あなたへ届ける物語

お餅。

海の底 〜寂しさ〜

 どこまで行ったって、息ができない。私の人生には限りがない。限りがなく、苦しい。

ああ、せめて自分の部屋があったらな、そうしたら思う存分引きこもって泣いて、閉じこもって誰かが助けに来てくれたかもしれないな。

だけど閉じこもれる場所さえない私は、誰かに痛みを気づいてもらうことさえできない。

便器に顔を突っ込む。また嘔吐した。

涙が滲む。胃液が苦い。気持ちが悪い。何かに手を伸ばす妄想をした。

水を流す。うるさい。

私は壁に背をつけてへたり込む。鍵がかかっている。リビングにはママがいる。

気付かれてはいけない。気づいて欲しい、助けて欲しい。

二つの思いは絡み合って絡み合って、私の首を絞める。


教室の机の中に、大量のゴミクズが入っていたんだ。

私は傷ついていないふりをして、クスクスいう笑い声も全部無視して、前を向いた。唇が震えるのはマスクで隠れていたけど、どうにもならなかった。

鼓動がずっと、うるさくて、朝の会なんてどうでもよくて早く終わって欲しくて。そうでないと、私はこの狭い檻の中で死んでしまうんじゃないかって、本気で思った。


また嘔吐した。

もう吐くものがないのに、胃が勝手にぎゅうぎゅう締め付けてくるから、音のないうめきだけが響く。何が、青春だ。何が、平和だ。

ヒーローも神も現れないじゃないか、こんなに苦しい人間がここにいるのに。

誰も私に気づいてくれないじゃないか、こんなの。

こんなのおかしいじゃないか。

どうして私がこうまでして苦しまなきゃならない。

どうして私はこんな思いまでして生きなきゃならない。

私は顔を上げた。

「だれか」

誰もいなかった。


その時、スマホの着信が鳴った。


誰かが助けてくれると思った。ただの宣伝のメールだった。

「・・・ふざけんな」

小さくつぶやかれた声は、自分でも怖くなるほど悪を帯びていた。

そういえば。

最近、好きな歌手の動画をチェックしていなかった。

なんの気無しに動画サイトのアプリを開く。ただの気晴らしのつもりでいた。

チャンネルを検索する。

『あこ music』

開くと、たくさんの動画がアップされていた。まだ知らないものばかりだ。

「・・・」

開いていたのは、一番暗くて闇が深そうなものだった。意識的に選んだわけじゃない。

そこには、紫の髪の、かつての推しがいた。

以前の可愛らしい感じではなく、ロックでパンクで、雰囲気がガラリと変わっていた。刺々しかった。

びっくりして画面を見つめる。

「こ、これ・・・本当にあこ?」

画面の中のあこが、すぅっと息を吸った。

その瞬間、なぜかぶわりと肌が波打つ。

あこの真っ赤な唇が開いた。声が鼓膜に届いた瞬間、私はとらわれていた。

こん、こんとドラムが入ってくる。シンバルの、全てを壊すような衝撃音の後で、ベース、エレキギターがギュンと私の周囲を囲った。

そしてその中央に君臨するのは、あこ。あこの歌声だ。

私は目を見開いていた。ここはもう、吐く場所じゃなかった。私の心は私の体をこの瞬間だけ眠らせて、どこか、ここじゃない別のところに入っていた。

サビに突入する。あこの表情が見えた。


好きな曲を着て

闇を知って

思い通りにさせないで

生きるために走るんだ


駆け抜けて逃げて

生き延びるために

君の涙 痛み

この声でかき消す

から



あこが手を伸ばす。笑顔が弾けた。大丈夫?無理しないでね、って表情で世界を描いていた。この歌が私のために作られたような気がした。


海の底 最奥で

あなたを待つ

あたたかい場所で

話をしよう


頬が濡れていると思った時にはもう、私は泣いていた。

ただ、眩しかった。あこの声、存在、言葉全てが、本当にこの世に存在しているのだろうかと疑った。あまりにも、優しかったから。

「逃げて、いいの?」

画面に尋ねる。歌が終わって、スマホの画面に私の顔が映る。

私に尋ねているみたいだ。

「生き延びるために、離れても、いいの?」

答えは返ってこない。

その時、黒くなった画面に再びあこが映る。

「こんにちは〜。あこです。『海の底』、聞いてくれてありがとう!』

私はグスグスいう鼻を擦って、あこをじっと見つめた。穴が開くほど、見つめた。

「この歌詞はね、私がとっても苦しくて孤独だった時期に、気づいたら書いてたの。その時のことが、今の私に繋がってるから、もう苦しくないんだ。

今見てくれているあなたも、明日が来て欲しくなくて、自分が一人ぼっちだって感じて、何にも幸せがないって、思ってるかもしれないね」

私は身構えていた。何か傷つけられるような言葉が、あこの口から出るんじゃないかと思うと怖かった。

「んー、しんどいよね。完全にあなたの痛みをわかってあげることはできないかもしれない。だけど、あなたが泣いてるならその涙を拭いたいし、ひとりぼっちだと感じるなら、思いっきり抱きしめてあげたいと思う。世界で生きてて、一人ぼっちってことは、ありえないんだよ。みんな誰かと、繋がってる」

すっかり体の力が抜けていた。


「私は、あなたと繋がってたい。距離なんて関係ない。あなたと、歌で、作品で、繋がれるんだもん」

涙は溢れ出して、止まってくれない。

「忘れないで、あなたは、一人じゃない。ここにこの作品がある限り、あなたのことを思って作った人がいる限り、あなたは絶対に一人じゃないの」

胸の中に、熱いものが広がっていった。私はうずくまった。うずくまるしかなかった。自分の胸の中の巨大な氷の端にヒビが入ったような、そんな気がした。

あこの声が、あったかい。

「あなたが幸せな今日を生きられますように」

あこは最後にそう言うと、優しく、微笑んだ。

ゆっくりフェードアウトして、また私の、ボロボロに涙してる顔が映った。あまりにも酷くて、思わず小さく笑ってしまった。

「何・・・この顔・・・」

笑った時、私の中の何かが変わったような気がした。それは気のせいだったのかもしれない。それぐらい小さいことだった。


こんなに優しい人もいるんだ。

私はあこと同じ星に住んでいるんだ。

なんだか、捨てたもんじゃないのかもしれない。

私はゆっくりと深呼吸した。胸の中のあたたかさは、トイレを出ても消えなくて、これが幸せなのかなぁと思った。

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