第18話 帝国の皇子がグイグイ攻めてきますわ!


「ハーミリア、あの時の礼をしてくれるよな? 右も左も分からない俺にこの学院のことを教えてくれ」

「……かしこまりました」


 非常に面倒な事態になった。

 ただでさえライル様と会えず悶々としているというのに、神経を使う相手の世話係に指名されてしまったようだ。たかだか小国の伯爵令嬢でしかないわたくしは、帝国皇子の申し出を断る術がない。


「ああ、授業で使う教本もまだ用意できてないんだ。悪いが一緒に見せてもらえるか?」

「……どうぞ」


 いや、サラッとこの学院の制服を着ている帝国の皇子が、教本くらい用意できないわけないでしょう! しかも帝国のクリストファー皇子といえば、わたくしよりも二学年上ではなかったかしら!?


 という言葉はなんとか飲み込み皇子様の言葉に従う。ここで機嫌を損ねてもいいことなんてひとつもない。


 はああ、伯爵令嬢のわたくしには荷が重すぎるのだけど!?


 ギラギラと光る琥珀色の瞳にゲンナリしつつ、休み時間に学院内を案内することにした。




 少しずつ学院内を案内して、ランチタイムは時間があるからと校舎の端にある施設まで足を伸ばした。


「こちらが職員室で、こちらが生徒会室。その先にこの国の王族だけが使える貴賓室があります」

「学院内はこれくらいか? 外の施設も案内を頼めるか?」

「はい、承知しました。こちらです」


 わたくしは心を無にして、淡々と案内をしていく。途中でいつものようにわたくしの悪い噂を口にしているご令嬢たちに出会ったけど、今はそれどころではないので放っておこうと受け流していた。


 次に魔法練習場を案内しようと外に出たところで、中庭から戻ってきた女子生徒たちにも悪口を言われる。


「やっぱり、あの時の……! 私の直感は当たっていたのね!」

「ライオネル様が可哀想だわ、あんなアバズレの婚約者だったなんて」

「だから捨てられたのよ。今はマリアン様が婚約者なのでしょう?」


 あの時海辺でやり込めたご令嬢たちだった。しかもその直感は大外れである。

 わたくしとライオネル様は婚約解消なんてしていない。その噂はどこから流れてくるのか、日に日に勢いを増している。


 そろそろ噂を消したいけれど、出どころがいまいち掴めないのよね……。


 そこで口を開いたのは、クリストファー殿下だった。


「おい、君たちが話しているのはハーミリアのことか? アバズレだとか捨てられたというのは事実なのか?」

「えっ! いえ、それはこちらのお話ですので——」

「誤解のないように言っておくが、俺はハーミリアを口説くつもりでこの学院に来たんだ。俺の大切な人の陰口を叩くのなら黙っておけない」

「は?」


 思わず重低音でこぼしてしまった。あまりに低い声だったためか、誰の耳にも届いていないようで反応はない。ご令嬢たちは真っ青になって俯いている。


 なにを言い出すのかしら、この皇子は。

 わたくしを口説く? いったいなぜそのような事態になっているの?


「あの、クリストファー殿下。わたくしには婚約者がおりますので、そのような誤解を招く発言は控えていただけますか?」

「なぜだ? ハーミリアが困っていても助けてくれない婚約者より、俺の方が断然いいだろう? 今までの女たちも皆俺を選んできたぞ」

「そんな不誠実なことはできませんわ。それにわたくしはライル様一筋ですので」

「ははっ、この俺を振るのか? さすが俺が見初めた女だな。ますます手に入れたい」


 だから、なぜそうなるのか。


 そもそも今までの女たちと言うくらいだから、これまでも婚約者や恋人のいる女性に言い寄ってきたのだろうか? そんな傲慢で節操のない男は願い下げだ。

 わたくしは陰で必死に努力し続け一途に思ってくれる、ライル様のような真面目な男性が好みなのだ。


「いくらクリストファー殿下でも、他国の婚約者がいる令嬢にアプローチするのはいかがなものかと思いますわ」

「確かにな。では婚約解消するように俺から話をつけよう」

「おやめくださいませ。わたくしはたとえ婚約解消されても、ライル様しか愛しませんわ」

「それでもかまわない。俺のものなれば、相手の男などすぐに忘れるさ」


 これがライル様に言われたセリフなら、今すぐその胸に飛び込んで「今すぐライル様のものにしてくださいませ!」となるのだが、強引に自分の思い通りにしようとする皇子から言われてもまったく心に響かない。

 むしろ今すぐこの場から逃げ出したい。


「おい、次にハーミリアの陰口を叩くならこの俺が容赦しない。そのように話を広めておけ」

「はっ、はい! 申し訳ございませんでしたー!!」


 女生徒たちは脱兎の如く足速に去っていった。


「ハーミリア、これからも俺がお前を守ってやるから安心しろ」

「いえ、自分でなんとかしますのでお気遣いなく」


 ちょっと、どうしてこの皇子はグイグイ攻めてきますの!?

