あやかし巫女の幻燈祭

倉名まさ

第1話 前編

 道の電灯はまばらで、その明かりは宵の闇を払うにはあまりに心もとなかった。どうにか足元を取られずに歩けるていどだ。

 昼間はにぎやかなはずの土産物屋や飲食店も、いまはシャッターがおりて、建物に明かりはない。

 通りに人影はなく、時おり思いだしたように自動車が速いスピードで行き過ぎるだけだ。それも夜の静寂を乱すほどの頻度じゃない。

 秋の虫がすずしげな音色を奏でている。さすがに日が落ちると、風がすこし肌寒く感じる季節だった。


 ボクは立ちこめる闇に吸いよせられるように歩きつづけた。

 当初のもくろみは完全に失敗していた。

 宿に向かう前になにか腹ごしらえをしようと思って、観光地としてもそこそこ有名なこの駅にふらりとおりた。けれど、もう観光客でにぎわう時間はとっくに過ぎたみたいで、日の暮れた街並みは静かなものだった。どうやら、駅前にあったコンビニが、かろうじてこの時間も営業している唯一の店舗だったみたいだ。


 それでも、ボクは足を止めなかった。

 せっかく途中下車したのだから、すこしでも街並みを堪能しておきたい、という貧乏性な心がはたらく。長時間電車に揺られすぎて、すぐに駅に戻るのが億劫おっくうなのもあった。

 街には観光客もなく、それをあてこんだ店も閉まっている。

 その静けさは寂しいものだけれど、同時に心地よくもあった。

 千年以上昔からある古都本来の姿をかいま見ているような気もした。

 駅から離れるにつれ、閉じた商店の姿すらだんだんと少なくなり、緑の割合が増えていく。

 遠くには、なだらかな稜線を描いた山々のシルエットが見える。宵闇のなか見ると、人智を超えた巨人の威容のようだった。

 

 やがて、ボクは幅広い川に行き当たった。目に映るものが少ないぶん、せせらぎの音がはっきりと聞こえる。

 日の光のもとで見たならさわやかに感じられたかもしれない川の水面も、黒々とうごめいて不気味な異界への入り口を思わせた。

 道路から川原へおりられる階段を見つける。

 川沿いの道は周囲の道路からくらべて、家屋の一階と二階くらいの差で低く、明かりはますます少なくなる。足を止め、夜空が地におりてきたような闇色の水面に、しばし見とれた。

 千年前この街に暮らしていた人たちも、川面に映る夜空を楽しんだりしていたのだろうか。

 幻想感に包みこまれ、ボクはまだ駅に戻る気になれなかった。

 アテはなにもないけど、もう少し夜の散策を続けたかった。

 

 川原の道を、水の流れとは逆に、上流のほうへと歩いていく。

 車の通れる道路からもはなれ、ますます人外の世界に足を踏みいれていく心地だった。

 一歩一歩、自分の呼吸と足の感触をたしかめるように歩いていく。

 もう少し夢心地のままそぞろ歩いたとしても、川沿いに戻ればいいのだから迷う心配はないはずだ。

 薄暗い川原の景色は変化にとぼしく、時間の感覚が失せていく。

 もし、こんなところで暴漢に襲われでもしたら、助けを呼びようもない、とボクのなかの正気の部分が、ほんのすこし恐怖感を抱いた。

 けど、周囲に人の姿はまったくなく、狐に化かされるか鬼に喰われるかするほうが、まだありえそうな気がした。

 いずれにしても、ここで夜闇におびえて引き返せるような性分なら、一人旅を続けてなんかいない。

 どれほど歩いたあとだっただろうか。


 ―――あれは……なに?


