第68話 3年の変化〔1〕――ポーション販売〔2〕

 カーサイト公爵家が設定している価格は明らかに原価の数十倍、いや百数十倍の値段だった。

 原価が全てではないし、製品というのは開発までにも時間がかかるのだから売価が数十倍というのは誤りではないし悪いことではない。製薬やブランド品などが良い例である。


 それでも、ドジャース商会では実際にポーションができるまでの原材料費、手間暇や人件費、流通、輸送する費用などを計算して、カーサイト公爵家のポーションの半額以下で売りに出した。これでも十分に、いや十分過ぎるほどに利益が出る。


 わかりやすいように日本円にすると、仮にカーサイト公爵家の初級ポーションが1本分4万円とすると、ドジャース商会では1本分1万円で売りに出した。

 しかも、味にもこだわって、健康に問題のない程度にさっぱりとした味、喉ごしになるようにした。もはやスポーツ飲料水や栄養剤のようなものである。少しやみつきになりそうな味だ。あの地獄の毒薬とは大きく異なる。


 だから、何が起きたかというと、カーサイト公爵家の初級ポーションは途端に売れなくなった。



 当初、価格設定については悩ましいと思っていた。

 あまりに価格競争になってしまうのも市場を混乱させるだけであるし、需要と供給のバランスを著しく欠いてしまうのではないかという心配があった。


 そう思っていたが、カーサイト公爵家がその利益をただ私腹を肥やすことだけに執着して貯め込み、カーサイト公爵領の領民にほとんど利することもなく、インフラ整備もしないし、税率も相変わらず高いままだし、なぜかポーションを売ってやっているんだと上からの物言いをするし、他国にはさらに強気だし、あの嫌みザマスだし、とそんなことをあれこれと考えたら、ここは引かない方がいいなと判断して、半額以下にすることを決めた。


 これにはドジャース商会のケビンも「やっちゃいましょう」と賛同し、他にも他国の商会の責任者とも相談をして、ついに売りに出したのだった。


 カーサイト公爵家のポーションを実際に販売しているのは、バハラ商会ではなくて、アリ商会という王都の商会である。

 このアリ商会はバハラ商会までは影響力はなかったが、それなりに大きな商会である。


 したがって、このアリ商会からポーションを購入する客を大幅に奪い取ることに成功した。

 それはアリ商会にもカーサイト公爵家にも想像以上に大きな痛手であり、しかもバラード王国のみならず、他国の顧客も一斉に奪われ、あるのは売れ残ったあの地獄の毒薬ポーションの山々である。

 アリ商会はドジャース商会の価格に合わせて大幅に価格を引き下げたが取り戻すことはできなかった。

 ドジャース商会の多くの店ではポーションを少量だけ試飲することができ、その味で決めたという者も多い。あの毒薬ポーションを呑んだことのある者からすれば、天の助けだと思ったに違いない。

 ポーションが美味しいという評判は評判を呼び、あとは待っていればポーションを必要とする客がやってくるという状態だった。


 この事態を重く見たアリ商会の責任者からカーサイト公爵家当主のザマスに緊急の報告があった。


「ほっほう、あのソーランド公爵家がおこがましくもポーション作りなんて、生意気なことをする」


 ザマスの反応はこんな感じだったらしい。あの毒薬ポーションのどこに自信が持てるのかが疑問である。

 しばらくはザマスもソーランド領主である私を見て余裕だと思ったのか、すぐに対応をしなかったが、さすがに客が流れ過ぎたことに焦ったのか、ザマスが出るところに出て訴えて、最後には国王にまで直訴したが却下された、これが一連の流れである。


 カーサイト公爵家は大打撃を被ったが、これからも続いていく。



 それとは別に、今回のポーションの一件でああそうだなとしみじみと感じた出来事があった。


 私はポーションを作ることに躍起になっていたが、その利用者にはどういう人間がいるのかは調査不足だった。漠然と魔物退治をしている人間や旅人や冒険者、あるいは緊急用に家に一本みたいなものかと思っていた。


