第4話 静かな海

2025年3月某日

インド洋のどこか


ライモンディ船長が老け込んでしまった。

ここ2週間余りに一気に歳を取ってしまったと自身で感じていた。

ハンブルク港を出ている最中に1等航海士のリコより船の鼠ラットが海に飛び込んでいると聞いた時から。


「船長、こんなことあり得ないよ。」


と恐怖心が混じっている緊張面で言った。


「ああ。確かにあり得ないな、リコ。」


2人はその時以後、なるべくあの話はしないようにしていた。


2等航海士の中華系マレー人の黄も不安を隠そうとせず、コンテナ船の機関長とメイン通信士もあの赤いコンテナが発する不吉な予感を敏感に感じていて、夜になると自分たちの個室に入って、施錠し、朝まで一切部屋から出なかった。

船のおしゃべりなコック長も最近元気がないと言い、実際顔色が悪く、アシスタント部員に全てを任せて、個室で1日中休んでいた。

ライモンディ船長は毎晩よく眠れず、疲れがたまる一方でストレスと恐怖に侵食されていると強く感じていた。


船橋(ブリッジ)でリコと熱いコーヒーを飲んでいたら、コック長のアシスタントより無線で連絡が入った。


「ライモンディ船長、すぐにコック長の部屋へ来てください。」


と恐怖の籠った声でアシスタントは無線で呼んだ。


「わかった、すぐ行く。」


とだけ答えて、リコと共に急いで向かった。


コック長の部屋に着いたら、アシスタント部員は恐怖を表している顔で2人を待っていた。

ベッドの上でコック長が死んでいた。虚ろなになった目は明けたままに。


「医務室に運べ、船医に確認してもらう必要がある。」


ライモンディ船長は元気なく命令した。


医務室でラン船医はゴム手袋を外しながら、ライモンディ船長に報告した。


「伝染病である可能性は低いがコック長の遺体に不自然な点は一つある。血が全部抜かれている。出血大量で死んでいるのに怪我一つしていない。」


「水葬しても問題ないだろうな。」


とライモンディ船長は聞いてきた。


「問題ないが、出来たら解剖した方がいいと思う。大量出血なのに血痕がない。」


ラン船医は納得してなさそうな感じで答えた。


「そんなややこしいしなくていい、それより早く水葬する。コック長の死亡時刻は分かるか?」


とライモンディ船長が確認した。


「正確な死亡時刻は不明だが、最低でも12時間は経っていると思う。」


とラン船医は報告した。

「ならば明日のこの時間にコック長を水葬する。死亡証明書を作成しろ、ラン。」


とライモンディ船長は船医に命令した。


「わかった、ライモンディ船長。」


と船医は疲れた表情で答えた。


夜になって、3等航海士のハイメが船橋(ブリッジ)に入って、漫画を読んでいた。今夜も何ごとも無ければいいと考えていた。

この船に乗って今年で3年目、仕事と仲間に不満はなかった、そして今夜はいつも以上に海が穏やかで空が曇っておらず、星々が明るく輝いていた。


このシフトの通信士のチャンがあくびしていた。


「寝るなよ、仕事中だぞ、チャン。」


「寝てないですよ、ハイメどの。」


と不安そうに笑いながら通信士は答えた。


緊張と恐怖を隠すための笑いだった。3等航海士も通信士も、サポート部員のディアスも恐怖に駆られていた。

甲板(デッキ)に人影が動いているとハイメは気付いた。


「電気付けろディアス!甲板(デッキ)を照らせ、早く!」


と命令した。

電気が甲板(デッキ)を照らしたが、何もなかった。


「気のせいか。」


とつぶやいた。


その夜、コック長の死体が消えた。


ライモンディ船長は色々考えていた。海に出て40数年、こんなことは初めてだった。

怪奇現象と言えるものは何度も見てきたが、これより不自然で不気味は今までなかった。

ラン船医もリコも同じ気持ちだった。

あの赤いコンテナはこの船に運ばれてから全てが狂ったように思えた。

会社の指示が明確だった。棺を連想させるあの赤いコンテナが中から開けられるように細工されていたし、それをほっとくようになっていた。


「おいリコ、あの赤いコンテナに鍵をかける、急げ。」


「お言葉ですが船長、会社の指示でそのままにすることになっている。」


「反論するな、それは十分わかっているが、これは俺の命令だ。今すぐ鍵とチェーンをかけろ、暗くなる前に。」


と言葉に恐怖を交じりならがライモンディは命令した。

翌日の朝、鍵とチェーンが切れていた。


コックのアシスタント部員と別の無口なフィリピン人部員が個室で亡くなっていた。


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