第71話

 六ヶ月の約束をした時は、レオンがマリーゴールドと出会っていなかった。

 さらに言えば、レオンがマリーゴールドに、もしくはマリーゴールドがレオンに惹かれないという可能性もゼロではなかった。

 そう、可能性は限りなく低かったけど、ゼロではなかった。だからそんな賭けをしたんだ。


 ーーだけど今は、完全にゼロだ。賭けれるような可能性はもう残っていない。


 私の本当の気持ちを言って、レオンを苦悩させたくはなかった。だから私は一生この気持ちを隠し通さなければならない。

 それが彼らに対するせめてもの花向けだと思うから。


「……リーチェの本当の気持ちが、やっと分かりました」


 私の肩から手を離し、地面に向けてダランと落ちた彼の手。私はそこに視線を向ける。さっきまであの手が私の肩に触れ、私の口を覆っていた。

 さっきは、レオンのあの薄い唇が、もどかしそうに私の唇を求めていた。

 あの青い目に何度も捉えられ、冷たい色をしているはずなのに、そこから熱いものを受け取り、仏頂面な顔よりも表情豊かに感情を表現していた彼の瞳はもう、私を映そうとはしない。


 全てが終わったんだと、彼の纏う空気から、陰鬱とした声から、私は感じ取っていた。


「どうしても私には腑に落ちなかった。賭けをした時もあなたは、六ヶ月後も私の気持ちが変わらなければ、私の告白をと言いました」


 レオンはゆっくりと私から距離を取る。視線は相変わらず絡み合わない。あれほど視線を避けたかった時は上手くいかなかったのに、今はこんなにも簡単だ。


「本心ではあなたも私の事が気になっていると思っていたので、初めその言葉を聞いた時は、あなたも私を愛しているのだと思っていたのです。ですが、それは私の早合点のような気がしてならなかった」


 一歩ずつ部屋の扉へと向かうレオンの背中を見つめ、私はただじっと押し黙り、レオンの話に耳を傾けていた。

 視界がゆっくりと歪み始め、私はあてもなく視線をベッドカバーへと向けながら、それを必死になって引きとどめた。


「……あの時の胸の引っ掛かった感覚は、正しかった。だってそうでしょう、リーチェ? 私が勘違いし、そうだと思い込もうとしていただけで、あなたは私を好きではなかった。ただ、賭けに私が勝ったなら、あなたは私を受け入れようと思っただけで、別に私と同じ想いを持っているわけではなかったのでしょう?」


 レオンが「はっ」と、吐き捨てるように笑った声が聞こえた。その放った声が残忍なほどに冷たくて、思わず私の肩がピクリと揺れる。


「それでは私は、コーデリア公爵となんら変わらなかったという事だ」


 ーー違う。


 そんな言葉が思わず私の口をついて出てきそうになり、今にも溢れ出しそうな涙と共に、必死になってそれを押さえ込んだ。

 そんな中で、レオンは再び口を開いた。


「リーチェ・ロセ・トリニダード男爵令嬢」


 久しぶりに聞く、自分の名前。

 レオンがいつも呼ぶ、親しみを込めた言い方ではなく、出会ったばかりの頃のような呼び方。


「今まで俺の勘違いに付き合わせて、すまなかった」


 レオンから敬語の言葉が消えた。

 それは、私との関係の消滅と同意だった。

 その言葉を聞いた瞬間、下がっていた顔を上げ、入口の扉に目を向けた。

 ドアノブに手をかけたレオンは、振り返る事もなく、扉を押し開けようとしている最中。

 そんな背中を見ていると、膨らんだ瞳からポロリと、一雫の涙が頬を伝って落ちていった。


 レオンは、役者だ。彼の役柄は、私に惚れている侯爵という設定。その設定に従順なまでに演じきっている、腕の良い役者。

 完璧な男主人公は、演技までも完璧だ。さすがは私の推しであるキャラ。私の心血を注いだ主人公。

 そうやって彼は、私の本心を引き出そうとしている。


 けれど私の本心をそんなに必死になって引き出して、一体何のメリットがあるというのだろう。

 そんなものは、自分で自分の首を絞めるようなものじゃないか。

 そんな事をしている暇があるのなら、さっさとマリーゴールドと一緒になればいいのに。

 私のことなんて蚊に噛まれた出来事だと思って、次に進めばいいのに。


 私が本当は、レオンの事が好きなのだとしたら、申し訳ないと思うから?

 粘着なクズ男に執着されて、殺されかけ、さらに父親の出世道具になるような立ち位置にいる私が、可哀想に思えるから?

 そんな不憫な私に対し、せめて一つくらい私の願いを叶えてあげようと思って?

 自分の気持ちを押し殺してまで、私の気持ちに付き合おうって思って?


 色々な憶測が頭の中で渦巻く。けれど、どの答えも私は到底納得できない。

 そもそも、それってさ……。


「あなたの目には、私はそんなに可哀想な人間に見えたのですか?」


 思わず吐き出した言葉に、部屋を出ようとしていたレオンの動作が止まった。


「もしくは私は、惨めな人間にでも見えているのでしょうか?」


 レオンはゆっくりと振り返る。そして何も映らないかのように見えた生気のない瞳が、ゆっくりと私に向けられる。

 目が合った瞬間、彼は驚いたように目を見開き、一度開いた扉をそっと閉めた。


「……どういう意味で言ってるのか、分からないのだが?」

「私は侯爵様の考えが分かりません。なぜ私にそうまでして執着しようとなさるのですか?」

「……そうやってまた、会話の堂々巡りを繰り返すつもりか?」


 言葉に棘を感じる。それが私の胸にもチクンと刺さった。


「マリー様と出会ってからは、いつだって侯爵様は本心を言わないではないですか」

「だからそれもーー」

「あの香水だってっ!」


 私はレオンの言葉をぶった斬る。今回は私が話す番だ。もう黙ってなんてやらない。もうどうだっていい。なんだっていい。

 ここまで馬鹿にされて拗れて、惨めな気持ちになるのであれば、いっそのこと全部吐き散らかして、その上で嫌われてしまえばいい。


 同情なんていう安っぽい感情で、私と一緒にいて欲しいわけじゃない。

 そんな陳腐なものにすがって、彼らの未来を閉ざしたいなんて思わない。

 だからこそ……綺麗さっぱり全部吐き捨てて、言葉通り私はレオンに捨てられればいい。

 むしろ私に捨てられたように、彼には思わせればいい。

 だからもう、口は閉ざさない。

 感情は殺さない。

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