 ある日、私の名前宛の手紙が届けられた。とても丁寧な字で書かれてあった。


「多くの妊婦たちと子どもたちに代わって感謝申し上げます」


 この世界ではいわゆる医者らしい医者というのは探すのが難しいのだが、助産師という職はある。江戸時代には大名行列を止めても優先されていたというあの職である。

 その職にいる領民からの感謝の手紙だった。


 どうやら帝王切開手術というのはあるらしく、無事に赤子を取り出すことが出来ても、やはり腹部や子宮に傷が付くことにいろいろと苦しむ人が多い。日本でも4、5人に1人は帝王切開だと聞いたことがある。

 日本の場合はまだ麻酔などがあるから痛みは軽減されることが多いとはいえ、手術痕というのは気になるものである。ましてやこの世界の手術の水準であればなおさらそうだろうと思う。


 だから、ドジャース商会の比較的安価で呑みやすいポーションは、帝王切開を選ぶ人が増えることにつながったのだという。私は知らなかったが手術痕もポーションで完全に治るようだった。

 このように肉体だけではなく精神的なケアになったというのは、あらためてその商品は誰に売るのかを考えなければいけないと思い知らされた。


 出産時の痛みの緩和だけではないが、麻酔薬についても研究は続けており、日本では麻酔科医が特殊な職業だったり、麻酔というのが一歩間違えば命を落とすことになったり、やはり内容が内容なだけに慎重にデータを集めている。


 無痛化するのは、つまり無痛分娩は痛みを伴って子どもを産む苦しみを味わわないといけないとか、そうしないと良い母親にはなれないとか、そういう根性論があるが、妻は「馬鹿じゃないの」と一蹴していたし、娘も「逆に子どもに殺意湧くよね」と言っていた。妻が娘を産んだ時は麻酔科医が足らない状況だった。

 私が子どもを産むわけじゃないから何とも言えないが、痛みを軽減する権利は誰にでもあると思う。


 また、この件は、保険制度というものも考えるべきかと思ったものだった。

 貴族や富裕層であればまだしも、一般的な領民にはポーション一本だって高価である。

 だから、妊婦への金銭的補助はあってもよいと思い、今はソーランド領だけであるがそのような職業の人間に連絡をとって特別にポーションを無償で使用させることにしている。帝王切開以外にも、産後に痛みがあるわけで、そういう身体の痛みを軽減することもできるので、産後には一本分のポーションを呑む、こういうことにした。


「バカラ様、お話したいことがございます」


「なんだ、アーノルド?」


 アーノルドが私を訪ねてやって来たことがあった。

 アーノルドたちの研究成果の一つには出産に関わる知識も蓄積されている。やはり、この世界でも母子の命が失われる、つまり死亡率が高い。ソーランド領もその例外ではない。だから、アーノルドがこういう医学的知識も必要なのではないかと訴えたのだった。


 ただ、アーノルドたち医学研究の人間は大半が男性で構成されており、実際の出産場面で何が起きるかは助産師たちに間接的に情報を訊くしかなく、直接観察することができていない。「各所に協力を仰いでいるのですがなかなか許可が出なくて」、これはアーノルドが漏らしていたことだった。したがって、出産前や出産後の母子の検診や経過を観察したり、ケアを行うことがメインとなる。

 それでも今の時点であきらかになっているいくつかの知見は大いに参考になるだろう。出産は出産時だけの問題ではないのだから。


「そうか、そこには意識が回らなかった。それではアーノルド、頼む」


「かしこまりました」


 その後、助産師たちにもアーノルドたち医療チームが出産に関わる上での必須の知識や技術などを授けていき、こうしてソーランド領では出産時や出産前後における母子の死亡率が大幅に低下していった。

 現在でも助産師たちは横のネットワークを使いながら、概ね妥当な見解を共有し、アーノルドたちとも情報交換を行っているということである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る