 ボクは一瞬、自分の目を疑った。

 川の先にはもはや人工物の影もほとんど見当たらず、こんもりとした木々が生い茂るばかりだった。

 そのはずなのに、視線の先に人の営みを思わせる明かりが浮かんで見えた。

 それも小さな光が一つ二つじゃない。人を誘い込むような明かりの群れが広がって見える。駅からずいぶんと離れているのに、川の向こうに街があるかのような光景だった。

 淡い光のパレードのよう眺めだ。

 その光景に釣られるように、空腹感が再び襲ってくる。

 緑つらなる川の向こうに浮かび上がる大きな光。ホテル街かなにかがあるのだろうか。

 もし、それが正解だとしたら飲食は望めないだろう。

 だとしても、明かりの正体をたしかめてみずにはいられない。謎のまま放っておきたくはなかった。


 川をさかのぼり歩いていくにつれ、光もより大きくはっきりと目に映る。

 けれど、すぐまぢかに近づくまで、その正体がなんであるかわからなかった。

 それがなにかわかったときも、なぜそこにそれがあるのか、理由は想像つかなかった。

 

 その不可思議な光景をまえに、唖然として立ちつくす。

 ボクのまえには、川の向こう岸へと伸びる幅広の橋があった。

 ゆるやかなアーチを描く石作りの橋で、朱塗りの欄干らんかんが古風なおもむきをかもしだしていた。


 その橋の欄干に、びっしりとすきまなく提灯ちょうちんが並んでいたのだ。

 尋常とは思えない量だ。

 夜闇に慣れた目にはまばゆいとすら形容できる光量で、まるで生き物のように無数の提灯の光がゆらゆらと橋のうえに揺れている。川の水面も、そのあたりだけは提灯の光を照り返し、橙色に輝いて見えた。

 

 非現実的な光景に、頭がくらくらする。

 あいも変わらず、あたりには人影もない。

 この提灯が呼びこみや案内のためにあるのだとしたら、まったくのムダとしか思えなかった。

 この明かり以外に、祭りを思わせる風情も周囲には見当たらない。

 いったい、誰がなんのために、こんな大量の明かりを用意したのか。

 人の気配のない場所に浮かぶ明かりの群れは、どこか、打ち捨てられた廃墟を思わせる光景だった。

 奇怪な光景への、好奇心と不安がボクのなかに同時に沸き起こる。

 けっきょく、打ち勝ったのは好奇心のほうだった。


 橋へと近づいていく。

 たっぷりとヒト五人が並んで歩けるほど、幅広の橋だ。

 その両の欄干にびっしりと提灯が浮かんでいて、光の橋とでも形容したくなる。

 川の向こう側になにがあるのかは、提灯の光が強すぎてよくわからなかった。

 宙を踏み抜くようなふわふわとした心地で、ボクは橋のうえに乗った。

 光のアーチのなかを歩いていく。

 この光景のなかに自分がいるのが、ひどく不思議な気がした。

 

 橋のなかばまでにたっしたころ、向こう岸の光景が見えてきた。

 こんもりとした緑の山だ。

 そして、そこにも数多くの明かりが揺れて見える。

 さらに近づくと、大きな鳥居が緑の山の前に立ち、石段がそこから伸びているのがわかった。

 どうやら、山と見えたものは神社だったらしい。

 観光地として有名な大社はこっちのほうではないはずだ。

 けど、街全体が古い土地だから、あまり有名でないお社(やしろ)もたくさんあるだろう。

 それにしても、鳥居と石段、それに立ち並ぶ提灯がなければ人工物とは思えないような神社だった。

 近づいてみると、立ち並ぶ明かりの数は橋以上だった。

 そのあたり一帯だけは、ほとんど昼間と変わらないくらい明るい。

 けれど妖しげな気配は夜の闇以上に濃かった。


「よくいらっしゃいました」


 不意に、女性の声がした。

 低い声音だけれど、落ち着いた、聞く者の胸に染みこんでくるような響きがあった。

 まるで、この夜闇が形をもってささやきかけてくるような、そんな声。

 

