囁く者・ジャーヒル

 ■


 エリゴスの怒りに満ちた表情は、しかしすぐにナリを潜める。


 代わりにその顔に現れたのは悦楽の表情だ。


 目が裏返り、舌が出て、涎が垂れている。



 ──あァ……愛しい我が子たちィ

 ──おいで、こちらへ

 ──かえっておいで、母のもとへ……


 ぼろり。


 エリゴスの口元からは蛆虫の様なものが零れ落ちた。


 ぼろり

 ぼろり

 ぼろり


 蛆虫が次から次へと零れ落ちる。


 ・



 君は鼻で笑うが、キャリエルらは後ずさっている。


 その様子に君はやや鼻白んだ。


 元の体の性能すら満足に引き出せない間抜けが口からポロポロと虫をこぼしたくらいで何をビビっているのか、と。


 君の経験上、恐怖心にうったえかけてくる手合いは基本的には大した事がない。


 タチが悪いのは一見ただの野兎の様な姿をしていながら、油断した間抜けの首を叩き切ってくる様な手合いである。


 君も何度か首を落とされた事があり、その事を思い出すと非常に情けない気持ちになった。


 ■


 さて、次はどうするのかと君がエリゴスを眺めていると、エリゴスの腹がどんどん膨れていく。


 君はルクレツィアに盾を張るよう指示をした。


 あのパターンも大概使い古されているが、まあ備えて置くに越した事はない──…そう考えた君は人差し指と中指を立て、左斜め下から逆袈裟にピッと切り上げ、指が切り上げの頂点に達すると拳を握り締めた。


 ──『障壁』


 ──『障壁』


 ──『障壁』


 発動されたのは『障壁』の3重掛けだ。


 特定の動作に意味を持たせ、同一魔法を複数回発動させたりする。


 どれ程多くの意味を持たせられるかは術者次第だが、高位の魔法ほど難易度が上がるとされる。


 この難易度の上がり方は指数関数的に跳ね上がるため、君程の猛者であっても3重掛けは第4階梯まで。


 2重掛けならば第5階梯が限界だった。


 この技術はライカード魔導部隊……ではなく、ライカードの町外れ、災厄の迷宮と呼ばれる迷宮の最下層に住んでいるとある大魔導師が編み出した技術だ。。


 かの大魔導師はかつては邪悪な存在だったそうだが、一度封じられ、なんやかんやあって改心し、いまではライカード王宮の相談役の様な事をしているらしい。


 彼は元より優れた魔法使いだったが、改心後は研鑽に研鑽を重ね、膨れ上がるその大魔力はかつての比ではない。


 彼が生み出した技術はそれまで後衛から火力を放つ固定大砲扱いだった魔法使いという職業を、縦横無尽に戦場を駆け回り指先1つで火力を飛ばす移動砲台へと変えた。


 もちろんそれだけではなく、他にも様々な技術を彼は編み出している。


 その中には素晴らしい技術もあればしょうもない技術もあるが、君はおおむね殆どの技術を体得していた。


 君はライカード魔導部隊きってのミーハーなのだ。


 ルクレツィアも結界魔法を完成させ、円形のドームが君達を覆った。


 そして──


 ■


 パァン! 


 とエリゴスの腹が破裂した。


 白い蛆虫がそこかしこへはじけ飛ぶが、君達への被害はない。


 飛来してくる蛆虫は全て君の張った障壁とルクレツィアの結界に防がれた。


 まさかこれで終わりではあるまいと君がエリゴスが居た場所を凝視していると、黒い靄……いや、空間にひび割れが出来ているではないか。


 ひび割れからは太く毒々しい緑色の触手が2本……触手はひび割れをこじ開けようとしている。


 君は得心した。


 攻撃チャンスであると。


 パンと手の掌と掌を合わせ、ゆっくりと離す。


 離した掌と掌の間にあったのは、煌々と輝く青白い炎の球だ。


「そ、それは……」


 ルクレツィアが戦く。

 君の手に収まる青い火球がどういうものかを理解したからだ。

 略動詠唱・複式による3重の『猛炎』。


 君が先に張った障壁は、これの爆撃による余波を防ぐ為という意味合いもある。


 ある程度溜めが必要なので、実戦的であるとは到底言えないが、それでも目の前の怪物の様に隙を晒しているような相手には使える。


 ひび割れから形容しがたい緑色の何かが這い出してきた。


 醜く太い、緑色の体躯に目も鼻も口もない肉の塊が乗っかっている。


 そして触手がいやらしく宙を掻きまわし…


 これこそがカナン神聖国の宿敵、いや、世界の敵、大呪大悪たる“囁くもの”……その1匹。


 もっともか弱いそれですら、常軌を逸した力を持つ……のだが。


 そんな存在に君は思い切り青い火球をぶん投げる。

 着弾、そして大爆発。


 爆発の余波はルクレツィアの結界を一瞬で叩き壊すが、しかし君の張った3重障壁が余波を防ぎきる。


 君はキャリエル達に戦闘準備をしろと告げた。


 飛び道具で死ぬような相手ならば苦労はない。


 少なくともあの時、君が幻視したナニカは君をして死闘を覚悟せしめたほどの凶兆を孕んでいたのだ。


 とはいえ、久々に戦いのていを為しそうな戦いの予感を感じ、君は心が沸き立つのを抑えられずにいた。


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