第10話 踊ドレヨ踊レ
暗い、何処まで暗く黒い。
そんな沼に。
俺は、プクプクと浮かんでいる。
ブクブクと沈んでいく。
いつからだったか、いつから俺はここにいるのだろう。
酷く漠然とした思考。
ふと、何処からか、フツフツとした憎悪を感じる。
それは己のウチガワ。
俺は何がこんなにも憎いのだろう。
それは、俺をこんな運命に陥らせた世界か、神か、それとも、あの、暗く澱んだ目の男か。
いや、違う、俺が本当に憎いのは⎯⎯⎯
✕✕✕
久々の旅疲れもあってか、帰ってすぐに気絶するようにぐっすりと眠り、夜が終わり、太陽が再びそのご尊顔を現す頃、グワァ、グワァ、というドラゴンの轟く鳴き声と共に青々とした清々しい朝を迎える。
……ん、ドラゴン……ま、いいか。
二度寝。
再び微睡みに沈んでいく。
夢の中へ――
ふと、どこからか――――
――みつにぃ……みつにぃ! ……みつにぃ? みつにぃぃ……みつにぃ!! ……みつにぃ?? ……み〜つ〜に〜ぃ〜……
何度も何度も俺を呼ぶ声、夢の中の少女は様々な表情、こっちを見ては笑ったり、後ろ手に手を組み背を向けては哀しんだり、また振り向けばギュっと両手を握って顔を真っ赤に怒ったり、そしてまた、噛み締めるように笑ったり、そんな喜怒哀楽を浮かべてこちらの心を揺り動かして来る――。
……まったく、愛いやつめ。
俺はそんな少女へ向けて両手を広げる。
さぁ、飛び込んで来いと、兄様が熱く抱擁してやろうと。
――目を開ける――。
――カッ……!!
⎯⎯途端に飛び込んできた白い光、ぼやける視界、やがて慣れ、初めに視覚から脳へと送り込まれた来た、情報、景色は何処かの家の天井だ、木材質の、それとその天井へと空しく掲げられた俺の両手…………。
「……あでぇ?」
……んん、てかここは、……宿屋? ……ああ、そういえば泊まってたんだっけ。
という事は先程の光景は全て夢……、お、俺の願望……。
「……そうか……」
ハァ……と吐き出す溜息と共に両手を降ろす。
「でもまぁ、セーフだ……危うく死にかけた……」
ツキが可愛すぎて。
俺は、シスコンなのだろうか。
あはっ、言うまでも無いな。敢えて。
……それにしても……
「ふっ、くぁぁーっ、よく寝たな……」
心地の良い朝と共に上半身を起こし、ぐっと伸びをする。
思い返せばこんなにも良く眠れたのは久々だった。
……何故だろう、まぁいいか。
疑問はさておき、漏れ出る欠伸を噛み殺し、先程の夢の中の少女、ツキを起こそうと隣のベッドを見てみる。
「……ツキー……? あれ、居ない……トイレかな?」
周囲を見渡す、肌色が掠める。
「……おぉ……俺また全部脱いじゃってるじゃん……フフフ、この俺の理想的でびゅーてぃふぉう、な筋肉を拝むことが出来てよかったな、太陽さん……」
――太陽もわざわざ、何処ぞの誰とも知らぬ変態の全裸を見るために世界を照らしだしに来たわけでは決してないはずなのに、その愚かな筋肉ナルシスト(俺ね)はベッドから出ないままに、陽の光が入ってくる窓へと傲慢にも不遜にも、空へと登らんとする太陽へと語りかける。
「……うん? そんなに真っ赤になってしまってどうしたんだい……? ……ふふっ、大丈夫だよ、太陽さん、君が照れてしまって、たとえその赤く眩しいお顔を地平線へと隠してしまったのだとしても、君の変わりに次はお月様に、このダビデ像の様なぱーふぇくとぅ、な裸体を魅せてあげるからね……フフっ」
不気味で気持ちの悪い笑みを零しながら悪魔(俺ね)は笑う。
「……月といえば、……ツキはまだかな、また何か珍しい物でも見つけてはしゃいでいるのかな?」
しょうがないから、そのお転婆な愛おしい妹を探しに行こうと
横には丸くなってピッタリとこちらにくっつき、まだまだ成長の兆しが見られる未発達の無垢な白い裸体を服も着ずに惜しげも無く晒しだした、長いまつ毛を覗かせ、気持ち良さそうにスー、スーと呼吸を繰り返している銀髪の妖精さんがいた。
というかツキだった。
なるほど、そうか……遂にツキにも発現したんだな……我らが、アルク一家が誇る偉大なる遺伝子、深い夜、眠りにつく時、無意識にソレは成される、そう、それは――……
ただの脱ぎ癖だ。
「ツキさんや、何でこっちにきちゃってるんですか……」
「んんっ……」
突然外気に肌を晒された事を感じたのかモゾっと動いた。
「ったく、仕方ないな……どれどれ……」
思春期真っ盛りの妹にまさか触れる訳には行かないので、俺は未だ全裸のまま、ツキの可愛いお顔にかかった髪を浮かすようにフーッと息を吹きかけてみた。
