男主人公が私(モブキャラ令嬢)の作る媚薬香水に食いつきました。

浪速ゆう

第1話

「初めまして、だな。トリニダード男爵令嬢」


 肩まで伸びる白銀の髪が光を受けて、煌びやかに輝きを放ち、後頭部で一つに結んだ髪から一房落ちる前髪の隙間から、情熱とか灼熱とかの言葉を彷彿させるような赤い瞳が、怪しく私に向けてきらりと光っている。


「なんだ、緊張して固まってるいるのか?」


 そう言って、彼の瞳と同じ色をした私の長い髪を一房掴み「チュッ」なんて音を立てて、そこにキスをする。初めましての距離感ではない手慣れたその様子に、私の体は思わずピクリと揺れた。


 ――どうしてこうなったのか。そう思わずにはいられない。


 私はただいつものように夜会に参加し、将来は自分で事業を展開し、自由気ままに生きられるように資金調達の為にパーティに参加していただけなのに。

 なのに、どうして。私は今、キールに壁ドンされて迫られているのだろうか……?



  ***



 さかのぼること、数か月前。

 前世で私は、ちょっと名の通ったマンガ家だった。代表作となったのが『青い瞳の侯爵様は愛をささやく』という令嬢ものの異世界ファンタジーマンガを描いていた。締め切りギリギリに脱稿し、ヨッシャー! と拳を突き上げながら原稿を出版社に向けて送り出し、祝いの盃と称して近所の居酒屋でお酒を浴びるほど飲んだ……帰りだった。


 酒は飲んでも飲まれるな。これは私のモットーだったにも関わらず、その日だけはお酒をグビグビ飲み、千鳥足で家路に向かった。

 飲みすぎた原因は複数存在していて、原稿の脱稿だけでなく、飲み屋が家の近所で帰り道に不安を覚えていなかったというだけでもない。

 一番の理由をあげるなら、私の描いたマンガ『青い瞳の侯爵様は愛をささやく』略して『青愛』がアニメ化決定したことだった。

 文字通り飛び跳ねて、叫んで、隣近所の家から苦情が来るくらい喜んだ出来事だったが、何せ原稿の締め切りと戦っていたため、祝杯はあげられずにいたのだ――その夜までは。


 そう、だからこそ私は脱稿後にデロンデロンに酔っ払うほど飲み、家までの距離500メートルだというのに、見つけた電信柱では毎度えずき、ゲロテロリストの如く、吐き散らかして帰った帰り道。

 やっとたどり着いたアパートの階段で足を踏み外した。


 ――私が覚えている、前世、永澤唯奈としての記憶は、それが最後だった。


 目を覚ますと、鼻先をくすぐる花の香りと、ふかふかのベッド。シルクの生地を思わせる肌触りのシーツ。嘔吐物の臭いを覚悟しての目覚めだったはずが、逆をいく五感の感覚に私は勢いよく上体を起こした。


 ズキリと痛む頭部を抑え、やはり昨日は飲みすぎだと反省した。けれど私はどうやって家の中までたどり着いたのだろうと、記憶を探っていると、視界に飛び込んできた辺りの景色に茫然としてしまう。


 待って、どうなってんの……?


 天井が高い。高いだけでなく、装飾品がゴシック調? バロック調? 建築に詳しくないけど、この光景がよく見聞きする中世の家のようだということだけは分かる。

 眠っていたベッドはキングサイズ。天蓋付きときたもんだ。


 私、どこぞの王族とでも寝たのか……? いやいや、どこぞの王族って、どこのだよ。

 そもそも私は昨日、たらふくお酒を飲んでそれから――吐き倒した。


 頭の中に霧でもかかったような朧げな記憶の中で、少しずつ昨日の出来事をたどっていく。

 ああ、そうだ。飲んだ帰り、アパートまでたどり着いたところで私は、足を捻ったんだった。コンクリートの階段であと一段で階段を上りきれるというタイミングで捻って、転んで、頭を強打して、頭蓋骨が割れるような音を聞いた後――今に至る。


 ちょうど深いため息をついていたタイミングで、部屋の扉をノックする音が聞こえた。


 ――コンコン。


「失礼いたします。リーチェお嬢様、ご支度の時間でございます」

「リーチェ、お嬢様……?」


 人間違いだ。間違いなく私は純日本人で、横文字の名前でもなければ、お嬢様などと呼ばれる存在でもない。

 けれどそう思うよりももっと強い疑問が、私を支配した。

 リーチェって、もしかして……。


「失礼いたします」


 そう一言添えて、扉は開け放たれた。

 窓から差し込む力強い太陽の光に、私は思わずシーツで顔を隠してしまう。

 けれどそれより先に部屋に足を踏み入れた侍女が、私に向けて会釈をした。


「リーチェお嬢様、今朝は旦那様も朝食を一緒に召し上がられるそうです。ですから朝食までに支度を済ませるようにと、旦那さまからも仰せつかっております」


 侍女はそう言い、彼女の後ろからも数人が部屋の中へと入ってきた。

 ……やっぱり。

 そおっとシーツを下ろし、顔をのぞかせると、ベッドのそばで私が起き上がってくるのを待っている。

 その彼女が私の顔を見ても驚く様子はない。ということは、私は間違いなく――。

 確信を込めて、ベッドから起き上がり、鏡の前に立つ。そこに映ったのは、燃えるような豊かな赤い髪に、黄金色をした瞳を持つ人物、リーチェ・ロセ・トリニダードが立っていた。


 やっぱりここは、『青愛』の世界だ。

 私はどうやら、自分が描いたマンガの世界『青い瞳の侯爵様は愛をささやく』のモブ令嬢リーチェ・ロセ・トリニダード男爵令嬢に転生していた。

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