女用心棒の彼女は今日もまた振り回される
和泉茉樹
第1話
◆
仕事ならなんでも請け負う、というほどお人好しではないけれど、さすがに参ったなぁと思っていた。
シシリアン公国の公都の通りには人が忙しなく行き交い、喧騒が空気に満ちていた。
私の少し先を行く男性、三十代、あるいは四十歳になるかが依頼主だった。のほほんとした様子で先を進むが、視線は落ち着きがない。身なりは上等で、いかにも商人だ。
そう、商人なのだが、当人が言うところでは裏の商売のためにここに来たという。
振り返る表情には善人のそれがある。
「そこの通りでしたかね」
ええ、と私が頷くと、彼は露骨に周囲を確認しながら脇道に入った。私もそれについていく。
グッと人気が減り、音も小さくなる。
「本気ですか?」
思わず声をかけると依頼主が足を止めて振り返る。名前はなんといったかな、ルルド、だったか。彼はキョトンとした顔になっている。
「本気というのは、私の目的のことですか?」
「ええ、まあ」
正面から確認される尻込みするものがある。
彼の商売のことを知らないし、ただ雇われた用心棒なのだ。口出しする権利はない。
それでも一応、言葉にしておいた。
「裏取引で手に入る金属なんて、たかが知れています」
ルルドが少しだけ表情を緩める。
「それがバカにならない儲けになるのですよ、マーガレットさん」
親しさを演出しているのだろう、声もまるで尖ったものがなく、丸く、柔らかい。
「王都ではちょうど、建国祭のために貴金属が必要になる頃です。王都近辺ではすでに品薄になりつつある。商人はわざと手元にある在庫を売り控えて、値段がつり上がるのを待っているのです。そしてここぞという時に、暴利を得る」
「わからなくはない話ですね」
そっけない相槌にルルドは気を悪くした様子はない。むしろ舌がよく回るようになったようだ。説明するのが楽しいというより、計画が成就した時の愉悦を想像しているらしい。
「商機を掴むのは難しい。どこかが先に動いでしまえば値は下がる。そのまま値崩れが起きることもある。物の値段というのは、実に流動的なのです。ある時には天井知らずに上がり、ある時には無いも同然になる。金属というのはその点、手堅いのです」
そうでしょうね、と頷く私にルルドは少し胸を張って得意そうだ。
「ここで商品を調達すれば、しばらくは余裕を持って店を経営できるのです」
「用心棒にはわからない世界ですよ」
反射的に本音を口にしていた。
どう思ったか、ちょっと笑みを深くしただけで、ルルドは前に向き直り、先へ進み始める。
用心棒という仕事は、実に不安定なものだった。様々な組合の中の一つである傭兵組合、その中の一つの部署が用心棒事務所だった。登録することで仕事を斡旋してもらえるが、用心棒というのは一匹狼とほぼ同義だ。
集団で行う警護や警固は傭兵が請け負うことになる。護衛仕事でも商隊の護衛なども傭兵の領域だ。
では用心棒が何をするか、といえば、一人程度の人間を護衛する仕事、である。
そんな仕事は滅多にあるものではない。依頼主は自前の用心棒を雇えない立場か、用心棒事務所の売りの一つである情報の秘守が必要な立場のものに限られる。
私も用心棒として生計を立てているかといえば、だいぶ怪しい。住まいは居候だし、経済状況も好ましくない。
ただ、用心棒は気楽だった。傭兵ほど忙しくなく、拘束されることがない。
危険度で言えば、同じ程度だろうけど。
今回の仕事は事務所からの斡旋だった。
闇で商売するものが、商談の場で相手を警戒する必要があると用心棒を利用する。場合によっては相手が複数人で威圧してくることもあるけれど、そこはそれ、私も用心棒という自負がある。
ルルドが細い道からさらに路地へ入る。私はその背後にピタリと付いた。
いよいよ人気がなくなるが、私の緊張は最初から変わらない。ルルドは商人だと自称し、どうもここでは最初の仕事らしい。それが偽った身分だったり、裏があると、つけ狙われている可能性もある。あるいは闇の商人はいくつもの身分を使い分けるし、その細工、工作の一つとしてわざと用心棒を新しく雇うことも無いわけでは無い。
シチュエーションを想定する程、用心棒としての仕事は気の抜けないものになる。公然の秘密のようなものだけど、暗殺者組合が実在しており、この暗殺者組合は、ありとあらゆる手段で標的を仕留めに来る。なので、もし護衛対象が暗殺者に目をつけられているとすると、少しの気の緩みを突かれて、仕事に失敗しかねない。
ルルドの様子からすると、いかにも人畜無害で恨みなど買いそうにないが、商売の場には血が流れないだけで、刃を向けあうような駆け引きは多くあるのは間違いない。その駆け引きが、実際の刃傷沙汰に及ぶことは想像に難くないところだ。
というわけで、私は路地に入る時も即座に背後、そして路地の奥を確認した。
路地は建物が迫っていて薄暗い。無人のようだ。
私が警戒しているのを知らないのか、ルルドが大股に路地へ躊躇いなく踏み込んでいく。
私を信用しているのか、それとも無頓着なのか、豪胆なのか、まったく分からない。
私は彼に続いて路地に入った。空気が少しだけ冷え、湿気が多くなる。匂いさえも変わった。
感覚を研ぎ澄ませる。ここはあまり好ましい場面ではない。周囲に目撃者がおらず、また空間が限定されて動きがとりづらい。そして逃げ道が前と後ろにしかないようだ。
「こういうところで」
ルルドが肩越しにこちらを振り返る。得意げな顔つきなのに腹が立つけど、黙って聞こう。
「暗殺者に襲われたりするものなんだろうね」
でしょうね、と答えようと思った。
思ったが、前方に誰かが立ちふさがった。
どこから来た?
しかし疑問より先に私はまだこちらを見ていて気づいていないルルドの襟首を掴む。
混乱した顔のルルドを引きずり倒すと、彼をかすめて短剣が走った。
ルルドを放り出した私が進み出て、刃に身をさらす。
半身で刃を避け、その手首に手を伸ばす。
指先が触れる寸前に短剣が引き戻され、暗殺者が跳ねて間合いを取る。それで場が落ち着いたので、私としてはありがたい。畳み込まれるのが最悪な展開だった。どうやら相手は堅実な方針らしい。
真っ直ぐに立って前に立つ一人を見て、次にいつの間にか背後にいるもう一人を確認した。
どちらも短剣を抜いている。路地の広さを考えれば、無難な選択だ。
しかし、二対一か。
私の足元では、ルルドが呆然とした様子で座り込んでいる。悲鳴を上げない、恐慌状態にならないのは大したものだ。闇で商売するつもりなのだから、それくらいの覚悟はあったか。
私は腰の左側に下げている刀に触れ、そっと柄に右手を置いた。
「ま、ま、マーガレットさん、ここここ、これは」
さすがにルルドが声を上げるが、私は全く動じていなかった。
「安心してください。これが用心棒の仕事です」
私は心気を統一して、刀をゆっくりと抜いた。
(続く)
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