 わたくしにはライル様がいると言ってるのにっ!!




 それから一週間が経ち、わたくしはクリストファー殿下の世話係として過ごしていた。今はランチの時間で、目の前には琥珀色の瞳を嬉しそうに細める皇子がいた。


 シルビア様ともお話しする時間が取れなくて、当然、周りのご令嬢たちからは「今度は帝国の皇子様を……!?」とヒソヒソされている。


 ライル様とマリアン様の婚約は目前だとかなり具体的な噂が流れ、わたくしは帝国の皇子から離れることを許されずどうしたものかと思案していた。

 そこでクリストファー殿下がわたくしに興味をなくせばいいのだと思いつく。


 そうよ! わたくしと一緒にいるのが苦痛だと思わせればいいのだわ!


「なんだ、ハーミリア。考え事か?」

「ええ、どうやったらクリストファー殿下が一日も早く学びを終えて帝国に戻ってくださるのか、考えておりましたの」


 早速、作戦開始だ。

 自分に興味を示さなければ、さすがに嫌気が差すだろう。不敬だと言われないようにギリギリを攻めなければ。


「へえ、そんなことを考えていたのか。俺はハーミリアを口説き落とすまでは帝国に戻らないから、無駄だな」

「無駄ではないと思いますわ。きっとわたくしの本性を知ったら、興醒めされますわよ?」

「それでは、誰も知らないハーミリアの本性とやらを見せてもらおうか」

「不敬に問われないのであれば」

「いいだろう、好きにやってみろ」


 やったわ! 不敬罪に問われないなら、もう少し突っ込んだ発言もいけそうですわ!


「それでは遠慮なく。クリストファー殿下、さっさと帝国へお戻りくださいませ」

「ははっ、これはまたストレートに言うな」


 クリストファー殿下は食事が済んで、空になった食器が載ったトレーをテーブルの端にずらす。食後のお茶だけ手前に置いてわたくしを真っ直ぐに見つめてきた。


「ですが、二学年上のクリストファー殿下がわたくしと同じ授業を受ける必要はないかと思います。それなら母国へ戻り国のために尽くすのがよろしいのでは?」

「ふむ、妻を探すのも大事な役目だと思うが」

「それであればなおさら、わたくしにかまっている暇などございませんでしょう? 幸い我が国の第三王女マリアン様も婚約者がおりませんし、そちらにアプローチした方がよほどメリットがございますわ」


 王女であれば、婚姻することで国同士の新たな交易の契約もできるし、単純に人質として価値もあるから無益な戦を避けられる。帝国から見れば、そこまでの利益がないにしても、わたくしよりも王女の方が何倍も価値が高い。


「俺が皇太子ならそうしただろうが、あいにく妾腹の第二皇子でな。婚姻相手は好きに選べと言われているから王女である必要はないし、野心の強い女に興味はない」


 なるほど、あくまでもお兄様である皇太子様を支える立場を目指されるのね。マリアン様はそんなに野心の強いお方だったかしら? どちらかというと常に自分が一番でいたいような印象ですわね。

 ああ、確かにそうなると将来的に夫も一番がいいと言い出しかねないわ。でも、野心というならわたくしだって。


「わたくしにも野心はございます」

「へえ、どんな野心だ?」


 意外だと言うようにクリストファー殿下は驚いた表情をする。視線で続きを促されたので、胸を張って力いっぱい答えた。


「ライル様を世界一の領主にすることですわ!」

「……俺は、お前のような女に愛されたいと思うぞ」


 ですから、どうして、そうなりますの?


 どんなに頑張ってみても、自分の都合のいいように受け取るクリストファー皇子に脱力するばかりだった。

 帰りの馬車で迎えにきたジークの顔を見て、やっと皇子から解放されると少しだけホッとした。

 

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