 社の光景に目を奪われていたボクは、鳥居の下に人影があることに、橋を渡りきるまで気づかなかった。

 相手の姿に気づいたときには、声がじゅうぶんに届くくらいまで近づいていた。

 長い髪を後ろに結い、巫女装束をまとった女の人だった。

 白い小袖に、緋色ではなく濃い藍色の袴を履いていた。

 髪の色も、光の加減のせいか、黒ではなく袴の色によく似た濃紺に見えた。

 歳のころはよくわからない。落ち着いてみえるその姿は自分よりも年上のようにも見えるし、もっとずっと若々しい――少女のようにも見えた。


 巫女は、橋のほうを向き、うっすらと微笑を浮かべ、ボクの目を見つめていた。

 先ほどの言葉もボクに向けてかけた言葉のようだった。


「えっと……」

「お待ち申し上げておりました。さあ、どうぞこちらへ」


 とまどうボクにかまうことなく、巫女さんは軽く一礼するときびすを返し、ゆっくりと歩く。

 ボクがその後ろをついて歩くのを当然と思い、先導するような足取りだった。


「あの、どなたかとカン違いされているんじゃ……? ボクは……」

「しっ」


 巫女さんは、頭だけ振り返り、唇に人差し指をあてる。

 まるで、この夜の静寂を乱すのをとがめるように。

 小さく微笑を浮かべて言う。


「お名前はおっしゃっていただかなくてけっこうです。ここでは浮世のお名など、なんの意味もございません。ああ……ですが、わたしのことはどうぞ“めづる”とお呼びください」


 脳の芯がとろけるようなささやき声だった。ただ名乗っただけなのに、その名前すらあでやかな響きをもって耳をくすぐる。一瞬、息をするのも忘れてしまった。

 微笑を含んだ声音のまま、めづると名乗った巫女さんは続ける。


「大事なことは、あなた様が旅人であり、当社に足を運んだということ。古来より、旅の方を稀人まれびととしてもてなし、その疲れをお取りいただけるようはからうのが、この社に務める巫女の役目でございます」


 ごく当たり前のことをしゃべっているかのように、めづるさんの声音は流暢りゅうちょうだった。

 けど、ボクにはさっぱりなんのことだかわからなかった。


「いや、ボクは別に神社に用があったとかじゃなくて……。たまたま明かりが見えて、なんだろうと思っただけで……」

「それでもです」


 ボクの言葉をさえぎるように、めづるさんはすこし語気を強めた。


「偶然であるか意図していらしたのかは関係ありません。お言葉遣いを聞けば、遠くからいらした方であると、すぐにわかります。であれば、ご案内してさしあげるのがわたしのつとめでございます」


 そう言われて聞くと、巫女さんの話し方は、言葉こそ標準語だけれど、どこかやんわりとした、古来の大和言葉をほうふつとさせる、この地方独特のイントネーションがあった。彼女のかもす上品な雰囲気の何割かは、この独特の抑揚が要因な気がする。

 

「言ってる意味がよくわかりません……」

「うーん」


 足を止めてしまったボクを振り返り、巫女は困ったように眉を寄せた。


「口でご説明するのは難しいですが、あなたが灯火(ともしび)にいざなわれ、お社に訪れたということが、あなたのお心がそれを求めていたという、なによりの証でございます。どうか、心の声に耳を澄まし、ご自身がなにを望まれているのかよく感じてください。わたくしは、それを叶えて差しあげられます」


 まるでうたうたうような、あでやかな響きをもっていた。

 けど、その言葉は、急に支離滅裂なものになったとしか思えなかった。

 これ以上関わらないほうがいい。

 そう思いながらも、彼女の言葉が心のどこかに引っかかるような気もした。

 その、自身のなかに生まれた後ろ髪引かれるような感覚も、危険に感じる。


「やっぱりなにを言ってるのかわからないです。ボクは、ほんとに行きずりで来てしまっただけで……。とにかく、もう帰ります」


 強引に会話を打ちきって、ボクは頭を下げる。

 こうして立ち話をしているあいだにも、この不可思議な巫女と神社に引き寄せられるような思いが、自分のなかでどんどん膨らんでいくのを感じる。それが、ただの好奇心なのか、自分にもよくわからなかった。

