第3話 最後の儀式

 押し黙る青年に「と言っても、私は灰から生まれた分霊だから正確な表現ではないけどね」と前置きしたあと、シンシアはポツポツと語り始めた。


不死鳥わたしがこの地に降り立ったのはもうずっと昔。その当時、人々は互いに争っててね。たくさんの死と悲しみがあふれてた。だから私、変えようとしたの」


 シンシアは胸に手を重ね、小さな火種を生み出した。火種は風に煽られて揺らめき、そのたびにチラチラと火の粉が飛ぶ。少女は薄く微笑んで手のひらに灯る淡い光を見つめた。


「良いことをしたって思った。だって血を与えて生まれ変わった人たちはみんな、ありがとうって言ってたくさんの捧げ物をくれたから。……でも、それは間違いだった」


 突風が吹きつけ、火種がかき消えた。ギュッと両手を握る少女の顔が思い出すことを拒絶するようにゆがむ。無理をしなくていい、と慌てるイグニスにしかし、シンシアは首を振って続けた。


「気がついたとき、私の身体は縛られていた。朦朧もうろうとして、力が入らなくて、首を巡らすこともできなかった。そこに大きな棍棒を持った天使たちがやってきて……それで……」


 最初は複数人による撲殺だった。次は紐を使った絞殺。大きな石を使った装置で頭を潰されることもあれば、生きたままどれだけ解体できるのか試されたり、体のあちこちを傷つけられ血がなくなるまで放置されたこともある。

 どれだけ楽に殺せるか、どれだけ効率的に血を流させられるか。天使たちは今後を見据えシンシアの身体を徹底的に暴き続けた。


「彼らが感謝していたのは私じゃなくて、私の力だった」


 少女は数え切れないほど命を失って、数え切れないほど生まれ直した。しかし、そこに自由はなく、できるのはただ殺されるまでの時間を待つことのみ。彼女の全てが擦り切れていった。


「ずっと終わらせたいと思ってた。何もかも嫌になってもうこれ以上続けたくないって、楽にしてほしいってずっとずっと」


 空を見上げ、月明かりに照らされた少女の横顔。その目は何も映していなかった。その瞳は空っぽで、どこまでも深い空の色だった。


 でも、と少女は続ける。


「それでも、一つここまで生きてて良かったことがあるんだ。──きみに会えたこと。それだけは本当に良かった」


 青年の目が大きく見開かれる。少女は少し照れたように笑って、なおも真摯に言葉を重ねる。


「もう擦り切れてきっと次のお祭りが私の最後になるけど、きみと過ごせて楽しかった。ありがとうね、イギー」


 その言葉にこらえ切れなくなり、イグニスは唇を噛み締め、静かに肩を震わせる。視界がにじみ、前が見えない。固く握った拳を額に押し当て、こぼれないように目をつむった。


「あ、そうだ。してほしいことだったよね。私、できることなら最後は……。うん。最後は、きみに終わらせてほしいな」


 どこか夢見るような表情で語られたその願いを前に、イグニスは──


 ………

 ……

 …


 神殿を震わせる喧騒けんそうと無数の羽ばたく音に意識を引き戻され、イグニスは静かに目を開けた。


 首から下げた涙型の藍晶石に触れ、手触りを確かめる。傍らに置いた大斧の柄を握りなおし、広場を囲む天使たちを目だけで見回す。ゆっくりと長く息を吐き出して、最後に大神官に視線を向けた。


「皆、よく集まった。これより復活祭、『再誕の儀』を執り行う」


 厳かな調子で、さりとて熱気をはらんだ空気の中、最後の儀式は始まった。




 盛大に飾りつけられた広間に、今日新たに天使となる亡骸が運ばれてくる。彼らはそれぞれ白地に黄色の刺繍ししゅうが施された衣装を身につけて現れ、日差しが降り注ぐ広間に丁寧に並べられる。その後、順番に生前の行いが読み上げられ、神の御名において一人一人がその資格を認められていく。


 静寂の中、朗々と声を張り上げる天使の高官とそれを承諾する大神官。ひどい茶番だ、吐き気がする。

 一言も発さずに控えるイグニスの握る柄がギチギチときしんだ。


 そうして全てが認められるとふいに広間に影が落ちる。

 来た……!

