掃除屋アーカード

龍崎操真

雪の日のこと

 しんしんと雪が降り積もる中、スタッグ食堂のドアが開いた。

 入ってきた少年は黒い外套コートのフードに積もった雪を払い落とす。フードから出した白い髪を整えながら、推定年齢十代と思われる少年は紅と黒の瞳を動かし休息の場所を求め、店内を見回した。

 やっと誰も座っていないカウンター席を見つけた少年は、真っ直ぐにそこへ向かい腰を下ろす。

 座ってから間もなく、注文を聞きに栗色の髪のウェイトレスが少年の元へやってきた。


「俺を入れて八人の客みたいだ。この雪じゃ繁盛してる方かな?」


 世間話に応じる事なくウェイトレスは、ペンとメモ帳を構えた。


「注文は?」

「じゃあハンバーグを頼もうかな。デミグラスソースがたっぷりとかかった奴。それと付け合せでシーザーサラダも」

「それはできないんですよ」

「え? でもメニューに載ってんじゃん」


 テーブルに置いたメニュー表を指差し、少年は抗議した。するとウェイトレスは申し訳ないという表情で弁解を始めた。


「それは6時からの夕食ディナーのメニューなんです。今は5時だから」

「時計は5時20分を指しているけど?」


 少年は柱に掛かった壁掛け時計を指差した。


「あれは20分進んでいるんです」

「ちゃんと直しておかないとダメじゃん」

「すみません」

「なら、今の時間に頼める物は?」

「パスタ、うどん、そば、ラーメン、サンドイッチ……」

「じゃあチャーシュー麺を」

「それもディナーのメニューで……」

「もしかして、俺がこれから頼もうとしてるのは全部ディナーかな?」

を使った料理はみな夕食ディナーのメニューなんです」


 結局、少年が頼む事に成功したのはフィッシュフライバーガーとマッシュポテトの付け合せだった。食べ物だけでは喉を詰まらせるので、少年は飲み物の注文に移った。


「飲み物は何がある?」

「ビール、ワイン、ウィスキー、コークハイ」

「これは俺の聞き方が悪かったか。未成年おれでも飲める物はある?」

「コークハイに使うコーラなら」

「じゃあそれをもらおうか」

「かしこまりました」


 メモ帳に注文を走り書きしたウェイトレスは、厨房へと届けに行った。注文の品を手に戻ってくると、配膳し、近くの椅子を持ってきて少年の前に座った。

 あからさまに用がありますと言いたげな視線を送ってくるので、少年は食事をしながらウェイトレスと雑談をすることにした。


「何か用?」

同年代タメみたいだから話し相手になって欲しいなと思って」

「他にも客がいるみたいだけど」

「あの人らは良いの。いつもディナーを食べに来るだから」

「へぇ……」

「ねぇ、ここへは観光に来たの?」

「いや、ちょっとバイトしに来たんだ」

「そうなんだ。いったいどんなバイトをしてるの?」

「何してるように見える?」


 質問を質問で返された事でウェイトレスは少し不満げな表情をした。


「それってマナー違反じゃない?」

「ちょっとしたクイズさ。退屈してるようだから楽しませてあげようかと思って」

「なら、もっと面白い事を話してよ」

「例えばどんな?」

「あなたの名前とか」


 ウェイトレスは興味津々な目で少年の答えを待つ。すると、少年は「名前かぁ……」と口ごもった。


「どうしたの?」

「やー、ちょっとこういう場で言うには、ためらう名前で……」

「えー? 気にしないで良いでしょ? 思い切って言っちゃいなよ」

「そう? そんじゃあ、アーカード、とだけ」


 その名前を口にした途端、場の空気が緊張で張り詰めたものへと変わった。同時に注文した品を待っている7人の客全員が、アーカードと名乗った少年の席の方へ視線を向けた。

 しかし、アーカード少年は気にすることもなくウェイトレスとの雑談を続ける。


「おしゃれな名前だね。本名?」

「うーん……、そうだとも言えるし違うとも言える」

「どっち?」

「ちょっと複雑なんだよ」

「ふーん。で、どうだった?」


 期待に満ちた眼差しのウェイトレスに対し、食事を終え、紙ナプキンで指を拭くアーカードは質問の意図が分からないと首を傾げた。


「どうだった、って何が? 話が楽しかったかって事? それとも料理の味の方?」

「後の方、かな」

「クソまずかったね。このフィッシュフライ、中までよく火が通ってなくて生臭いったらありゃしなかった。こんなんでよく商売しようと思ったな、って味だったよ」


 はぁ、とうんざりしたように深いため息を吐くアーカード。ウェイトレスは片方の眉を跳ね上げ、少し引きつった笑みを浮かべていた。

 少し間があき、アーカードはふと何か思い付いたようにウェイトレスへ笑いかけた。


「そうだ。この店のコックを呼んでくれよ」

「コックになんの用があるの?」

「このクソまずい料理の文句を言ってやろうと思って。見たところ、お姉さんはウェイトレスだろ? なら、この料理を作った料理人がいるはずだ。その料理人に『こっちへこい』と呼び掛けてくれるだけで良い。、ね」


