勇者弁護人

佐藤謙羊

01 その男、勇者弁護人

 因果は車輪のように巡るものではない、川のように上から下へと流れるものなのだ。

 ならば我らが争っているのは、親の因果か? 否、我らをつくりし神の因果なのだ。


 親を殺された子が、けっしてその恨みを忘れないように。

 どちらかが勝っても滅ぶことはなく、永遠に争い続けなければならない。


 ならば我らで操ろうではないか、その因果を。

 魔物がいるかぎり、そなたは勇者でいられる。


 勇者ブレイブワンよ。

 世界の半分を、そなたにやろう……!


「ずいぶん上から目線の命乞いだな」


 魔王からの提案に真っ先に応えたのは、勇者の傍らにいた少年であった。

 切りそろえた艶やかな黒髪に太い眉、顔立ちはあどけないながらも精悍さを漂わせている。

 光をたたえ、一点の曇りもない瞳。きりりと真一文字に引き結んだ唇。

 輝く純白のコートに身を包んだその姿は、邪悪を討つため女神が遣わした正義の化身のようであった。


「こんな戯言に耳を貸すブレイブワンじゃない。もう勇者の剣は、お前を斬ること意外に眼中にないんだ」


 その言葉どおり、玉散る光とともに抜かれる双剣。

 しかし突きつけられた切っ先は、少年の想像とは真逆の方向であった。


「ブレイブワン、なにを……?」


「俺様は、魔王と手を組むことにした……!」


 ブレイブワンの顔は、少年の背後にあった邪神のステンドグラスに照らされ、禍々しい色合いに染まっていた。

 その顔と、その肩越しにある仲間たち邪悪な笑みで、少年は察する。


「ま……まさか、みんな……」


 後ずさる少年。

 仲間のひとりである見目麗しい男が、やっと気づいたかと言わんばかりに肩をすくめた。


「話はすでにまとまっていたのですよ。ここにいるあなた以外の全員が、そのことを知っています」


「フィロソフ、なぜ……!?」


「あなたに言うと反対するでしょう? 他の仲間たちは全員、ふたつ返事でしたよ」


 フィロソフは歩み出て、ブレイブワンに寄り添う。


「勇者の心のそばに、あなたはいないんですよ。もうずっと前から、ね」


 ブレイブワンは覚悟に満ちた表情で、新たなる一歩を踏み出していた。


「俺様は新しい道を歩む。魔王とフィロソフとともにな……!」


 かたや少年は地獄に落ちゆくかのような表情で、さらに後ずさる。


「そ、そんな……!? 僕たちは、いままでずっと一緒にやってきたのに……!?」


「貴様の『法』は、この旅でそこそこ役に立った! だが、しょせんは猿の浅知恵……! よって俺様は決めたのだ! 空虚なる『法』などではなく、十全たる『力』が掟となる、新しい世界を創ると!」


「ぼ……僕を裏切るのか!? ま、待ってくれ! 仲間への攻撃は、事前の同意がなければ……!」


「最後まで、『法』にすがるか……! ならば、『力』の前には無力だと思い知りながら散れい!」


 ふたつの剣閃が断罪のごとく、それまでのすべてを断ち切るかのごとく振り下ろされる。

 少年の身体からは、クロスの鮮血があふれ出していた。

 さらにブレイブワンは、トドメを刺すように少年に向かって手をかざす。


「勇者の名において命じる! ……追放ヴァニッシュっ!」


 勇者専用魔法のひとつ、『追放ヴァニッシュ』。

 任意の仲間をひとり吹き飛ばすという効果がある。


 同様の魔法に、最後に立ち寄った街や村に送り返す『送還(リパトリエ)』がある。

 しかし『追放ヴァニッシュ』はパーティを除名し、すべての装備とアイテムを奪ったうえに、モンスターひしめく大地に放り出すというものであった。

 いわば、問答無用の三くだり半。いわば、地獄への島流し……!


 追放を言い渡された少年の身体は、飽きて投げ捨てられた人形のように浮き上がった。

 血風けっぷうとともに舞い、ステンドグラスを突き破る。

その勢いのまま、魔王城の外に広がる朝もやのなかに消えていった。


 新時代の幕開けを告げるような、真新しい陽光が魔王の謁見場を満たす。

 そのまぶしさに、ブレイブワンは目を細めていた。


「……さらばだ、ヴァールハイド……!」 


 空には赤と黒、二色だけの虹がかかっていた。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 因果の流れは止まっても、月日の流れは止まらない。