⎯⎯加速する変態性、どこまでも、どこまでも⎯⎯。
……あ、脇下付近にホクロを目視。
「……んー、ふぁっ……うぅ……あれ、みつにぃ……おはよう……まっ、また裸だし……」
「やぁ、おはようさんだツキ……さぁて、今日は依頼もこなさないといけないし、俺はとっとと服着て支度でもしようかなーと……」
「あー、そっか……じゃ、あたしも……っ、えっ……」
寝ぼけ眼なツキは起き上がりながら自らも支度の同意をするが、だが、その途中で何か気付いては行けない現実を目の当たりにしたようだ。
「どうしたんだぁいツキィ……起こるはずの無い非常な現実に認識が追いついていないようだぞ、大丈夫だ、ゆっくりでいい、ひとつずつ、自問自答し現状を確認していくんだ、動揺はするんじゃないぞ、ただ機械的に理解していけば良い……そう、そうだ……それでいい……いずれ明確な答えに、確定された現実に辿り着くことができる……」
目の前で固まるツキ、思考停止中にも見えるが、少しずつ、確かな現実を受け入れて行っているのだろう。
「……どうだ、ツキ、そろそろ答えが出てきたんじゃ無いか……そのまま、そのアンサーを独り言を呟くようにフラットに口に出してみるんだ」
自らの身に起きた事象に思考が追いついたのだろうか、理解が及んだのだろうか、ツキは少し目線を下げ、ぎゅっとケットで胸元を隠しながら言葉を空に投げだす――。
「――あたし、初めてなのに……全然記憶ないんだけど……」
「ツキっ、それは間違った現実だ」
二つの意味でね。
⬛︎
その後、紆余曲折ありながらもツキの身に起きてしまったことを事細かく説明し、宿から出された朝ごはんを食べた後に今日こなす昨日受注した依頼を開始するために二人でギルドへと向かう。
「うぅっ、ショックすぎる……あたしだけは絶対にあの劣等遺伝子を発症させない、って誓ってたのに……神様に、じゃなくて
悪魔だからな、というか……。
高潔なる吸血鬼の遺伝子に劣等って……酷いことを言う……まぁ、確かに脱ぎ癖は上等では無いな、品性の欠けらも無いし、下等だな、うん。
「まだ言ってるのか……これは仕方のない事なんだよ、親父にも母さんにもある遺伝子なんだ、そりゃあもう、濃いに決まってる、運動会の日に作ってくれた、母さんの少し辛い塩おにぎりくらいに」
まぁ、あっちでは産まれた時にはすでに母さん、いなかったけど。
「……ちょっとよく分からないけど……」
あ、そうか、こっちの世界には運動会なんて無いか。
現在進行形で絶賛、萎え萎え状態のツキを連れ、ギルドで無事に依頼を受注することができた俺たちは、その依頼内容にある栄華の果実を採取しに行くために囁きの大森林へと赴くのだった。
⬛︎⬛︎⬛︎
⎯⎯広げた地図から目を離し、見渡せば木々に囲まれた森の中、囁きの大森林、その道中、俺は依頼を受ける際に受付の人に説明された言葉を思い出す。
——『現在、囁きの大森林近隣、斬鉄山にて強力な魔物が確認されています』、との注意を受けた、報酬が上手い事と関係があるのだろう、囁きの大森林自体にいる訳では無いのであまり深く行き過ぎ無ければ危険は少ないとも言われたし、それと、その魔物は現在、手練の冒険者が討伐に向かっているらしい。そんな事情を加味して、ツキもいる事だし、足を運ぶのは中枢までにしようと思う。
「ほら気を引き締めなさいツキ、危険を感じたら直ぐに逃げることを忘れちゃダメだぞ」
「わかってるよ、みつにぃも危険を感じたらすぐにあたしを盾に使って逃げてねっ」
「そんな屑に成り下がった覚えはないけどな……なんなら俺の方が盾になれるぞ筋肉的に!」
「そんな薄っぺらいもの一瞬だよきっと」
「はい、お兄ちゃん傷付いた、それは侮辱罪に当たります」
「へー、じゃあ刑執行だね、泣いて詫びるまで終わらぬ、終焉くすぐりの刑だねっ」
そう言ってツキは俺の両手を掴むと自らの脇辺りに持っていく。
「……これはなんですかね、くすぐればいいのか?」
「うんっ、ほら早く」
自分からくすぐってとはこれまた新しい、でもまぁ、ここまでせがまれたのなら全力でツキの脇腹目がけてこちょこちょしてやることに、ここで大事なのは無闇に力を加えない事だ、絶妙なさじ加減が大事、こちょこちょマイスターと呼んでくれてもいいぞ。
「あ、ちょっ、ちょっとみつにぃっ、あはっ、あはははっ! あははははっ!! ちょっと待ってっ、あははははっ! うますぎっ、まっててばっ、あははははっ! あ、あぅっあっ、あっ、はぁっはぁ……」
――なっ、なんだ、?