 観客席から抑え切れない興奮が漏れる。天使たちは目を輝かせ、顔を空へ向けた。最高潮まで高められた期待は次の瞬間、爆発する。


 大神官の祈祷きとうに合わせて荘厳な曲が奏でられ、空から太陽の光を背に四人の天使と、不死鳥がゆっくりと舞い降りたのだ。

 不死鳥は金でできた豪奢ごうしゃな衣装をまとい、流線形の黄金の仮面の下からは青い瞳をのぞかせる。


 イグニスは一度胸元に手をやってから、前を見て歩き出す。黒く輝く大斧を手に、確かな覚悟を持って前へ、不死鳥の首元へ。

 大神官の言葉が興奮冷めやらぬ広場全体に響き渡った。


「──大いなるおおとり。偉大なる不死鳥インティ・ワマンの慈悲を賜り、我らはこの日、この時より再び世界に生を得る。あがめよ! 我らが神を。祝福せよ! 新たなる同胞の誕生を!」


 すぐそばまで辿り着いた青年を不死鳥は愛おしむように見つめる。


 ──その瞬間、脳裏にさまざまな思い出が浮かび、視界を埋め尽くした。


 イグニスの両手が大斧を掴む。


 ──そのどれもが幸せで、大切で、かけがえのないものだった。


 青年の腕が大きく弧を描く。限界まで振りかぶられた大斧は、そして。


「ごめん、シンシア!」


 歯を見せて笑う奴隷の意志に従い、ぐるりと回転し、勢いをつけてぶん投げられた!

 狙いはあやまたず、驚愕に固まる大神官にぶち当たり、大輪の真紅の花を咲かせる。


 静寂。一拍置いて、その場を悲鳴と怒号が埋め尽くした。


 壮絶な絶叫の中、イグニスはもう止まらない。

 首飾りを引きちぎり、尖った先端を腕に突き立てる。

 爆発寸前の鼓動が周囲の音を塞ぐ。もう何も耳に入らない。

 彼は腕から大量の血を滴らせ、握りしめた藍晶石に一心に記憶ねつを込める。


 少しじゃ足りない。全てだ。今までの思い出、手放したくない宝物の全てを他でもない少女のために込める。


 ──君の■■な声が好きだった。いつも■■みたいに■う控えめなところが愛おしかった。初めて手を■■た時のこと、覚えてるかい? 一緒に食べた■■■■は美味しかったね。■の■■が……。


 赤く、紅く、赫く。握りしめた石が赤熱する。感情の奔流を呑み込み、ついに藍晶石は灼熱の猛火となってイグニスの腕を包む。


 天使が泡を食ったように弓矢を放つ。百や二百では足りぬ死の雨が全方位からイグニスを襲う。

 だが、青年は意に介さず炎に包まれた手で不死鳥にそっと触れ、言った。


「君の望みをそのまま叶えることはできないから、代わりに僕のおもいでをあげる。だから、君は生きてくれ。シンシア」


 腕を伝い、炎が不死鳥に注がれた、直後。

 放たれた熱波により飛来する都合千の矢が一瞬で灰と化した。

 巨躯を覆う金色の衣装が焼け落ち、仮面が溶け、拘束が爆ぜ飛ぶ。


 大いなるおおとり。偉大なる不死鳥インティ・ワマンが再び、この地に降り立った。


 目を見張る天使たちの前で不死鳥は強く翼を羽ばたく。宙を舞う火の粉に触れた瞬間、天使たちはたちまち翼を失い、次々に物言わぬむくろへ変じた。


 あっという間だった。あっという間に広場を埋め尽くす絶叫は鳴り止み、静寂が辺りを包んだ。

 不死鳥はゆっくりと首を巡らせ、最後に傍らに倒れる青年を見つめる。それから大きく翼を広げ、空へ飛び上がった。


 かすむ視界、薄れゆく意識の中イグニスは不死鳥を見送る。


 遠く、遠く。澄み切った大空へ羽ばたく■■■■の後ろ姿を眺め、彼の意識は途切れた。

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