 ファーストラスト王国の城下町を、ひとりの少女が行進していた。


 精一杯整えた栗色のショートヘア、白いワイシャツに蝶ネクタイ、サスペンダー付きのショートパンツ。

 明らかに着こなせていない、できそこないのお坊ちゃんのようないでたち。

 瞳はらんらんと輝いていたが、緊張のあまり頬は紅潮しきり。

 同じほうの手と足を同時に出して歩くという、ギクシャクとした動きでレンガの道を進んでいた。


 目に映るものはすべてきらびやかで、少女の目はチカチカしっぱなし。

 道行く人たちがいぶかしげな表情でこっちを見ているのが、さらに少女の不安を煽る。


 やがて少女は、坂を登った先にあるファーストラスト城に着く。

 正面を守る門番たちが不審そうにしていたが、しどろもどろになりながらも素性を名乗ると、中に案内される。


 その数十分後に、少女は謁見場に立っていた。

 立ちんぼうのまま長いこと待たされたあとで、ようやく国王と大臣が現われる。

 少女は何度も練習した動きを思い出すようにヒザを折った。


「そなたが選ばれし女勇者か。名はなんと申す?」


 国王に問われ、少女は強ばった面持ちを上げる。


「は……はひっ! さっ……サトフルの村から来ました、ゆっ……ユーシアと申しますっ!」


 大臣が聞こえよがしに言う。


「奴隷なんか連れて……。精一杯、自分を偉く見せようとしているんでしょうなぁ。なにをしたところで、田舎のメスザルには変わりないというのに」


 ユーシアは自己紹介するのにいっぱいいっぱいだったので、その悪口も耳に入っていない。

 国王は吹き出しそうになっていた。


「……ぶふっ! サトフルとは、遠路はるばるご苦労であったな。もう話は聞いておると思うが、そなたは魔王を討伐するための勇者として選ばれた」


「はひっ、伺っています! 勇者ブレイブワン様も、このファーストラスト城から旅立たれたのですよね!? 伝説の勇者様と同じ旅立ちができるなんて、本当に嬉し……! あ、いえ、怖れ多いですっ!」


「さよう。そなたもブレイブワン様と同じように品行方正なる旅をし、公明正大に人々と接し、勧善懲悪に魔王を討つのだぞ。……さて、ムダ話はこれくらいにして、支度金のほうを授けよう」


 国王がアゴで指示すると、小さな宝石箱を持った大臣がユーシアの元へと向かう。

 ユーシアの目の前で宝石箱が開かれると、中には目視で数えきれるほどのわずかな金貨が入っていた。

 それでも、ユーシアは目を輝かせている。


「うわぁ……! こんなに……!?」「うわぁ……! たったこれだけ……!?」


 真逆の感想が背後からしたかと思うと、見知らぬ男がユーシアの肩越しに宝石箱を覗き込んでいた。

 いきなりのことに「うわあっ!?」と飛びあがりそうになるユーシア。

 逃げるようにして振り返ると、そこにいたのは『不審者』としか言いようのない男だった。


 黒に赤いメッシュが入った髪はぼさぼさで、ひげもじゃで薄汚れた顔立ちはやつれきっている。

 一点の光もない、死んだ魚のような瞳。にやにやと不気味に緩めた唇。

 ボロボロの布を辛うじて身体にまとうその姿は、人々を不幸にするために邪神が遣わした貧乏神のようであった。


「あ……あなたは誰っ!? な、なんでこんなところにいるの!?」


「お前さんについて入ってきたんだよ。コイツで、な」


 男は、首から長く垂れ下がっているロープを手に取る。

 その先を目で追っていくと、ユーシアの背中のサスペンダーに結び付けられていた。


「ああっ、いつのまに!? まさか、城下町からついてきたの!?」


 ユーシアはこの城に来るまでの人々の視線が、いぶかしげだったり不審そうだったりした理由をいまさらながらに知る。

 あのときは緊張しすぎていて、後ろを振り返る余裕もなかった。

 少女とホームレスのやりとりを見て事情を理解したのか、国王と大臣の顔が怒りで赤く染まる。


「なんじゃ!? その男はてっきり、そなたがここに来る途中に買った奴隷だと思っておったぞ!」


「この薄汚い男をつまみ出せ!」


 大臣に命じられ、左右に控えていた兵士たちが男を取り囲む。

 しかし、男は取り乱さない。


「ああ、出てってやるさ。だがその前に、この支度金の少なさを説明してもらおうじゃねぇか」


 それどころか、ニヤリと不敵に口元を吊り上げる始末だった。


「なんだったら……出るとこ出たっていんだぜぇ……?」


「ふん、国王であるこのワシを脅すつもりか! ホームレス風情がなにを偉そうに!」


「勝手に好きなだけ出るといい! お前のような者が訴えても、誰も耳を貸すわけがないからな!」


「そうかい。なら、そうさせてもらうぜ……!」


 男は待ってましたとばかりに着ていたボロ布をめくり、もろ肌をさらした。

 痩せ細った胸板には交差した古傷、首元にはコインほどの大きさのバッヂが貼り付いている。

 たったそれだけのことで、国王と大臣は桜の刺青を突きつけられた悪代官のように青くなった。


 「そ……そのバッヂは……!?」と玉座から立ち上がる国王。

 「そ……その胸の傷は……!?」と怖れおののく大臣。

 ふたりはユーシアそっちのけで、声を揃える。


「「……まさかお前は、『勇者弁護人』といわれた……!?」」


「ヴァールハイド……! その名において、簡易神判の開廷を要請するっ! 原告は勇者ユーシア! 被告はファーストラスト国王!」


 変わり果てた姿のヴァールハイドは、狂宴が始まった悪魔のように顔を歪めていた。


「さぁ……! 赤か黒か、ハッキリさせようぜ……!」

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