何か、己の深淵に芽生えそうな罪深い感情に気付き、咄嗟に刑の執行を中止する。
「……今回はここまでにして置いてやろう、そろそろ目的地も近い事だし、モンスターに遭遇する事も有るだろうから、戦闘前に体力消耗しても駄目だからな、うん」
「はぁっ、はぁ……あ、危なかったぁ……」
……ふむ、どうやらデンジャラスだったらしい。
???
そんな危ない会話(俺的に)をしつつも、己の足は意識せずとも森の奥へと更に歩を進めていく。
――ふと頭上を見上げてみれば、先程よりも一段と背の高い青々とした木々に空が覆われ、その隙間から陽の光がチラチラと差し込んでいた。
「だいぶ進んだな、あまり奥に進むのは危険だからこの辺にしとこう、……それに情報によると栄華の果実の生息地はこの辺りだったはずだ……」
「でもみつにぃ、果実が実ってたとしてもよく分からないよ、この辺りの木、全部背高いし、ジャンプでギリギリ届くかな?」
「……ん、ああ……言ってなかったっけ、栄華の果実が実る木はこの辺りの木より低めらしいぞ、それと葉っぱはトゲトゲしてるみたいだ、毒は無いけど採る時は気をつけないとな」
「……ふーん、やっぱ美味しいのかな」
「あぁ、良いとこの店に出るくらいには高級らしい」
ツキと適当に情報交換をしつつ、辺りをぐるりと見渡してみると、視界の端に何か赤い物が映る。
「……おっ、あれじゃないか、ツキこっち着いて来てくれ」
「りょーかーい!」
その栄華の果実と思われる物の傍までよると、依頼にあった見た目の情報と照らし合わせてみる。
縦14cm横10cm程、元の世界で言う林檎ほどの大きさに、周りは透明な膜のようなものに覆われており、中は赤い瑞々しい果汁にシュワシュワと炭酸のような気泡が見受けられる。
「これだ……凄いななんだこの果物、こんなタイプ見た事ない……いっぱいあるし一個ぐらい味見しても良いかな」
「うぁー……ブヨブヨしてるー……これあたしも食べてみても良いかな……あー、でもこれ中身溢れて来ないかな、服汚れちゃいそー」
ぶよぶよの果実をツンツンと突っつくツキ。なんだか水風船みたいだ、ヨーヨーにして遊べそう。
「食べるのもいいけど、とりあえず採取してからにしとこう」
……にしてもなんかさっきからこの辺り……
「ぁあっー! なんか……暑くない? みつにい、体温調節もあんまり効かないんだけど……」
「そうだな……来るときはここまで暑くなかったはずだったんだけどな……」
二人とも体に纏わりつくような暑さに汗を滴らせてしまっているほどだ。
「あっ! あっちにもあるよっ!」
また新たに発見したのかタタッと駆けていくツキ。
……暑いって言ってる割に元気良いなうちの妹は。
「ほらこっちー! はやくっ、はやくー!」
何がそんなに楽しいのか、満面の笑みで、ちょこんと結んだツインテールをゆさゆさと揺らし、ぴょんぴょんと跳ねながら急かすように両手を振っている。
「……たっく、可愛いヤツめ」
「これ採ったらそっち行くからっ! 先に採取しといてもいいぞー!!」
「うん! わかったー!!」
「ハァァ……にしても……本当に暑い……干からびるぞ……なんなんだこれ、突然の猛暑か……?」
茹だるような暑さに気が滅入る。
ツキから視線を外し、再び果実へと視線を戻そうとしたところで、ツキの背後に何か、大気をゆらゆらと揺らすほどの燃え盛る炎が見えた⎯⎯いや、違う、ただの炎なんかじゃない、大きな鳥だ⎯⎯。
「ツキっ!! 後ろだ!! 逃げろっ!!」
「え……みつにぃっ、きゃっ!」
「ツキ!?」
俺からの呼びかけに直ぐに気付き、逃げようとするツキだが驚きのあまり誤って転倒してしまう⎯⎯ダメだっ、逃げるのは間に合いそうにない。
ツキの危機を感じ、すぐさま眼球へと魔力を送り込む⎯⎯⎯
――ジリリと眼球の痺れ、
――一線。
ひとつの矢か弾丸のように音を置き去りに、空を切り裂き、勢いのまま腰を捻り身体を左へと回転させ、対象の頭部へと魔力を纏った右足で左方向へと蹴っ飛ばす――。
キェーーッという断末魔と共にバキッと頭蓋が割れる音がした直後、炎の鳥型魔獣は身を錐揉みしながら吹っ飛び、辺りを揺らがすほどの大木に胴を叩きつける音が聞こえてくる。
瞬く間、刹那の出来事。
