暗転
御子柴と別れたカゲリは、その足で古ぼけたアパートへ向かう。町外れに位置し半数以上の住人が既に退去した、いわゆる曰くつきの物件だ。しかし、日陰に生きる彼にとってはお誂え向きの住処だった。
玄関扉を潜り靴を乱暴に脱ぎ捨てると、目深に被っていたフードを払い除ける。先程までのおちゃらけた道化の顔は陰を潜め、露わになった双眸には夜の海に似た、暗澹とした闇が広がっていた。
一息吐く間もなく、ポケットに乱暴に突っ込んでいたスマートフォンが震え、着信を告げる。仄明るいディスプレイを見て舌打ちする。表示された名前は『霧雨篠』。電話に出るのも面倒だが、出ないのはもっと面倒なので、仕方なく通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『やあ、お帰り霞』
全てを見透かしたかのような霧雨篠の声。思わず顔を顰めた。
「あのさぁ……俺が帰った瞬間お帰りコールすんのやめてくんない? キモいから」
『ははは。帰りを迎えてくれる家族がいなくて寂しいかと思ったんだが。まぁなんだ、次からは気をつけるとしよう』
口ではそう言いつつ、善処しようと努力しないのが霧雨篠という女だ。この女に常人の物差しは通用しない。霞は受話器の向こうに聞こえる大きさで舌打ちした。
御門霞。平凡とは言い難い高校生の彼こそ、「カゲリ」を名乗る陰陽師の正体である。故あって、霧雨篠とはビジネスパートナーの関係を築いている。霞が特怪の捜査に協力する代わりに、霧雨篠は霞の生活を援助する。そういう契約を結んでいた。通っている高校の学費もアパートの家賃光熱費も全て彼女が支払っているため、霞はどう足掻いても霧雨篠には敵わない。
そしてカゲリとは、正体を隠し陰陽師として活動する際の名称でもあり、霞が操る
霞とカゲリは表裏一体かつ一心同体の存在。同じ肉体に異なる魂が二つ宿っている、と言い換えてもよい。カゲリが誰かの影を支配している間、霞の意識もそちらに引っ張られる。さながら磁石のS極とN極のように。日中であろうと強制的に引き寄せられるため、傍からは霞が居眠りばかりしている不真面目な少年に見られてしまう。難儀な体質だが、この生き方を選んだのは他ならぬ霞自身。文句を言ってはいられない。
『さて、与太話はここまでにしておいて、調査の進捗を聞きたい。率直に聞くが、どうだった?』
「どうもこうもねーよ。アレ、使えないから適当に追っ払っといて欲しいね」
『新人クンのことか? そう嫌わないでやってくれ、一所懸命で可愛いだろう、彼』
クツクツと笑う霧雨篠の戯言を無視し、霞は話の軌道を修正する。
「あの会社の中、気持ち悪りぃくらい負の感情で淀んでた。間違いなく陰法師案件だ。それが事件を引き起こしたかは別として、だけどな」
『確かに、被害者はかなり怨まれてたようだからねぇ。キミがそう断言するなら間違いないだろう。専門家として引き続き協力頼むよ』
終話ボタンを押した霞は、夜闇に似た視線を窓の外に投げる。地球の自転により、太陽の影となる時間帯。彼が支配する領域――夜はこれからだ。
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