第18話 遅刻

 見慣れた居間の天井。

 朧気な、うっすらと開いた目で天井を数秒見つめる虎千代は気付く。

「遅刻だ…」

 

 大魔王こと母に意識を刈り取られたのが午前七時。

 大魔王による、頭蓋を砕くアイアンクローを食らった時の蘇生時間は平均二時間。

 遅刻は確定している。

 そう察した虎千代は、慌てた様子もなくゆっくりと立ち上がり、自身の頭部を触りながら確認する。

「…頭蓋骨は復活してるみたいだな。肋は戻ってないけど…」

 砕かれた頭蓋骨は復活していたが、昨日奪われた肋骨はやっぱり、まだ戻っていなかった。

「遅刻確定だし、今日は休もうかな…」

 本来なら行きたくもない学園に、強制的に入学させられたので、モチベーションは低い虎千代はそう呟いた。

 そんな虎千代を呆れた様子で見ていた虎春は、溜息を吐きながらソファで髪の毛を弄っていた。


「アンタに、あの悪魔母様から伝言よ。」

 虎千代の復活を確認した虎春は、面倒くさそうに髪にアイロンを当てながら言う。

「休んだら殺す。遅刻したら半殺し。…以上よ。」

 呆れと憐れみの籠もった声で言う妹の言葉に、虎千代は泣きそうになった。

 どう足掻こうと、三途の川の畔迄行くのは確定しているからだ。

「行ってきます…」

 まだ死にたくはない。虎千代も生存本能には抗えず、初日から遅刻して登校という決意をした。



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 経津主学園。武の、暴力の頂点と謂われる経津主一族によって創設された学園。

 金か暴力が支配する世界となった現在、暴力を学ぶ場である経津主学園は、世界各地に設立されている。そんな中でも、経津主の本拠地である日本に設立された第一校は、日本だけでなく、世界各地から生徒が集まる、最先端の武、その育成機関である。

 

 そんな経津主学園は、あらゆる武術の達人が教官として在席しており、多数の部門と、そこから更に小分けされた専科が存在する。

 生徒はその部門における総合科目と専科を履修するのが基本となっている。

 剣や長物、徒手に射、暗器…武術の数だけ部門がある。

 そんな自分の専門となる部門と専科。

 入学生の全員が、通達される前から、自分がどこに当たるのか知っていて当然なのだが…

「あのー…僕の教室は何処でしょう?」

 遅刻して来た虎千代は、自分の教室どころか、部門も、専科も分からず、職員室でそう伝えた。

 

 だって当然じゃないか!

 そもそも、武術なんて習っていないのだから!

 自分が知っているのは、母、寅華の理不尽な程に圧倒的な力だけで、真っ当な武術なんて知らない。

 それを強いて言いうのなら我流。

 それがどの部門に当たり、どの部門に当たるのかなど、虎千代には分からなかったし、分かりたくもなかった。


「…入学式の時点で分かっていた筈だが、想像以上に大物の様だな、経津主虎千代。」

 スキンヘッドの頭頂部から顎の下にまで伸びる深い切り傷の跡、厳つさという言葉の権化の様な顔立ちと筋骨隆々の大男が虎千代の前に立つ。

「…大物?僕が?」

 大男の言葉に、虎千代は首を傾げた。

 戦闘力ゼロなのに、遅刻してこんなところにいるのは確かに大物かもしれないが、鬼も泣いて逃げ出しそうな人が言う言葉とは思えなかった。

 成る程、凄く皮肉の効いた言葉なのだろう。

 そう虎千代は受け取った。

 雑魚の癖に何様のつもりだ?

 そういうことだと察した虎千代は、大きく息を吐き、覚悟を決めた。


「帰れば大魔王…理事長から半殺しにされるのが決まっているので、程々で勘弁して下さい。」

 虎千代は頭を全力で下げた。


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 徒手部門無専科。

 経津主学園に存在する中で最も血の気の多い荒くれ者が集まる専科。

 部門は徒手となっているが、無という専科名の通り、その実態は無い。

 いや、無いというより、なんでもありというのが正しい。

 基本は素手だが、その場にある物はなんでも使い、如何なる手段を使おうと、勝てば良いという、ストリートファイト的な専科である。

 当然、入校してくる生徒は世間一般に言われる手のつけられない暴れん坊ばかりで、その半数は、更生目的で強制的に入学させられた者たちである。

 

 そんな専科の担任であり、彼らを押さえつけられるだけの力を持つ、経津主学園で最も強いとされる教官、玄武げんぶ剛健ごうけんは、自身を前に謎の言い訳をしながら頭を下げる遅刻した新入生に戸惑う。

 遅刻の言い訳でもなく、これから自分に殴られることを察して、加減することを求める謝罪。

 これは初めてだった。

 これまで接した生徒たちは、殴られない様に言い訳するか、それとも、自身に拳を向ける者たちしかいなかった。

 覚悟を決めながらも何処か余裕のある振る舞い。

 お前如き大した事ない。

 そう思わせる風格を剛健は感じていた。

 …これが理事長、史上最強の怪物と恐れられる経津主寅華の息子か。

「…大物という表現は誤りだったな。」

 大物、そんな枠には納まらない。そう確信しながらも、教官としての務めを果たすべく、己の持てる全力の拳を虎千代に振り落とした。


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「痛った…」

 虎千代は驚愕していた。

 ゴリマッチョなスキンヘッドの強面教官から後頭部に叩きつけられた拳は、確かに痛みを感じていたからだ。

 ダンプに跳ね飛ばされようと、剣戟に襲われようと、銃撃を受けようと…ダメージどころか痛みさえまともに感じなかった虎千代。

 彼にダメージを与えて、痛みを与えることが出来たのは、母と妹、その他一族の最精鋭だけであった。

 経津主学園怖い。

 一族以外から初めてダメージを受けた虎千代は、

「母さんが理事長なんだ…みんな母さん程ではなくとも、魔王なんだろう。」

 そう思いながら恐怖を感じて教官を見ていた。


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 やはり、こいつは怪物だ。

 戦車を消し炭にする全力の拳を「痛い」で済ませる生徒に恐怖を感じる剛健。

 殴った拳は、その硬さに震えと流血を起こしている。

「こいつはヤバい。」

 本能がそう指摘し、逃げ出したくなる。

 だが、幾人もの問題児を更生させ、それを生き甲斐としている彼の鋼の意思が留める。

 

「経津主虎千代…お前は徒手部門無専科だ。担任は俺、玄武剛健だ。俺もこれから教室に向かう、ついて来い。」

 後頭部を擦る虎千代にそう告げる。

「あ…はい!」

 慌てた様子でついて来る虎千代。

 その姿は、邪心などなく、純粋で気弱な少年の姿に見え、その違和感に剛健は更に虎千代に警戒を強めた。



 








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