第16話 キョリ
風呂から上がり顔をホカホカとさせた淡い薄水色の寝巻きを着た咲月ちゃんが美香さんと共にリビングにやって来て、今日俺達が頂いた絶品肉じゃがを食べ終え、時計の長針がてっぺんを指し、短針が1の数字を指す、サービス精神豊富な鬼の残業社会人以外は深い眠りに落ちているであろう深夜25時。
そろそろ俺と黒奈瀬は眠くなって来る所だが、「さぁ、こっちに来るんだ……」と、呼び寄せた咲月ちゃんとソファに座りながら黒奈瀬と三人で会話をしていると割と眠気を気にする事もない。
「咲月ちゃんは普段なにしてるのかな?」
「え、と……本とか読んだり……あ、あとは……て、天井見詰めてる……」
……それは何もして無いって言うんだよ……
「……えーと、そうだな……本はあの部屋にあった童話とか読んでるのかな? 他には何か読んだりするの?」
「う、うん、他には……え……と……内緒……」
「内緒かー、残念……また気が向いたら教えてね?」
少しずつ心の距離を縮めるために咲月ちゃんとの会話をし、本を読むらしいから興味のある本のジャンルでも聞こうかと思っていたけど、まだ心を開ききっていないのか、そっと顔を逸らされる。
そんな感じでどうしようかなと悩んでいた所へ美香さんが何やら本が薄らと見えるレジ袋を持ってやって来た。
「咲月ー? これ言ってた本買ってきたわよー、咲月好きよね〜こういうの」
「……え? お、お母さん……ちょっと待って……」
わたわたと何か慌てるように咲月ちゃんが立ち上がり、美香さんの持つレジ袋に近寄るがそれと同時に美香さんはそのレジ袋に入っている本を一冊取り出し、咲月ちゃんへと差し出す。
「あっ……」という声と共に咲月ちゃんが此方へと視線をやったのが横目に見えたのと同時にその本の表紙が目に入る。シンプルな装丁には大きく女の子の絵が描かれていて、題名はハルハライド。
……ん、何か聞いた事あるな……ジャンルで言うと少女漫画に当たるのだろうか、年頃の女の子相応の趣味だ。
「も、もうお母さん……バカ……」
美香さんから本をさっと受け取り両手に抱え、カァーッと赤く染めた顔を俯かせながら美香さんをそう咎める。
「あら、どうしたの咲月……私何かやったかしら……?」
……ったく、美香さんもしょうがないな、俺が軽くフォローしてあげよう。
「……咲月ちゃん、大丈夫だ、咲月ちゃんぐらいの年頃の女の子なら良くある趣味だからそんなに恥ずかしがる事はない、堂々として居ればいいんだ、だってそうだろ? 思春期の女の子なら誰だって、カッコイイ男の子との出会いを望んだり、不良に絡まれていた所に突如として現れた王子さまに助けて貰ったり、その男の子の子が自分の学校に転校生としてやって来てきたり、その後はヒロインのライバル登場や、昔の幼馴染の男の子との久しぶりの出逢い、その幼馴染に心を動かされつつも、やっぱり私にはあの人しかいないと心に決め、そんな中、その王子を狙うライバルの女の子が登場し、でも実はその女の子はヒロインの親友で、その親友は自分なんかよりも勉強も出来てスポーツも出来て性格も良く、そんな親友と自分の好きな人が笑いあって会話している所を見て、『ああ、相応しいのは私なんかじゃなくて、あの子なんだ』と、『もう、私なんて居なくてもいいんだ』と心に思い、その初恋を諦めて、込み上がる涙を堪えながらも、もう振り返らずに潔く居なくなろうとした所へ自分の手を掴んでくれた初恋のあの人。そんな心揺さぶられる衝撃で遂に、我慢していた涙が溢れ出す。そんな感じで、あーだこーだとありつつも無事にその初恋が成就する。……うん、そんな妄想をして見悶えるのは当たり前の事だ、 女の子なら!! いや、どの歳になっても!! 口には出せない恥ずかしい妄想をしてしまうのは女の人なら当たり前のことだ!! だからもう一度言う咲月ちゃん!! その思わずほっこりしてしまうような趣味は、決して恥ずかしくなんてない!!」