数秒にも満たない命のやり取りを終え、まだ落ち葉が舞う中、直ぐにツキへと駆け寄り、安否の確認を取る。
「ツキ!! 大丈夫か!? 怪我は!? 何処か痛い所はないか? 怖くなかったか? 立てるか? 水分補給は大丈夫か? ほら水だ、飲めるか? 脱水症状は危険だからな、汗がすごいぞ……タオル使う? 顔に傷は……ないな、ふぅ……良かった、べっぴんさんのツキに傷一つ付こうものなら親父と母さんに向ける顔がない……ん、そうだ、服の下は大丈夫かな……一旦脱がすぞツキ」
「も、もう……過保護すぎだから、ありがとね……大丈夫、怪我はないよ、一人で立てるよ、あたしだって吸血鬼なんだよ? ……だから服から手を離して馬鹿にぃ」
「こらっ、馬鹿じゃないっ! こっちは心配してるんだぞっ! ほら両手を挙げて、バンザーイ! トランスフォーム!!」
「よぉし! トランスふぉー……って、しないからねっ!」
……ツキ、ノリノリだな……これなら大丈夫そうだ、よかった……取り敢えずは一安心だけど……
……まだ終わってはなさそうだ。
揺らぐ気配、地面から身を起こした炎の鳥がぐわっとその身に纏った炎を揺らしたかと思うと平然と起き上がりその大きな翼を威嚇をするように広げ、キーンと鼓膜が貫かれるような金切り声をあげる。
「――キェェーーーーーーッッッッッ!!」
「っ……こいつ、強力なモンスターの目撃情報ってこいつの事だよな……まだそれほど奥まで進んだ訳じゃないのになんでこんな所に……」
だいたいあんな炎纏ってるのになんで周りの木に燃え移らないんだよ……
「このモンスターってあれだよ、緊急クエストに載ってた……」
「……フレイムフェニックスだっけな、不死鳥って言われるだけの回復能力は備わってるってことか……吸血鬼より再生能力高かったりしてな」
見た所そこまで苦戦する相手でも無さそうだから逃走よりも撃破撃退の方が良さそうだ、親父の教育の賜物だな、腹も減ったし早く終わらそう。
「……今日の晩ご飯は焼き鳥だな、もう燃えてるから焼く必要もなさそうだ」
「そうだね、あたしも手伝うから!」
「……来るよっ! みつにぃ!!」
「ああっ」
対象との距離は数メートル。そのフレイムフェニックスの纏う炎の体積が大きくなり、辺りの気温が更に高まったかと思うと、羽を広げたまま加速も無しにいきなりトップスピード、低空飛行で突っ込んで来る⎯⎯まるで巨大な火の玉だ。
ツキを後ろに庇ったままに、拳に魔力を込め攻撃に備え、フレイムフェニックスの下顎に意識を集中、決してあの鋭い嘴に馬鹿正直に対抗しては駄目だ、あの一点に集中した力には凄まじい鋭利さが備わっている、貫かれてしまうのは一瞬だろう、たとえ分厚いコンクリートだろうと。
⎯⎯そして直前までその嘴が迫ったのを認識するとすんでの所で、嘴を下からくぐるように躱し、下顎に向けてアッパーを試みる。
グシャッとひしゃげて、まるで熟れた果実が潰れたような音がした――。
だが、渾身のアッパーが決まり、フレイムフェニックスの下顎が潰れたかのように思われたその呆気のない音は、――違う形、結末をもたらしていた。
「熱っ、なん……だコイツ……?」
⎯⎯⎯突如舞い降りた余りにも非現実な光景、まるで白昼夢でも見ているように視界が揺らめき白一色となり、汗が滴るような暑さは、身を焦がすような熱さへと変わっていた。
その純白のカーテンが降りたかのように思われた視界は、いっそ美しさを感じるほどの蠢く白い炎、その中には見上げるほどのノイズの走った大きな黒い人影、頭部の左右には鬼のようなツノ、上下に視点を動かしてみると下半身に比べてアンバランスな大きな上半身、その体躯に備わった大木ような腕の片方は目の前の潰れたフレイムフェニックスの背へと振り落とされていた。
よく見るとフレイムフェニックスの背には鋭く尖った大きな湾曲した鉤爪が突き刺さっている。
「みつにぃっ! 危ない!!」
唖然としたまま思考が回りきらない俺の目の前へと瞳を黄金色に染めたツキが盾になるように躍り出て行くが、霧か何かを払うように、化け物は左方向へと横なぎにツキを飛ばす――。
勢いのままに、木がひしゃげる程の威力で体を打ちつけるツキ――。
「あ"っぅ――」
「ツキッ!? っ……」
「――――――ぁ……?」
