第5話 ( 1 )



  自由の世界から檻に囚われて、絶望の淵に落ち込んだ。身体の芯から気だるくなる、不気味な臭いに意識が朦朧とし、もう、何もかもを放棄しようと考えていた時だった。


  「悲しいにゃん?」


  目の前に現れた不思議な気配は、大きな蒼い瞳でこちらを見つめている。


  「狭すぎにゃん?」


  《……》


  「ここから出たいにゃん?」


  (エルロギアの、たみではない)


  「うーーん…」


  身体からはエルロギアの民の気配がするが、魂はエルロギアの民ではない。


  懐から取り出したのは小さな袋。その中身を見て、そして再び檻を見つめる蒼い瞳。


  「これはこれはお嬢様、そちらをお買い上げくださるのですか?」


  後から現れた悪臭のものと言葉を交わした不思議なものが、自分を抱え上げた事がわかった。


  (臭くない……)


  不思議なものの身体は臭くない。むしろ草花の香りがする。温かい体温を感じ、息の詰まる場所から移動されると、檻の隙間から覗き込んできた蒼い瞳が弧を描いた。


  「良かったね」


  《……》


 

 *


 

  月明かりが射し込む黒の森。青と黒の闇の中、黄金に翠晶が煌めく双眼は波打つ黒髪の少女を注視する。


  少女が抱き締める胸元には柔らかい毛並みの幼獣。真白い指に覆われていた淡く光る翠色の耳は、気配に気付いてピンと立ち上がった。


  大きな桃色の瞳は木々の間に佇むものを見つめ、更に森の奥深く、漆黒に紛れてこちらを見つめる深い青と碧の双眼を捉えた。


  「姫様」


  黒の森。青と黒の闇の中、金色の鬣が月光に輝く大きな影。


  「幻獣ヴィレム、フィレスタです」


  尖った耳にしなやかな肢体。旧教の神エルロギアに遣える第一の神獣と謳われた幻獣。


  背後の護衛に告げられて、黒髪の少女は月光を浴びたフィレスタを見つめた。


  恐怖はない。背後の屈強な騎士達からは、畏れと羨望、警戒の気を感じるが、少女の蒼の瞳からは何も感じない。観察する様にフィレスタをただ見つめると、「さあ、行って」と、そっと幼獣を草むらに置いた。


  《……》


  少女を見定めるフィレスタ、そして同じ様に闇から注視する双眼。それを見つめ見上げた桃色の瞳は、自分から離れる温かい白の手にかじりついた。


  「っ!」


  全身がビクリと固まり、驚愕に見開かれる蒼の瞳。


  「どうしましたか? 姫様?」


  覗き込む騎士に、「グーー」と唸った幼獣は暗闇へ走り去った。



 *



  採取した少女の血液。それをフィレスタが共有するとその場を後にする。たどり着いた森の奥、程なくして動きだした闇から大きな漆黒の体躯が現れた。


  《ダナーの土地、私によくに似た色を持つ姫》


  エルロギアの第二の神獣フロートは、見上げる幼獣の口元の血を舐める。


  《あの娘がお前の進化の理由。次代のエルロギアの遣いか》


  輝く翠の毛並みは真白く変貌し、桃色の瞳は銀色に染まる。小さく幼い姿は瞬く間に大きく変わり、双眼には青色の光が宿った。


  《第三の神獣、プレイムロースター》


  遥か彼方、神獣は満点の星空を見上げる。そこに、彼らにしか見えない何かを探すように。



  間違えてはいけない。


  真の秤を持つものは人ではない。


  彼らはれを見つめている。光に染まるか、闇に染まるか。


  どちらでもかまわない。


  ただそれを見ている。


  そして、染まったものに従うだけだ。



  《我らの心と繋がったもの》


  《あのものがエルロギアの代理人》


 

  巨大な白豹はたくましく大きな翼を広げる。そして、振り返り振り返り、小さな姿の身を案じる黒髪の少女を深い森の奥から見ていた。

 

 

 

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