「ッ……ハァッ、ハァ、ハァ……堂々としていればいいんだよ……ハァ、うっぷ」
立ち上がり、ご近所さんの迷惑を省みず声高に叫ぶ俺。因みに美香さんによると、ここら辺の住宅地は割と稼ぎの良い人達が多いせいもあってか家の壁が分厚いらしいので大丈夫だ。多分。
「ハァ、ふぅ……どうかな、咲月ちゃん、納得してくれた?」
「や、やぁぁ……ぁ……」
赤くなっていた顔を更に茹でダコみたいに真っ赤にして、小さなお手てで顔を覆い蹲る何処か憐れな少女。
いったい誰のせいだろう。
「あれ、どうしたの咲月ちゃん……俺何かやったかな……?」
「……貴方たちそれはもうわざとの領域でしょう……同情するわ咲月ちゃん……」
今まで黙って見ていた少し眠たそうな黒奈瀬に俺と美香さんの失態を咎められる。
「ん、なんかまだ本が有りますね、なんですかその本……」
袋越しに薄らと見えるもう1冊の本が気になったので美香さんに質問してみると、「え、やっぱり気になる? 仕方ないから見せて上げようかしらー?」と言って美香さんは何故だか少し照れ臭そうにしながら、そのレジ袋の中身からカラフルな装丁の本を取り出し、何故かその本の表紙では無く、中身の見開きページを俺の目の前にぐっと差し出す。
「えーと、うおっ……コレは……」
その差し出された本の見開きには、なんというか、男と男がくんずほぐれつしていて、真っ赤な薔薇が咲き乱れる幻覚を見てしまうような内容だった。
まぁ、要するにBL、ボーイズラブって奴だな……いつの頃からかある流行り病だ、この病気の根本的治療法は現在確立されておりませぬ……
その見開きが次々に捲られて行く……め、めっちゃハードな内容だ、これは良い子の皆さんにはお見せ出来ない。
勿論だが咲月ちゃんにも、進んでは行けない道に行ってしまうと言うより、人の道を外れてしまう、嘘です。共感は出来ない高等な趣味だけど、人の趣味は人それぞれという事で、おけーい?
そんなことを思っていると横からひょっと出てきて本を覗く黒奈瀬。
「これ、BLという奴かしら……何だか凄く気になるわ……美香さん、他にも持ってるかしらこういうジャンルの本、一冊貸してもらえる?」
「ええ、もちろんよ! 墨音ちゃん! 私と一緒に武士道を歩みましょう!!」
「ダメだ!! 黒奈瀬!! こんなの……こんなのって言っちゃダメか……いやでも、こんなもの武士道なんかじゃあ決して無い!!いや、まぁ、ある意味確固たる精神性的な意味では似たような物なのかも知れないけど、どっちかというと修羅、修羅道だ! 決して人風情が軽い気持ちで歩んで良い道では無い! そこには阿修羅が住んでいる! だから戻ってこい、黒奈瀬ぇぇえええええ!!」
大事な友人が道を違えようとしているので全力で呼び止めに掛かる。
「まだ行ってないから落ち着きなさいよ、確かにまだ人から堕ちる訳には行かないわ、それにどちらかと言うと六道に繋げるなら天道の天上の天使にでもなりたいわね」
……そうだな、黒奈瀬は謎の天使推しだもんな……
「あ、あたしも気になる、お母さん」
「よし、さぁて、咲月ちゃん、ソファにでも座ってお話の続きでもしようか、お兄ちゃんもっと咲月ちゃんのこと知りたいなー」
手を引いて、正しい世界へと連れ戻す。
とてとてと、正道へと戻る正しき少女。でもどこか、なにか良いだけに口をパクパクとさせている。
「え、……?う、うん、でもBL……」
……単語覚えちゃったー!