視線をツキへと向けた数瞬の間、⎯⎯その白炎の化け物の五指から生えた大きな鉤爪が、己の腹から背にかけて深く貫いていた。
「⎯⎯⎯ァア"ッ、」
ドバっと口から吐き出される多量の血液。
声にならない程の激烈な痛みが襲う。
――続けてズルズルと引っ張り出される赤を纏った綺麗なピンク色の長い臓物。
「ヴ、ア"ァァァァァァァッ、、」
内側から外界へとスプラッシュして行く赤黒い液体。
俺は己の臓物を掴んだその脅威から逃れようと、脚へと全力で魔力を廻し、その太く醜い大腕へと蹴りを入れるが、化け物はそんな棒切れで突っつかれたかの様な些細な出来事などどうでもいいのか、気だるげに空いた左腕で、スパッとこちらの右脚を切断⎯⎯。
「……う……そ……」
――余りにも呆気なく現実味のない光景に驚きの声が零れると同時に、続けて左腕までをも切断され、腹から飛び出た生々しい肉のヒモを化け物に掴まれたままに、振り回すようにして放り投げられ、その勢いのままに背を大木へと強打。
「ガ、ハァッ――」
肺の中の空気が血とともに吐き出され、呼吸が上手くできずに苦しむ。
身体には力が入らず、前方へと力無くうつ伏せに倒れる。
――だが、すぐさま意識を切り替え――、それは恐怖故か、急かされるようにして顔を上げ正面を見据え、揺れる視界の焦点を合わせていく――。
……撒き散らした血液、飛び出た腸。正面、数メートル先、蜃気楼にも見える大きな白く揺らめくツノの生えた黒いヒトの形。
先程まで胴と繋がっていた散乱した両腕は、再生する為の魔力へと変換する為、黒い塵となって爆ぜる⎯⎯。
欠損した身体の部位は、吸血鬼の再生能力で徐々に治癒しつつあるが、いかんせん、あのメラメラと燃える白い炎に腹の中身、左腕と右脚の切断面を焼かれているせいか、完治するまでに時間を要してしまう。
「ツッ、ツキ……!!」
横、数メートル、隣の木に背中からもたれ掛かるツキへと呼び掛けてみるが応答がない。
叩きつけられた衝撃で意識を失ってるのか……
「起きろっ……!! ツキ!!」
この場に置いて絶対なる
「ぉ……いっ、ツキに近づくなっ……!!」
化け物の
的がでかいので外すつもりはなかった、だが、そのナイフは化け物の首、腕に数センチ刺さっただけでこちらに見向きもしない、それどころかその体から湧き出る炎の熱さによって徐々に融解し始めていた。
「クソっ、なんなんだよっ! やめろっ!! こっちだ化け物っ!!」
⎯⎯やがてその白炎の化け物はツキの目の前へと到達し、鈍く光る黒い鉤爪を照らつかせ、醜く太く強靭な腕を徐々にその小さな体を貫かんと伸ばしていく――。
――やめろ。
――――やめろ。
「……ぁぁっ……嫌、だ、」
……また……またなのか、また奪うのか、こうも簡単に、いとも容易く……大切な人を、かけがえのない居場所を、ささやかな幸福を、何もかもを。
――結局この世界に来ても繰り返すのか、何も学ぶことの無い愚図が、……いっそ生まれて来なければ、こんな事にもならなかったのに。
「――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ! ぉい……ツキに手を出すなっ……! 動くなっ……化け物っ……!!」
立ち上がろうとし、倒れ込み、叫び、地を這いずり、手を伸ばし、でも、⎯⎯決して届かない。
「……ツキっ……やめろぉぉぉおおおっ……!!」
その尊い命を刈り取らんと禍々しい鉤爪がまだ目覚めぬ少女の胸へと触れ、
……オイ、、やめろって言ってるだろ、嫌なんだ、やめてくれよ。
……なあ。なあ、もう、もう嫌だ。いやなん、です。こんな現実見てられないんです。オレが悪かったんです。ブザマにも生きながらえてしまってごめんなさい、何も出来なくてごめんなさい、もう許してください、なんでもします、だからもう取らないでください、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、、、。
瞬間、ボヤけた視界に映った少女が、その小さな身体をビクッと震わせ、ドバッと口から血を吐きだしたのが垣間見えた――。
、、、⎯⎯⎯⎯⎯
―無垢なる悪意は俺をまた喰らうのか―。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯あゝ。
?