 張り詰めた空気がいっそうピン、とした物となる。

 現在の時刻は5時59分。時計はもうすぐ6時を指す。


「アンタ達、いったい何?」


 もうこの空気に耐えられない、とウェイトレスは率直な疑問を投げかけた。

 すると、その反応を楽しむようにアーカードはクックッと笑ってカウンターから身を乗り出した。


「そうだなぁ……。何に見える?」

「なんか、普通じゃない人」

「他には?」

「アンタに限って言えば、やたら気取ってカッコつけた言い回しをしようとするイタイ奴」

「手厳しいな……。ま、良いや。さっきのバイトについての質問に答えようか。俺がやってるバイトはな……、掃除屋なんだ」

「掃除屋?」

「そう。社会のルールじゃキレイにしきれないこっぴどい汚れを電話一本で掃除しにやってくる掃除屋スイーパーさ」


 あぁ……やっぱりか、とウェイトレスは今まで見ないようにしていたアーカードの両脇へと目をやる。

 わずかに膨らんでいるあの中には、おそらくアーカード愛用のが収まっているはずだ。


「その掃除屋がこんな所にいったい何の用なの?」

「ここの常連にアシモフって奴がいるだろ? ここら辺の半グレをシメてる外国人が毎日6時にここへ夕食ディナーを食いに来るだろ。俺はソイツに用があるんだ」

「会ってどうするの?」

「これから一緒にこの店の汚れを綺麗に掃除してやるのさ! アヒャヒャ! アーッヒャッハッハッハ!」


 アーカードはもう堪えきれないと腹を抱えて大笑いを始めた。

 同時に、アーカードが入ってきた時以来の客が入店した。

 ダウンジャケットを羽織ったその金髪ブロンドの青年は、青白い顔に獰猛な飢えを宿している。

 時計はついに6時を指した。つまり、夕食の時間が到来した事を示す。


「さて、ウェイトレスのお姉さん。今度は俺の質問に答えてもらおうか。これから何が始まると思う?」

「始まるって、何が?」

「これからこの店で何が起こるか、って聞いたんだよ。言ってみなよ。これから何がおっ始まると思う?」


 そこで、お喋りだったウェイトレスは少し言葉を詰まらせた。下手な答えを口にすれば、もう帰宅して一日の疲れをゆっくり癒す時間が泡と消える予感がしたから。

 考えに考えた結果、ウェイトレスが口にした答えは……。


「……言いたくない」

「言いたくない、か。なかなか賢いお姉さんだな」

「この後の責任を取ってくれるなら、答えても良いけど」

「それには及ばねぇよ。もう時間だ」


 アーカードは懐から二丁の50口径の拳銃を取り出し、カウンターに置いた。

 そして、先程入店してからしきりにこちらの方へチラチラと視線を送るダウンジャケットの青年に向け、声を掛けた。


「よぉ、俺になんか用か?」

「おめぇか。裏切り者アーカードの息子とかいう奴は」

「やれやれ……、ここでもそんな風に言われるとは参ったね」


 他でも散々言われている事なのか、アーカードはうんざりしたような表情で肩を落とした。

 同時に座っていたアーカード以外の客全員が腰を上げる。全員、瞳は血のように真っ赤な朱の色へと変容していた。


「おっと? ここにいるの全員、アンタの手下だったのか」

「今日は良いモンを仕入れたって聞いたからな。皆で食おうって事で集まってたんだよ」

「あっそ。でも残念だったな。この店、今日で店じまいだってさ」

「ふざけた事言ってんなよ。少しでも長く生きていたいならな」


 凄むダウンジャケットの青年の口元からは、犬歯の代わりに牙が覗いている。他の取り巻きも同様だ。

 しかし、アーカードはクックッと不敵に口の端を釣り上げ、肩を揺する。その後、ウェイトレスの方へと向き直る。


「さてと、そんじゃあウェイトレスのお姉さん。カウントをお願いして良いか?」

「カウント?」

「そっ。西部劇の決闘とかでやるようにカウントダウンをして欲しいんだよ」

「なんでアタシが?」

「公平を期すためにはお姉さんが一番適任だと思ったんだ。頼むよ」


 理由を聞いて、納得したウェイトレスは目を閉じ、カウントダウンを始めた。


3スリー……2トゥー……」

「あ、そうだ」


 残りあとわずかという所で、アーカードは一つ尋ね忘れていた事を思い出した。

 それはこの緊迫した空気の中、平然たる佇まいでアーカードと話していた……、


