 ノラはご機嫌だ。カイも嬉しそうにニコニコしている。


「ノラ、良かったなぁ。けどもうそろそろ行かねぇと」


「カイ、もう行くの?」


「ええ。湖にでっけぇ工事現場があったでしょう? 俺の任務は、先日あそこで起きた爆発事故を調査することなんすよ」


「……調査が騎士の仕事なの?」


 セオはいぶかしむように首を傾げている。

 確かに、調査の護衛ならともかく、調査そのものが任務というのは普通ではない。


「まあ、俺はちょっと特殊な立場でして。王国騎士団からの任務じゃないんすよ」


「それは……」


「おっと! 時間だ! ノラ、行くぞ」


「にゃうーん」


 セオの質問を遮るように、カイはノラを手招きする。

 ノラは名残惜しそうに頬を擦り付けると、私の腕からカイの腕に飛び移った。


「セオドア殿下、パステル嬢、お元気で! もし王都に来なくちゃならねぇ用事があったら、ゆっくり話したいんで、俺ん家に寄って下さいよ。西区の十一番地に赤い看板のメシ屋があるんすけど、そこの二階に間借りしてるんで」


「わかった。今度王都に行く用事があるから、寄らせてもらうよ」


 私も、笑顔で頷く。


「ミーもまた会いたいのにゃー。絶対来るのにゃー」


「ふふ、またね、ノラちゃん」


「にゃーん♪」


 そうして、肩に黒猫を乗せた大柄な騎士は、私たちに背を向けると、急いで走り去っていったのだった。


「なんか、不思議な人だったね」


「うん。悪い人じゃないんだけどね。

 カイは、僕が感情を失くしてからずっと、僕のことを気にかけてくれてたんだ。カイを見かけなくなったと思ったら、いつの間にか騎士を辞めてた。

 ……その時は僕、感情がなかったから、その後カイがどうなったのか気にも留めなかった。まさか王国にいるなんて」


「そっか」


「さて、僕たちも戻ろうか」


 セオの差し出した手を取ると、私たちは眩い光に包まれる。

 私たちはセオの魔法で空を飛び、ロイド子爵家のマナーハウスへと戻ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る