——火の幻想。複数の足音。——影法師達は花を散らし、我先にと走り出す……それはいつだって、変わる事など無く……間違っていた、侮っていた、愚かしい、腹立たしい、憎々しい、馬鹿馬鹿しい、嘆かわしい、煩わしい、救いようが無い、この忌々しき呪われた厭離穢土、どこまでも哀しい極楽浄土、不愉快極まりない、何もかも不毛、無意味、無味乾燥、束の間の幸福、空虚な言葉、投げ出した、身の丈に合わず、水は結晶になって割れて消え、蔑まれ、苛まれ、疎まれ、恥辱にまみれ、屈辱的、恥晒し、下劣な奴ら、俗な奴ら、下衆が、価値がない、差別され、搾取され、略取され、唾棄されるべし、阿呆ども、何て醜く、独りよがりな生、不安に満ち満ちて、酷く不快だ、なにもかも不毛、間抜け、生き恥だ、醜態を晒せ、目も当てられない、凄惨だ、浅学だ、学がない、能無しが、なにも、持ち得ない、ちっぽけで陳腐で憐れなヤツ、誰、誰だ、お前だ、お前、嫌い、嫌いだ、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、「
――――ウゴケよ、ノロマ――――。
ドクンッ、と跳ね上がる――ナニカヲ、感ジル。
「――
ウチガワからの声。チカラ、ダ。
ハラの底に黒く渦巻くナニカガ、ヌルリと蠕動スル。
【問、この力は何ノ為に使う?】
【答、✕✕である為に】
―――命を呑み込む静寂。
――化け物は己の本能に警鐘を鳴らす。
―――奪わねば、トラレル―――
マッテイロ、デカブツ。
⎯⎯再び迸る紅ノ瞳、先ほどよりも尚いっそう紅く、深く、濃く⎯⎯それに伴い細く狭まる瞳孔。ゾワッと芽生える幾何学模様、先ほどよりも幾重にも、複雑に繋ぎ合う。
身を震わせるような殺意に化け物が眠る少女へと刺し込んでいた爪を引き抜き、コチラを向き、鎌首をもたげる。
⎯⎯そんな視界は真っ赤に色濃く染まり、空気、魔力、血の流れ、生命の鼓動、筋肉、関節の動きが感じ取れ⎯⎯⎯弱点<柔らかな部分>も丸ミエダ。
ゆらりと立ち上がり、昂る感情に応えるように再生のスピード、質が上がる。
……っ?、鬱陶しい。
腹部から垂れ下がった腸を引きちぎる⎯⎯地面に投げ捨てられた蚓のようなピンクの長い臓物はその場で黒い塵となって爆ぜる――。
――急速に再生する腹、そのナカミ、魔力を根こそぎ持っていかれるが、どこまでも、際限なく、魔力はまだまだ昂り続ける。
既に疲労も限界を超えてしまっているが何故だかとても心地がよく、気分がイイ。
眼前、化け物の醜くゴツゴツとした体躯から燃え盛る白炎の勢いが増す、――ユラっと上体を屈めた化け物は、その大きな図体からは考えられない速度で此方へと襲い来る――。
どうやら敵だと認めたようだ。
⎯⎯肉薄し、音を置き去りに素早く振り上げられる容易く命を奪う大きな
⎯⎯変動する空気、魔力の流れ、対象の蠢く筋繊維、可動する関節から動作の起点を読み取り鉤爪が頭部へ直撃するすんでの所で滑るようにして右斜め前方へと体を入れ込み躱す⎯⎯流れのままに、右手の人差し指、中指の先端に魔力を流し、力の集約点を作り出して二本の指を対象の胸部より下、腹部より上の体の中心部、
「ガァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!」
この世に生を授かってからの初めての痛みに絶叫する化け物。
その化け物の咆哮を心地良く耳に受け入れると、人差し指と中指の間に仕込んで置いた小型の赤く輝くクリスタルを中で砕き、素早く指を振り抜く⎯⎯すると、内側からドンッとくぐもった低い爆発音が鳴り響き化け物の内部を破壊。
⎯⎯⎯苦しみ悶える化け物。
どうやら心臓が無くなっても関係なく、動けるようだ。
……何故眼前の悪鬼は、こんなにも醜く映るのか。
――アア、そうか、そう言う事なんだろう。
「……ハハハハ……」
―――この、醜く憐れな同族へ嫌悪という名の手向けを―――。
揺らぐ視界の中、自らの眼球を抉り取って仕舞いたくなる衝動に駆られる。
だが、そんな惑溺とした思考はすぐさま切り替わり、先程の接触により白い炎に包まれ焼かれた皮膚は素早く再生を見せる。
⎯⎯続けて眼前、未だ胸部を掻きむしりもがき苦しんでいる化け物の脇腹付近に目を向けると、
その澱み目掛け、銃型に模した手を突きつけると、「——
法則に則り、
その行き先を視る。人差し指と中指の薄い皮膚はチリチリと焼け焦げ、硝煙を生じていた。——手を開閉し、揉み消す。
