第29話 覚悟
聞こえてくるのは、妹と祖父の声。
猫撫で声の祖父と、端末越しに聞こえる妹の不機嫌さを隠さない声。
小指の第一関節よりも小さな端末は恐らく自分の物だろう。祖父による打撃の数々によって気を失っていた間に奪われたのだろう。
身体に残るダメージはもう無い。
立ち上がろうと思えば立てるが…立ち上がり、奪われた端末を取り返すにせよ、逃げるにせよ、どちらも不可能に思える程彼我の戦力差がある。
祖父は強い。経津主のナンバー2は伊達ではない。
しかし、そんな祖父の本気の攻撃に耐えるだけなら、数時間は耐えられる自信はある。
祖父は強いしおっかない。
だが、そんな祖父の数億倍…いや、比較するのさえ不可能に思える程強大なる恐怖、『最強の生物』である母の拳骨に比べれば玉鋼と絹豆腐くらいに差がある。
音速でぶつかってくる豆腐と、光速でぶつかってくる玉鋼…
光速でぶつかる玉鋼を幼少期より受け続けた虎千代にとって、音速の豆腐は、当りどころさえ間違わなければ、痛い程度で済むのであった。
とはいえ、痛い思いはしたくない。
虎千代はそう思って床に寝転んだままだった。
だって、祖父は虎春ちゃんを溺愛してるし、危害を加えることはあり得ない。
このままやり過ごせば痛い思いはしなくて済むし、勿体無いけど端末は買い直せばいい。
そう思っていた虎千代の耳に祖父の慌てる声と共に、妹の声が聞こえた。
「父様とお兄ちゃんを嫌うのをやめて。先ずそこからよ。」
無意識に立ち上がっていた。
痛いのは嫌とか、やり過ごすとか、そんな思いは消えていた。
「爺ちゃん…
才能溢れる妹と落ちこぼれの兄。
だけど嫉妬や劣等感は全く無かった。
最近、考え方や生き方は真逆になりつつあるけれど、共に苦楽(母による修行という名の地獄)を乗り越えてきた兄妹の絆は一族のそれを凌駕する。
自分でも信じられない程の気力で祖父を睨む。
「嫌われてんだっ!!いい加減分かれよ、クソジジイッ!!」
そう叫び、硬く握った拳と共に全力で飛び掛かった。
兄としての意地が、虎千代を立ち上がらせた。
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二十五年前まで行われていた経津主の伝統がある。
経津主が経津主たる由縁である伝統は、寅華という稀代の天才が誕生したことで衰退したが、その伝統による禍根は大きい。
そんな業の深い伝統…経津主の『喧嘩推奨』は、身内の子供たちに喧嘩をさせ、例え身内であろうと容赦しない苛烈さを身に着けさせる習慣行事であった。
そんな伝統によって、巳香と玄猪の様に、
今だに険悪な仲となっている一族の者たちがいるのだが、憎まれ口を叩き合える程度ですんでいる。
しかし、そんな伝統を終わらせる…いや、終わらせればならない事件が起こった。
二十五年前…当時六歳の寅華と、寅華と同じ経津主一族の後継者と目されていた、1歳年上の経津主
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「大馬鹿の寅華より、兎波の方が圧倒的に上。」
初対面から喧嘩腰だった兎波に対し、
「馬鹿とはなんだ?食えるのか?」
と意にも返さない寅華。
次期当主と目された両者の対峙は出会った時より始まっていた。
武でも他を圧倒する実力を持ち、勉学に策謀に長けた逸材。
それが経津主兎波であった。
そんな兎波は、自身が並外れた美しさを持ち合わせると、弱冠7才にして知っていた。
美しく…そして強く、賢い。
非の打ち所がない己に絶対的自信を持っていた。
そんな兎波は、初対面の、同格とされる従妹を敵視した。
会う前から、寅華という従妹に関して情報を集めていた。
己の様に、文武両道で眉目秀麗という訳では無い。