⋆☾·̩͙꙳✩
そんなこんなで、人の道から外れた一人と危なげな二人も居たけど、他の御二方がおしゃべりなのもあってか、咲月ちゃんとの会話は途中辿々しくも割とスムーズに交わされて行き、少しづつ打ち解け合い、此方の事に興味を持ち始めてくれた頃。
ふと、外を見ると、空には陽が登り始め、辺りは白み始めていた。
時計の針は朝5時に回ろうかとしている。
視線を戻すとひとしきり会話を終えた咲月ちゃんはうとうと船を漕ぎ始めていた。
「咲月ちゃん、眠かったら寝て良いからな」
「……うん……」
左に座る咲月ちゃんの朧げな返事を聞いていると、ふっと、右肩に重みを感じる。
「な、右肩にグラビティ……」
黒奈瀬はコテンと、俺の肩に頭を乗せスースーと気持ちよさそうに寝息を立てていた。
まぁ、黒奈瀬も随分とはしゃいだからな。
「……みっちぃ……明日も来てね……」
数時間の会話を交わして、互いの心の距離が縮み仲良くなって行く中、呼ぶ様になったニックネームを口にして明日への約束事を口に出し、その実現を希望して来た咲月ちゃんに対し、「ああ、今日もまた泊まるし、明後日も来るよ、もちろん望むならその次の日も」と返事を返す。
その返事を聞き「……やった……!」と言いニコリと微笑むと、まるで夢の中に引き摺り込まれる様にして俺の腿へと落ちていく……
咲月ちゃんに膝枕、右肩に黒奈瀬。二人は夢の中、俺は蚊帳の外。
いや、これは蚊帳の外というより……
「あら、両手に花、二人の女の子を侍らせて、新タくんも隅に置けないわねぇ……あなたにはきっと、王の素質があるわよ」
「言わんでください……あと王の素質ってなんですか……」
やばい、今鏡見たくない、大分気持ちの悪い顔をしてるだろうから。
そんな自分を想像し、情け無くなったので、なるべく顔に出さないように真面目な表情をする様に心掛ける。
おなごにどんだけ言い寄られようが尻に敷かれようが、足蹴にされようが、俺の心は動じない、絶対不変の不動の心である。
「……新タくん、口の端吊り上がってるわよ」
「……い、いや、釣り針が引っ掛かって……ちょ、ちょっと美香さん、そんなに引っ張らないでくださいよぉ、グヘヘ」
「何もやって無いじゃない……」
口元がだらしの無い情けの無い男へと軽くツッコミを入れて美香さんは再び口を開く。
「……今日はありがとうね、この子があんなに笑ったのも、あんなに頑張って誰かと会話をしようとしたのも久しぶりよ」
「笑顔が素敵な子ですよね、咲月ちゃん、もっと笑わせてあげられる様に、次からもいっそう邁進して参ります」
「そうね、私も今は仕事休暇取ってるから、何かあったら言って頂戴ね、それと毎日は来なくても大丈夫だから、新タくんも学校があるだろうし、もし勉強に支障が出たら新タくの親御さんに顔向け出来ないからね」
「そこら辺はまぁなんか良い感じにしますよ、成績もそれ程悪くない位置キープ出来てますし、この事、さっき親父に電話で事情話したら、『ぬわぁにを言ってるんだ! 勉強なんてしてる場合じゃない! 女の子を救え! じゃないと勘当だ! 新タぁぁぁああ!!』って、電話越しでめっちゃ叫んでましたしね」
「あら、今どき珍しいお父さんね」
「えぇ、でもそんな変な所も決して悪くないです、今の俺があるのは親父のおかげなんで」
……というか親父、俺と縁切ったら本当に独り身だぞ……老後の世話は一体誰がするんだ……? 親父のおしめは誰に任せるつもりだ。まぁ、その事について言った時には『お前に代えられるぐらいなら先に逝ってやる』とか言ってたけど。