遠方から断崖か何かにその身を叩きつける音、やがて鳴り止むと、数秒後、驚く程のスピードで再び化け物が急接近、その大きく湾曲した爪とこちらの頭部への接触の未来、予測し、一歩後退、躱し、続けて化け物の晒された腹部へと蹴りを見舞ってやると、ドンッという衝撃音と共に衝撃波が辺りに波紋し、その重い体躯が地面から数十センチ浮き上がる。
宙へと浮かされた化け物が地面へと落ちるすんでの所で、更に続けざまに腹部へと蹴りを入れる。
再びドンッ、という衝撃音、衝撃波と共に浮き上がる大きな体躯。
強制的に与えられた浮遊感は化け物の焦りを誘発させる。
焦った化け物は未だ浮き上がったままに、醜く膨らんだ大腕を
――その間、垣間見えた此方の一瞬の隙。
その隙に対して化け物は追い討ちを掛けるようにして、両腕をムチの要領でしならせての高速の連打。
――迫り来るそれらを此方も手を使い、連打全ての相殺を試みる。
乱雑に巻き起こる突風。吹き荒れる白炎。
大小雑多な暴力、小さな力は受け止め、大きな力は流れるようにして後方へと
その数秒にも満たない攻防が終わり、やっとの事地上へと降り立とうかとする化け物。
「――まだ地に脚は着かせんぞ――」
「――浮かべよ――」
ドンッと蹴りあげる。
⎯⎯更に、続けて。
⎯⎯ドン。ドン、ドン、ドン、ドン⎯⎯
「ほら、ほら、ほら、上がれ、上がれ、上がれ、上がれ、上がれ、上がれ、上がれ⎯⎯」
徐々に、段階的に地との距離が離れていく化け物。
浮遊感に、宙に拘束され、何時までも地に脚の着くことの出来ない惨めな生き物。
——力と重力のジレンマ——。
どちらに抗い、どちらを得るか。
翼を与えられず、飛ぶことの出来ない生物は、空に自由を赦されない生命は、与えられた浮遊感に、ブクブクと恐怖心を膨らまし、決して抗う事の叶わない
――空を選ばず、地を歩く選択をした人類は、いったい何をした――?
「——————?」
途端に感触が変わるのを感じ、その箇所に目線を変えると、腹部へと蹴り続けていたつま先は化け物の腹に深くめり込んでいた。
……なるほど、どうやら加減を間違ったらしい。
得心と共に硬い筋繊維にめり込んだ足を引き抜く。
途端に地へと降ろされ、
――その図体を軽く押してやる――。
ベクトルに従い、重心がグラッと後ろに傾いたのを見計らうと、頭上目掛けて飛び上がりツノの生えた頭部を後ろへ倒すように踏みつけにする、すると化け物はまるで力が抜けたかのように後方へと倒れ込み、背中を大地を揺らし打ち付ける⎯⎯
生まれて初めての屈辱的な仕打ちに怒りを露わにしているようだ。
怒り狂った純白の炎は辺りに大きく燃え広がり、空間を白に染め上げる。
⎯⎯まるで悪夢のように醜く白々しい光景。
「……ははっ……」
お似合いの景色だ。
ニヤッと、滲み出た自嘲は爛れた皮膚のように張り付いて離れない。
そのまま足元、地面へと
状況は明らかか、一方的な殺戮、単純な肉体のだけの強さでは無く、生物の本質によって、刻み込まれた本能によって容易く呑み込まれている。弱者は強者に、その命を、生死の果てをコントロールされていく。
――何故か、先程まで焼かれることのなかった衣服はその殆どが焼失していた――。
繰り返し焼かれる肉、再生する肉、振り上げる腕、焼かれ、再生する、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、尚も殴り続ける、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、焼かれ、再生、殴る、ただ繰り返ス。
「グガァァァアアアアアアッッッッ!!」
大気を揺るがす咆哮に、ピキンッと耳奥から鼓膜が弾ける音、耳孔からは、ダラっと血が流れ出た。気にせず続ける。
化け物は振りかざされるその延々と繰り返される煩わしいモノから逃れようと
⎯⎯⎯決壊したダムのように噴きでていく赤黒い液体。
「ヴッ、ア"ァッ……」
意識を刈り取るような鈍痛。
——だが、関係ない、俺にはまだ残っている。頭部が、口腔が、鋭く尖った歯が。
だから俺は、化け物の胸部目掛けて、
続けて硬い外皮と、引き伸ばされた黒い繊維を喰いちぎる。
歯に挟まれた肉、強者故の愉悦に俺は独り浸り…………。
―――天上を見上げた―――。
品性は無く、美しさの欠片も無い戦い方。