「ところでお姉さんさぁ……何者だれ?」


 返事の代わりに帰って来たのは、決闘開始の合図を告げる暗転だった。


っちまえ!!」


 暗闇に響く怒号。


 その後に響いたのは十六発の銃声と、


 事の終わりを知らせる断末魔の絶叫だった。




 結局、ズレていた二十分に合わせてあの店に滞在したのだが、誰もあの店に足を運んで来る気配がなかったので、アーカードは雪の中を歩いていた。

 あの店に来た目的は、アシモフという名の吸血鬼ヴァンパイアとその眷属である人狼共を始末しろという依頼のためだったのだ。

 結論から言うと依頼の半分は果たされた。

 あとは依頼人に報告するだけだったが、まずは落ち着ける場所が欲しかったので、再び食事処を探しているところなのだ。


「ったくあの女……。面倒事は全部俺に押し付けて、自分てめぇはトンズラかましやがった」


 一連のやり取りを思い出しながら、アーカードは毒づいた。

 結局の所、夕食ディナーの材料である人間は、檻から全員逃げ出してもぬけの殻だったし、その番をしていたコックは首をねられる事でこと切れていた。

 アーカードは標的が同じ事を理由にウェイトレスのフリをした同業者に良いように使われたのだ。

 店から出て10分ほど歩いただろうか。視界の前方に、ファーを付けた白い女性物のコートの背中を見つけた。

 剣道をたしなんでいるのか、竹刀を入れるような細長い巾着袋きんちゃくぶくろを右肩に背負っている。

 気にせずに追い越すと、白いコートの女は、アーカードの背中に声を掛けた。


「あの人数を簡単に片付けるなんて凄いね。半吸血鬼の銃撃手ガンスリンガー・オブ・ダンピールの名前は伊達じゃないんだ」


 自分の二つ名を口にされたのでアーカードは、仕方なく足を止めて振り返った。

 半吸血鬼の銃撃手ガンスリンガー・オブ・ダンピール、かつて人間を愛し、同胞を裏切った吸血鬼アーカードの息子である自分が狩りをしていく過程で付けられた二つ名だ。アーカードと名乗ったのは、死んだ父親の名前を勝手に拝借した訳なのだ。

 その名を知っていてかつ、親しげに話しかけてくるなんて、この状況で考えられる人物は一人しかいない。


「さっきはどうも。メインディッシュは美味うまかったか?」

「うん♪ アタシもこれで報酬を貰えるよ」


 やはりと言うべきか、声を掛けてきた人物はアーカードの予想していた通り、あの店にいたウェイトレスだ。

 どうやら、標的を片付けてご機嫌らしい。



「そうかい。そりゃ良かったな」


 面白くない、とアーカードは不満げに鼻を鳴らした。

 しかし、ウェイトレスの少女は意に介する事無く、親しげな態度を崩さなかった。


「そう邪険に扱うような表情をしないでよ。やろうと思えばできたけどあの数を相手にするのはアタシには厳しかったの。それに噂は本当なのかなってちょっとした好奇心?」

「ハッ。物は言いようだな」

「ごめんって。この先にご飯食べられる所があるからさ。機嫌、直してよ。好きな物ご馳走するよ?」

「フィシュフライバーガーがない所ならどこでも良い」

「え!? そんなにアタシの料理が気に入らなかった!?」


 よっぽど料理に自信があったのか、ショックを受ける元ウェイトレスの同業者。

 疲れ切ったため息を吐いたアーカードは気にする事なく歩いていく。

 その背中に少女は再び声を掛けた。


「ねぇ! アーカードってお父さんの名前でしょ? ならお別れする前に本当の名前、教えてよ! アタシ、望月もちづき 鈴音すずね!」


 向こうは名前を名乗り、名前を尋ねてきた。ならば、こちらも名乗られねば無作法だろうとアーカードは本名を告げた。


明嗣めいじ。俺の名前は朱渡あかど 明嗣めいじ

「また会えると良いね、明嗣!」

「二度とごめんだよ」


 言葉とは裏腹に本名を告げたアーカードの表情は笑っていた。

 そして、右手の人差し指と中指を交差させ、十字架を作り幸運を祈るハンドサインを送ると、アーカードは暖を取れる場所を求めて再び歩き始めた。

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掃除屋アーカード 龍崎操真 @rookie1yearslater

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