それに親父、あんた身体が悪くて通院してるんだからあまり笑えない冗談だ……
親父の現状と未来に軽くツッコミを入れていると、俺の膝枕で気持ち良さそうに寝ている咲月ちゃんがモゾッと動く。
「……部屋、連れて行った方が良いですよね」
そう言いつつ、小動物のような愛くるしさを持つ咲月ちゃんに目を落とし、その心地良さそうな寝顔を見ていると何だかこっちまで眠くなってくる。
「ん、ふわぁ……やべぇ……」
「新タくんもそろそろ眠たいでしょう? 旦那の寝室があるからそこ使って寝なさい……咲月は私が連れて行くから、あっ、それとも新タくんに任せようかしらねぇ、私朝から腰痛が酷くて、今にも逆くの字型に曲がりそうだわ……」
絶対嘘だ、あった時からめっちゃ元気良かったじゃん……それに腰痛で逆くの字型に曲がったら全国の主婦は全員隈なく逆くの字型になっている筈だ。子育て大変。
「まぁ、良いですけどね、よぉし……じゃあお姫様様抱っこしちゃおうかなぁ? 咲月ちゃん? グッへへへ……」
手をワキワキとさせ、王子様では無く、悪いオオカミに襲われそうになっている、まだ何処か幼さを感じさせる少女。
でも大丈夫、例えオオカミだとしても、紳士な心は忘れない。
「取り敢えず黒奈瀬なんとかしないとな」
「……そうね、ほら、姫が寝てるわよ、抱っこなさい」
パチッと開いたおめめで何かを宣っている黒名瀬さん。
「起きてたんですね、お嬢様、私めは召使いの身分でございます、おいそれとお嬢様に触れる事はできませんので、何卒ご容赦を」
「……可哀相な召使い……それだから一生cherryなのね……」
「勝手に俺の一生を決めるな、しかもチェリーの発音が無駄にネイティブなのもやめろ、俺はもう行くからな、ぷんすかぷんぷん」
勝手な決め付けに憤りを感じながらも、王子が眠る姫を扱うように咲月ちゃんを優雅に抱き抱え、さっさとこの場を後にする。
「ちょっと、どこに連れて行くのよ狼さん、涎ダラダラよ、何をするか丸わかりだわ、美香さんの目は誤魔化せても私の慧眼は誤魔化せないわよ」
「寝てる女の子を食べるのは宜しくないわねー、でも今回は見逃してあげます。親公認なので安心しなさい」
「寝かしに行くだけだし、涎は垂れてない! あとまだこんなにも無垢でいたいけな子を襲えるか! ぐっ、ぐへへへっ、くっ、クソっでっ、出てくるなー!」
「國満くんは自分の中の獣の本性と闘っているようね」
「あら、そうなの? ……いけっ! そこよ! 頑張れ狼! 國満 新タをぶっ飛ばせ!」
「ヴッ、ガオォォォオオオ!!」
チンチンチンチーン!! 勝者、國満 新タの獣の本性!!
……って、なんでやねん。
二人の変なノリに付き合わされて辟易しながらも、(最初に始めたのは俺だが)リビングを後にし、咲月ちゃんを(もちろん紳士な方の俺で)運んで行き、起こさない様に気を遣いながらもベッドに寝かせ、ふぁさっと掛け布団をしてやり、俺はそのまま美香さんに言われた通りに、咲月ちゃんを連れて行くついでに教えてもらった旦那さんの自室まで魔族、睡魔に急かされるようにして行く。
「うぉっ、すげぇ本の量……何の仕事してんだろ……」
部屋の中心を囲むようにして配置された本棚と詰め込まれた大小様々な本の多さに驚きつつも、眠たい目を擦りながら、直ぐ近くにあったベッドへと気絶するように落ちて行った――。
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