 これ以上話していると、彼女のペースに引きずりこまれそうだ。

 一刻も早くこの場を去らないと、後戻りできなくなりそうな予感がする。

 いいかげん駅に戻って、予約した宿のある街に向かわないと、都会の感覚で油断していたら、電車がなくなってしまいかねない。

 湧きあがる衝動を断ちきるようにきびすを返そうとした。

 その時――、


「わかりました。では、こういたしましょう」


 彼女はぱん、と手を打ち明るい調子で言った。

 そして、ボクに数歩近づいてくる。

 ボクの姿勢が猫背ぎみなのもあるだろうけど、めづるさんはボクよりも頭一つぶんくらい長身だった。

 至近距離で覗きこむような彼女の視線を受け、その深い藍色の瞳に釣りこまれそうになる。

 ボクはその場を動くことも、目をそらすこともできなかった。

 彼女は両手をお椀の形にして、自身の口元に添える。口をすぼめ、


「ふっ」


 と息を吹きかけた。

 次の瞬間、花弁のような鮮やかな色彩のなにかが、夜空に舞いあがるのが見えた。

 それと同時、甘ったるくとろけるような香りが、鼻の奥から、脳髄にまで突きぬけるように匂いたつ。


「えっ……」


 郷愁をいざなうような、夢心地になるような――花の焼けるような、蜜がただれるような、不思議な匂いだった。

 不快ではない。けれど、急に酔いが回ったみたいに思考がにぶる。まぶたも、とろんと重たかった。全身がけだるく、手足に重りをつけられたように感じる。


「どうかご安心ください。あなた様に危害を加えるつもりはございません。さあ、心安らかにまどろみに身をおゆだねください」


 この匂いにも負けない甘い声音で、彼女はボクの耳元にささやきかけた。

 なぜか、ぞくりと背筋があわだった。拒絶感だったのか、快感だったのか、自分でもわからない。

 そして、めづるさんはボクの両頬を包みこむように、手をそえた。

 彼女のほっそりとした指先がこめかみのあたりまで伸び、てのひらはひんやりとして感じられた。柔らかな手つきで、ボクの前髪を軽くはらう。

 万華鏡のように揺れる視界いっぱいをおおって、彼女の顔が近づいてくる。

 そして――唇を重ね合わせた。


「んん……!」


 その柔らかな感触を味わう間もなく、彼女の口からどろりとした液状のなにかがボクの口内に侵入してくる。

 舌が絡まり、唾液とともに口中に注ぎ込まれる。

 味はほとんど感じられないけれど、さっきの花弁以上の甘ったるい香りが鼻孔を刺激した。

 液状のなにかが、喉の奥から熱となって全身へと広がっていくのを感じる。

 同時に、急速に思考が鈍っていく。


 驚き抵抗しようとするも、彼女はボクの頭をしっかりと押さえ、はなそうとしない。

 なおも唇を重ね続ける。それはキス、などと呼べるような耽美な行為ではなく、まるで口腔から彼女にむさぼり食われているような気がした。

 それでも、嫌悪感も恐怖も湧かなかった。

 全身から力が抜けていく。

 彼女が頭を持っていなかったら、もう立っていられなかったかもしれない。

 けれど、そのことに不思議なよろこびもあった。

 ずっと背負っていた重荷から解きはなたれ、極上の羽根布団にもぐりこむような快感。

 眠りに落ちる寸前に感じる、思考を手放す心地よさが脳を襲う。


「ふふふ、どうぞごゆっくりおやすみくださいませ」


 ようやく唇をはなし、彼女は艶然と笑った。


「なん……で……?」


 口を開こうとするも、ろれつが回らない。もう目も開けていられなかった。

 閉じたまぶたの向こう、彼女がボクの身体を受けとめたようだった。

 ふわりと包みこむような、柔らかな感触を全身に感じる。


「さあ、あなたたち、お客様をお連れして」


 ボクの意識は、暗い闇の淵へと落ちていった。

 気を失う直前――めづるさんの声と、何ものかの足音を聞いたような気がした。

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