だけどいいだろう、元来――生存競争とはこういうモノだ――。
それにこの戦い方が俺には似合いであり、結局最後には、こんなやり方しか俺には分からない。
――肉を地へと吐き捨てる。
再び胸部へと牙を突き立て、ただ漠然と、貪りを繰り返す。含んでは吐き捨て、掘り進めるように、同じ事の繰り返し。
俺は、ひたすら、探している、求めて止まない
嫌でも待って、ソレはさっき、無くなったんじゃなかったっけ―――。
喰いちぎった箇所から血は、出てこない、化け物のその悲痛な絶叫は食欲を掻き立てた。その甘美な絶叫は立派な前菜になり得た。
だから俺は、その感化を最後に、眼下のソイツに見せつけるようにチラつかせ、⎯⎯ヴェルダンな
嚥下と共に、喉元を通った肉は熱く食道を焼き、酸を孕んだ胃袋の中へと収まる。
空間の白炎は静かな揺らぎを見せた。
——強者のみに赦されたその行為は、今確かに、化け物へと、畏怖と嫌悪をあたえていた。
フツフツと、燃え滾った腹の中身は焼失と再生を繰り返している、想像を絶す痛みはあるが、心底に、どうでも良かった、だってそんな事よりも、煮えた腹中はこんなにも……
――暖をとったように心地良いのだから――。
反して、冷えていく思考は冷静さを取り戻す。
今は、余韻に浸っている
眼下の動揺はすでに憤怒へと移り変わりを見せ始めている。
この一連の攻防の中、化け物の明確な弱みは見つかった。
だからもう終わらせよう。
――のろりと立ち上がり、頭部めがけてグシャッと片足で踏み潰す。
卵が割れ、崩れるように呆気なく、いとも容易く、外殻と詰まった中身を潰し終わった。
⎯⎯すると辺りを包んでいた白炎が瞬く間に消え失せ、それに伴い徐々に周囲の温度も下がっていき、残るのは、頭部の潰れた黒く大きな人の形を成したナニカ。
――――――――――――――――
――― ―― …………
、、、、。
徐々に昂っていた波が引いていく、無我夢中で忘れていた呼吸を思い出す。
「―――ッ、ハァッ、ハァ、ハァ…………終わった、……のか……ハァ……ツキは……」
ぐるりと辺りを見回し、失った両腕を再生させつつ、木にもたれかかったまま身動きのないツキへと重い足を引き摺らせながら向かう。
――目の前まで辿り着くと、膝立ちになり、再生した両腕で壊れ物を扱うかのようにそっと、ツキの頬へと手で触れ――
――【接触は禁ズ】――。
停止。……呼びかける。
「ツキッ、もう大丈夫だ……終わったぞ……ツキッ! ……おい……うそ、嘘だよな……起きろよ……頼むよ、頼むから……起きてくれ……」
意識を取り戻す様子が無い。
「嫌、イヤだっ……もう……」
こんなのはもうたくさんだ。
「……う、んっ……」
「ツキ……? ツキ!?」
意識を取り戻しそうな少女の名前を必死に叫ぶ。
すると、長いまつ毛の除く目蓋が少しずつ深い眠りから目覚めるように開いていく――
やがて開けられた瞳、そして少女はにこっと微かに笑むと。
「……そんな顔しないで…………ね……?」
そんな、言葉を言った。そして共に伸ばされた小さな両手に、顔を優しく包み込まれる。
「……ほんとうに……いつもあなたは優しかった……いつだって……やさしく……そうして……私を覚まさしてくれるんだ……ごめん……ごめんね……手間が掛かってごめんね……」
⎯⎯どこか懐かしい響き、言葉。頭の中に響き渡り反芻していく。
何処からか、錆び付いた錠がはずされる音。
――閉ざされた記憶の開閉――。
願っていた未来は、記憶は、思い出は、やがて現実となり――……。
自らの瞳孔が見開かれるのを感じる。
「⎯⎯咲月、ちゃん……?」
気が付くと俺は、ポツリと、その決して取り戻す事のないと思っていた思い出を、少女の名を、少し不安に感じながらも、どこか願い乞うように、声に出して零していた。
「へへっ……やっと気付いてくれたんだ……みっちぃ……」
目の前のささやかな幸せに、ひとつ、また少女は微かに笑う。
ゆっくりとこちらに寄りかかり、引き寄せるようにしてぎゅっと抱き締めてくる少女。
安堵の溜息は出てこなかった、残ったのは込上がり詰まった想いと、僅かな身体のシビレだけ。
―――だからそうして、俺はただ、目の前の、梓川 咲月のぬくもりに、身を任せているのだった―――。
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