第39話 アリーシャとカーティス〔2〕

「お父様、お話があるのですが……」

「なんだい、アリーシャ?」


 アリーシャは家でカレン先生の指導を受けているが、半年ほど前に珍しく他の国の言語を学びたいと提案してきたのだった。これはカレン先生の入れ知恵かもしれない。

 しかし、切り出したのはカレン先生ではなくアリーシャ自身の口である。


 アリーシャの説明によれば、これからは他国にも注目しなければならず、通訳を介した外交よりも直接話をする方が良い、その国のものを読みたい、知りたい、そういうことだった。なんだかこれからは国際化だ、社内では全員英語だ、みたいな迫力があるなあと思ったが、外に目を向けることも良い刺激となるだろう。


 これはおそらく、私が他国に着目していることと平仄ひょうそくを合わせるように、アリーシャの中にもその影響が出てきたこととも関係があるのだろう。あまり仕事の話は子どもたちの前ではしていないつもりだったが、その姿をやはり見ているのだ。


 だからといって、どの言語でもいいというわけでもない。広く公用語になっていたり、それなりに政治的にも重要な言語であったりと候補はいくつかあるが、その中からアリーシャは指定し、それ専門の教師も雇うことになった。


 バカラにもその言語の記憶がある。

 実はバカラも数カ国の言語を読み書きできる。単なる引きこもりオークではない。

 その血を受け継いでいるのがアリーシャということだった。


 まだ10歳だというのに学習意欲は留まることを知らない。

 私がいくつか提案して手助けしている研究部門にも一緒に見学を願い出て、その説明を聞いている。社会科見学のようなものか。


「バカラ様、お嬢様の格好についてご相談したいことがございます」

「ああ、メリー。アリーシャの格好とは?」

「大変言いづらいのですが……」


 アリーシャの従者にメリーという20代半ばの子がいる。

 あの子が傷ついていた時に躊躇して何を言おうか言葉がなかったのだが、アリーシャの側で親身になって話し相手になってくれていたのは彼女だった。その次にカレン先生だった。


 大切な子にまず時間をかけて、言葉をかけて向き合って慰めるべきだったのは私の責任だったと今にして思う。あの時はもう取り戻せない。親として大変ふがいない。だから、今のアリーシャの笑顔を見て、私を憎んでいないのか、時折かえって不安を感じる。

 一方で、身近過ぎる人間だからこそ話せない苦しみ、頼れない遠慮はあるだろうと思う…………が、これもまた小賢しい自己弁護以外の何物でもない。そして自己弁護だと見せる自分に、また呆れていてふがいなさを感じる己のみじめな姿がさらけ出されるだけである。


 メリーは元はさる子爵家の娘だったが、やはりカーティスと似た境遇があって家を自ら出たところをバカラが拾い上げた。

 アリーシャには親身にはなるが、要所要所でわりと口やかましく言う。アリーシャもわがままになってきた、そういう姿をようやく見せてきたということなんだと思う。


 研究所にはドレスを着ていくわけではない。一口に言えば邪魔だからだ。

 かといって貴族用の作業服というのもないようだ。そりゃ需要もないのだろう。

 メリーが言っていたのはそのことで、メリーにはなかなか度し難いことのようであったが、アリーシャ用に動きやすい服を仕立ててもらえないかという相談だった。


「そうだな。じゃあ、メリーに一任するので何点か用意してほしい」

「ありがとうございます。かしこまりました」

 

 普通は先に「かしこまりました」があって「ありがとうございます」と言葉が続くと思うが、こういうところがメリーの良さであり、面白いところなんだろうと思う。私の命令や依頼の言葉への返事よりもアリーシャの服が用意されることを、彼女は喜んでいる。


 領内の仕立屋と交渉してアリーシャの寸法を測っていった。仕立屋もまさかアリーシャのドレスではなく作業服を作るとは思わなかっただろう。服だけではなく、靴なども歩きやすいものを購入した。

 アリーシャの身体も今は成長しているので、その後も定期的に購入している。そうだな、娘も確かにこのくらいの年齢からすくすくと成長していって、ぷちオークの私を嫌いになった。


「わあー、これなら外で走っても安心ですね」

「こらこら、仮にもうちの姫様なんだからな」

「はい、お父様! ほら、見てメリー!」

「お嬢様、動き回るのはおやめください!」


 そのアリーシャは作業服姿になって嬉しいようである。何度も鏡を見ていろいろな角度の自分を見ている。どこの世界に作業着を身につけてはしゃいで喜ぶ貴族の女の子がいるだろう。メリーにも苦労をかける。こんな姿はなかなか人前には出せないな。

 研究者たちもアリーシャの姿を見て、最初は私の娘だとは思いも至らなかったようだ。

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