容姿に関しては誰もが褒め称えている…そこは悔しいが同じだ。だが、やはり、自身の方が優れていると、そう確信していた。
武、その一点特化の相手に、自分が負ける訳が無いと。
初対面から喧嘩を売り続けた。
一族の眼前で、どっちが上か見せつけてやろうと。
しかし、肝心の寅華は、その喧嘩を買わなかった。
「馬鹿と思っていたけど、思ったよりも頭が回るのかしら…」
徴発に乗らない寅華に、そんな疑念が生まれたのは、数ヶ月後のことだった。
「寅華様と喧嘩したいんですか?」
そんな私に這い寄って来たのは、同じく従妹の巳香であった。
私は彼女の言葉に従い、巳香を下僕とし、一族と、寅華の眼前で手荒く扱った。
「喧嘩では済まんぞ?」
一族の大人たちを前にして、伝統の許容範囲越えたことを行うと宣言した寅華。
「やれるものならやってみなさい?」
次期当主候補の喧嘩。それを期待する一族の目と、自分こそが一番だという自負から、その挑発に乗ってしまった。
「寅華様!!それ以上はいけません!!」
一線級である一族の大人たちが決死の覚悟で静止する声が響く。
それでも止まらぬ戦鬼。
「止まらぬか!!」
一族の御歴々までも出て来て、寅華を力づくで止めようとした。
「全員、私の敵ということだな?」
そんな御歴々でさえ、塵芥の如く地に叩きつけられる。
猛獣とか、悪鬼とか、そういう揶揄では表せない、決して人が超えられない力を見せつける声と眼光が一帯を支配した。
この一件により、次期当主は寅華と決定されると同時に、経津主伝統の『喧嘩推奨』は、寅華が存在する限り禁止とする御触れが出された。
これと同時に、次期当主の候補であった経津主兎波が深いトラウマを負い、行方不明となったのだが、それはまた別の話である。
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潤三は車を走らせ、寅華が居そうな場所を思い当たる限り駆け回っていた。
連絡が取れない自身の妻を探すのは困難を極める。
もう既に何十箇所と訪れている潤三は溜息を漏らす。
「やっぱり、ちゃんと使い方を教えておくべきだった…」
右の手のひらに置いた、妻の端末を見て苦笑いを浮かべる。
通信端末の進化は進み続けた。
電話機の形から属に言うガラケー、スマートフォンという形態の変化の末、一時は体内に埋め込むマイクロチップにまでなった。
しかし、世界が様相を変えた頃から、体内内蔵型は悪質な使用方法があまりにも増加し、指先サイズの端末に変貌を遂げた。
通信に限らず、あらゆることに用いるそんな端末は、一定の生活水準以上の収入がある人々にとって必須ともいえるのだが、何故か寅華は所有しているにも関わらず、それを使いこなす努力を一切せず、常に自宅の居間に放置している。
曰く、「煩わしい。」ということで使い方を学ぼうとしなかったが、家族との連絡の為に、しっかりと使い方を教え、携帯する癖をつけておくべきだったと潤三は後悔していた。
「まあ、寅華さん自身の心配は無用なんだろうけど…」
この世で最も強く、超大国を一人で相手にしても勝てると称される彼女が危険に晒されることはない。寧ろ相対する相手の身が危険極まりないのだから。
しかし、家族になにかあったり、今みたいな時…
「顔も、声も…貴女の何も感じられないのは辛いですよ…寅華さん…」
どれだけ自分はあの人が…自分の妻が好きなのだろうかと自虐的な笑いが漏れる。
初め彼女の姿を見たその時、彼女以上の女性は存在しないと信じた。
それは今も変わっていないと、彼女を失って痛感させられている。
「もう、あそこしかないか…」
潤三は覚悟を決めた様に大きく息を吐き、運転席に乗り込み、アクセルを踏んだ。
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