昭和から令和のプロ野球について、徒然と。
青海啓輔
第1話 愛しの大洋ホエールズ
今からもう35年くらい前になる。めぞん一刻が大団円で最終回を迎え、光GENJIのスターライトが世に出た頃だ。
その頃、小学校高学年の僕は思っていた。
生まれ変わったら、光GENJIのメンバーに生まれ変わりたいと。
それくらい光GENJIのメンバーはキラキラ輝いていたし、同級生の女の子達も彼らに夢中だった。
それはさて置き、その頃僕は東京から横浜に引っ越して、珍しいものを見た。
何かと言うと大洋ホエールズファンだ。
横浜ではクラスでプロ野球ファンが10人いると、大体5人が大洋ファン、3人が巨人ファン、残りが阪神とか広島とかのファンだった。(あくまでも僕の周りの話です。)
今こそ、横浜スタジアムはチケットが取れなくなっているが、当時は巨人戦や阪神戦以外は、客入りはあまり良くなかった。
とは言っても選手は中々粒ぞろいであった。
エースは遠藤投手に、抑えにはヒゲの斉藤投手がいた。
あとは欠端投手に大門投手、日ハムから移籍の木田投手など…。
そして野手は高木、屋敷、加藤のスーパーカートリオに、ラーメン大好きオバQこと田代選手に、山下大輔選手。
マリオに風貌の似たポンセ選手に同じくヒゲを生やしたローマン選手。
西武から移籍の片平選手に、高橋雅裕選手。
特に片平選手と高橋雅裕の応援歌は小学校で習った曲の替え歌であり、良く覚えている。
片平選手の応援歌は曲名は分からないが、「ちぎれー雲は風に軽くそーらをなーがれる」という曲の替え歌であり、「それかたひら、それかたひら、一発かたひら」というものであった。
高橋雅裕選手の応援歌は有名なグリーングリーンの替え歌であった。
僕は特に高橋雅裕選手の応援歌が一番印象に残っている。
「マッサーは打つぞー、ライトへホームラン。マッサーは打つぞー、レフトへホームラン」という歌詞だった。
高橋雅裕選手は年間でも二、三本しかホームランを打たなかったので、子供ながらライトとレフトに1本ずつ打って終わりかい、と突っ込んでいた。
横浜スタジアムの特徴は、レフト側にエレクトーンのブースがあり、時に軽快な音楽をお姉さんが奏でていた。
僕は当時は巨人ファンであったが、行くのはいつも大洋戦だった。
その頃の大洋ホエールズは、横浜大洋銀行と揶揄されていたが、何故か僕が見に行った試合に限っては強かった。
槙原選手からローマン選手がサヨナラヒットを打ったり、ポンセ選手が満塁ホームランを打ったり。
まああの頃のプロ野球も面白かった。
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